マルトリートメントと私7.父の母への愛情表現 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

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25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、

私の父は母のことが大好きでした。

父はよく、幼い私と兄の目の前で、
母に後ろから抱きついては、
顔を無理矢理自分の方へ向けさせて、

「◯◯(母の名前)ちゃん、愛してるよ〜」

と、母に無理矢理キスをしていました。

母は、そんな姿を子供達に見られるのを嫌がって、

「子供達の前でやめてよ!!」

と言っていたのですが、
父はそんな嫌がって抵抗する母の、
言うことを聞こうとはしませんでした。

それは、子供の私の目にはとても、

「愛し合う2人の愛情表現」

には見えず、

「お母さんが、お父さんに暴力を受けている」

様として受け取っていたため、
ただなす術なく見ていた子供の私の心は、
父の愛しているという言葉と、
目の前で行われている行為の差に混乱し、
父が母に対してそのような行為に及ぶたびに、
自分がどう振る舞っていいか分からず、
自分が何も感じないように、
心を凍らせるようになっていきました。

けれど、父の母が大好きアピールは、
それだけでは満足出来なかったのか、
父は自分がどれだけ母を好きか、
私達子供(兄と私の2人兄妹)に伝えたかったようで、

「お前たちと母さんが溺れていたら、
俺は真っ先に母さんを助ける」

と何度も宣言していました。

1番に助けるのは母、2番目は兄、3番目が私。

私は小学校に上がってもいなくて泳げなかったので、
父のこの発言を聞いて、

「あぁ、私は死ぬな」

と思いました。

初めてこの発言を聞いた時には、かなりショックだったのですが、
何回も繰り返し言われていたことと、
すでにこの頃には、
自分が父から好かれていない自覚はあったので、
だんだんと、
当然のこととして父の発言を受け止めるようになり、
私の心はどんどん凍りつき、
父の発言に対して、
揺れ動くことは無くなっていきました。

この頃にはもう、父の発言にいちいち傷ついていたら、
生きてはいけなかったように思います。

心を凍らすことだけが、この頃に私が身につけた、
自分に出来る、生きていく唯一の術だったのでした。