マルトリートメントと私4.辞めたお手伝い | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、
マルトリートメントと私1.私の1番古い記憶
をご覧ください。

前回までの記事はこちら。


※自分の記憶に基づいて書いているため、
事実と違っている可能性があります。
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お母さんのそばに居たくて、
お母さんに喜んで欲しくて、
4歳の頃に始めた、
お茶碗洗いのお手伝い。

でも、続けていくうちに、
私の中では"お手伝い"だったものが、
お母さんの中では、
"じゅんの仕事"になってしまっていたようで。

お茶碗洗いを自分1人に任されて、
放っておかれるようになって、
更に求められるハードルが上がってきて、
褒められないだけではなく、
怒られるようになってきてしまったら、
私はドンドンやる気が無くなって、
自分から進んでお手伝いをしなくなっていきました。

何よりも隣の部屋でテレビを見て、
家族3人で笑っているのに、
私1人、台所に立ってお茶碗を洗っていたら、
自分が家族の中で1人、仲間外れにされたように感じられて、
なんだか自分が惨めな感じがして、
悲しくなってきてしまうから。
(ただ、4歳頃の私には、惨めという感情は分かっていなかったため、
大人になってあの時の感情を現すのなら、
惨めが1番ピッタリくると思って、
そう表現させてていただきました)

それは、私の感覚的にはきっと、
自分の心を守るために必要なことだったのだけど。

お母さんの視点からすると、

「怠けて自分の仕事をやらなくなった娘」

と映ってしまったのかもしれません。

私がお茶碗洗いのお手伝いをしなくなってから、
お茶碗を洗う時間になると、
お母さんから嫌味を言われるようになりました。

「お前が手伝うって言うから、踏み台まで用意してやったのに」

って。

お茶碗洗いを手伝うために使っていたのは、
2段になったプラスチック製の、おそらく子供用のもの。

小さかった私は、
自分がお茶碗洗いのお手伝いをしたいと言った時に、
親に踏み台を用意してもらわなければいけないといった、
労力をかけてしまうことまで、
考えが及んでいなくて。

そして。

お母さんが家事を1つまるごと、
私に任そうと思っているとは、
やっぱり考えていなくって。

私は、お母さんに見守ってもらいながら、
お母さんと一緒に、
お茶碗洗いをするつもりでいたから。

お母さんがお茶碗洗いを私に教えて、
私が覚えてしまったら、
自分から離れていってしまうとは考えていなかった私と、
私に少しでも家事を任せて、
自由な時間を確保したかったお母さん。

どちらの考えが、甘いのか酷いのかなんて、
論じても仕方がないことなんだけど。

ただ、私が1人で台所でお茶碗を洗っていた、
その時に感じていた惨めな気持ちを、
お母さんが理解してくれることはありませんでした。
(私も、お母さんに自分の気持ちを説明出来るほどの、
言葉の能力をまだ持っていませんでした)

私は自分が、
家族から仲間外れにされているなどという、
惨めな気持ちを感じなくていいように、
自分の心を守るために、
お母さんの側にいる、
お母さんを喜ばす術を、
自分から手放してしまったのでした。

けれど、そこにはやはり、
お母さんを失望させたという、
罪悪感があったように思います。