私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、
※自分の記憶に基づいて書いているため、
事実と違っている可能性があります。
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私は5歳くらいの時にはもう、
父親が怖くて、
人の顔色を伺う子供になっていました。
人のいないところでは、
伸び伸びと振る舞うことが出来るのですが、
人のいる場所だと、
どのように振舞っていいか分からなくて、
動けない子供になっていたのです。
そんな私の状況を、
端的に表したエピソードがあります。
私はほんの少しだけ、保育園に通っていました。
(保育園に通っていた頃の記憶は、
辛い経験と結びついているため、
自分の小・中学校の同級生達に対しては、
私はずっと「保育園に通っていない」と、
嘘をつき続けていました)
その時間は、粘土の時間でした。
粘土は1人で一つずつ、自分のものを持っていて、
自分の自由に使っていいものでした。
ですが、人の顔色を伺う保育園児の私は、
自由にしていいと言われると、
どのように振舞っていいか分からなくなり、
自分の粘土を使うことを遠慮してしまい、
端っこの方を少し、
使っているかどうか分からない程度に、
千切るくらいの遊びしか出来ませんでした。
きちんと指示されていないことをして、
怒られたらどうしようと思う気持ちが、
子供らしく自由に振る舞うことを、
自分に禁じていたのです。
だから、皆んなが自由にワイワイと粘土で遊んでいる中で、
私はほんの少しの粘土をこねているだけでした。
そんな私に、ある1人の子供が気づいて、
「何でそれくらいしか使わないの?」
と声をかけてきました。
「だって、使っていいか分からないから、、、」
自信なさげに答える私の言葉は、
多分、天真爛漫に育ってきたその子には、
理解不能だったのだと思います。
「使っていいよ、使おうよ」
その子が粘土の真ん中から使わせようとしたため、
私はどうしていいか分からなくなりました。
それでも、他の子供達のように、
楽しく粘土で遊びたい気持ちがあった私は、
思い切って、粘土ナイフで粘土の真ん中に切れ目を入れました。
すると、、、
真ん中から切った粘土から、
油が流れ出してきました。
慌てて先生のところに持っていくと、
「あぁ、半年も使ってなかったから、油が溜まっちゃったのね」
と言われました。
(この時に使っていた粘土は油粘土というものでした)
先生からは、
「今まで何で使わなかったの?」
と言われましたが、
幼い私には、自分が父親に怒鳴られることに日々怯えていて、
人前で自由に行動することが出来なくなっているということが、
分かっていませんでした。
そんな私は、
保育園の先生には単に大人しい子供に見えたようで、
残念ながら、虐待にあっている子供だとは気付いてもらえませんでした。
私が自分の気持ちを口に出来ない状態になるのは、
保育園よりも自分の家での方が顕著でした。
私は家に父がいない時は言葉も話せるし、
母に気持ちを伝えることも出来ましたが、
家に父がいて、機嫌が悪い時には、
ほぼ身動きが出来ず、
喉が腫れたように詰まった感じがして、
声を出すことさえ出来ませんでした。
(場面緘黙症だったということを、大人になってから知りました)
私が機嫌の悪い父親の前で、
唯一出来る自己表現は、
ただ涙を流すことだけでした。
身動きすることも、
声を発することもない幼児。
父にとっては、
そんな私が目障りだったのかもしれないし、
生まれた時に「女の子なら要らない」と言われた子供だから、
可愛がろうという気持ちが無かったのかもしれません。
父から食事を取り上げられるのは私でしたが、
家族全員で行動する時以外で、
父が遊びに連れていこうとするのは兄だけでした。
私は父が怖かったのですが、
それでも幼い子供にとってやはり、
父親に置いていかれるのは寂しいものでした。
いつも寂しい気持ちで2人を見送っていた私を、
気遣ってくれたのは母だけでした。
母は兄と2人で出かけようとする父によく、
「じゅんも連れていってあげて」
とお願いしてくれていました。
父にとっては女の子は邪魔であり、
不愉快なお願いだったため、
父と母はよく言い合いになっていました。
私が食事を取り上げられた時も、
何とか父から食事を取り戻そうとして、
怒鳴って暴れる父に、
立ち向かってくれていたのは母でした。
私はいつも母が自分を気遣ってくれて、
庇ってくれることが、
とても嬉しかったのですが、
そのために激しくなっていく、
父と母の喧嘩が怖くて、
コタツがひっくり返されて、
食事が床に落ちて食べられなくなって、
お茶碗やコップが叩きつけられて割れて、
そんな中にいて私はやっぱり、
ただ泣いているだけしか出来ませんでした。
だから、食事を取り上げられる時も、
遊びに連れていってもらおうとする時も、
いつも父と母は、
こんな風に喧嘩していました。
母が私の気持ちを代弁してくれて、
「今、じゅんはこんな風に思っているのよ!」
と父に言ったら、
「黙って泣いてるだけで、そんなこと言ってないじゃないか!!」
と父が母に怒鳴り返して、
私に激しい剣幕で、
「俺の言ってる通りだろう!!」
と自分に都合の良い意見に、
無理矢理私を同意させようとして。
本当は母が代弁してくれている気持ちが、
私の真実の気持ちなのだけど、
私は恐怖から父親に逆らう発言が出来なくて、
でも、父親の意見に同意する態度を示してしまったら、
唯一私に差し出されている母からの救いの手が、
もう差し出されなくなってしまうかもしれないから、
怖くてもそれだけは出来なくて。
そうして身が竦んだ私は、
ただただ泣いて自分の気持ちを表現することしか、
やっぱり出来ませんでした。
父と母の喧嘩の焦点は突き詰めるといつも、
「じゅんが今、どう思っているか」
を言い合う、代理戦争のような形になっていたため、
兄からはこんな風に言われていました。
「お前が自分で自分の気持ちを言えばお父さんもお母さんも、
こんな喧嘩しなくて済むんだ!!」
本当にその通りです、正論です。
ただ恐怖で私の喉が本当に腫れたようになって、
父親の前では声を出すことが出来なくなるということが、
1歳上の兄には理解出来ないようでした。
兄からいつも、父と母の喧嘩の原因が私だったため、
「お前さえ居なければうちの家族は上手くいくのに!!」
と言われた言葉も、その通りだと私はすんなり受け入れました。
やはり子供だった兄が、
こんな家庭環境の原因を排除したくなる気持ちは、
私にも理解出来ました。
そして私は。
この家から出ていく用意を、
着々と進めていくことにしたのでした。
マルトリートメントと私14.家を出る準備に続きます。