マルトリートメントと私15.小学校の入学用意 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、

幼少期のまでの記事はこちら。

※自分の記憶に基づいて書いているため、
事実と違っている可能性があります。
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私は幼少期、保育園、幼稚園に在籍していたらしいのですが、
その時の記憶はあまりありません。

ただ、小学校の入学式で初めて、
自分と同じ歳の子供達がたくさんいることに驚き、
さらに皆んなが顔見知りだったことに衝撃を受けた記憶があるので、
私には保育園でも幼稚園でも、
特定の友達はいなかったのだと思います。

そんな同世代の人間と交流のなかった私でも、
1歳上の兄がいたために、
小学校に上がる時には、
色んな道具を揃えることを、
私は知っていました。

兄が木で出来た、
とても立派な学習机を買ってもらったため、
私は自分がどんな机を買ってもらえるのか、
とてもワクワクしていました。

自分の部屋など持っていなかった私にとって、
自分の学習机は、自分の居場所を与えられたと同じものだったのです。

何しろそれまで私が自分の大切なものを置いていたのは、
居間の押入れの隅だったのですから。

でも、とてもワクワクしていた私の心は、
父からのこの言葉で打ち砕かれました。

「親戚が学習机をくれると言ったから取りに行く」

そう言うと父は、私を連れて親戚のおじさんのところに行きました。

そこは私よりも10歳ほど上の従姉妹がいる家で、
父はその家からグレーの、
少し錆びた匂いのするスチール製の机を運びだしてきて、
やはりグレーの、大人の職場で使うような、
キャスター付きの回転椅子と一緒に、
リヤカーに乗せました。

その机には以前の所有者が貼っていた、
トンボのシールがそのまま貼られていて、
私はそのシールの絵のリアルさが、
気持ち悪くてたまりませんでした。

私は親戚からもらった机を積んだリヤカーを運ぶ父の後ろについて、
兄と自分の待遇の差に泣きそうになりながら、
家までの30分ほどの道のりを歩きました。

運んできた机は、居間の隣の和室に置いてあった、
兄の立派な木造の学習机の隣に置かれました。
スチール製のその机は、私が座って勉強をする姿勢を取ると、
足の当たる部分が錆びていたため塗装が剥げ落ちて、
硬いグレーの椅子は座るとキィキィと音がしました。

私は隣にどっしりと構えている兄のまだ新しい学習机を横目に見ながら、
自分には机が買ってもらえなかった悲しみを噛み締めていました。

「なぜお兄ちゃんは机を買ってもらえて、私はお下がりなの?」

そう言って、自分も新しい机をねだれる子供だったなら、
良かったのかもしれません。

けれど私は、その言葉を口にできる環境にいませんでした。

その頃の私にはもう、
父の前で場面緘黙症の症状が出ており、
父親に対して自分の気持ちを言うといった、
子供らしい言動など、
取ることが出来ませんでした。

せめてもの反抗として、
私は以前の持ち主が貼っていた、
トンボのシールを剥ぐのが精一杯でした。

学習机を買ってもらえなかった私は、
なぜか筆箱も親に買ってもらうことが出来ず、
自分で町に唯一あった文房具屋さんに、
一人で買いにいきました。

その当時は鉛筆を入れる場所が2段だったり、
収納がスライドしたりといった、
色んな機能のついた筆箱が流行っていて、
多分高かったせいからか、
筆箱は鍵のかかるガラスケースの中に入っていて、
私は文房具屋さんに声をかけて、
ガラスケースから女の子用の筆箱を、
いくつか出してもらいました。

どれも千円を超えるいいお値段のものばかりで、
一万円型の貯金箱から取り出したお金で買えたのは、
700円のとてもシンプルな、
鉛筆を入れる場所が一段のものだけでした。

その筆箱しか買えなかったくせに、
私はまるでその筆箱が気に入ったかのような口ぶりで、
一番安いその筆箱を購入しました。

幼い私の、精いっぱいの見栄でした。

小学校に上がる前の子供一人で筆箱の購入にきた上に、
お金も無いなんて思われたくなかったのです。

一生懸命貯めていた私のお金は、
この筆箱購入で殆どなくなってしまって、
私はまた一から家を出るための貯金を、
しなければならなくなったのでした。