マルトリートメントと私22.問題児認定 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、
 
幼少期のまでの記事はこちら。
事実と違っている可能性があります。
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私の父は、およそ一般的な家庭の父親とは、
ほど遠く違っていました。
 
父親から怪我をさせられて泣くと怒る。
 
父親から食事をとられて泣くと怒る。
 
 
そんな環境で育った私は、
父親の前で場面緘黙症になるという状態に陥り、
自分の気持ちを言葉にすることが、
恐ろしく下手な子供に育ちました。
 
けれど、それは父親も同じでした。
 
恐らく発達障害であっただろう父は、
自分と他人の意見が合わなかった時に、
怒鳴って暴れる以外の手段を持たない人間でした。
 
きっと実の兄弟や母親からでさえ、
怖がられていた極端な癇癪持ちだった父は、
(私の出生時、父の母は父が怖くて家に来てくれず、
母は家事を手伝ってもらえなくて無理をしたため、
危うく死にかけたエピソードからも、
その怖がられっぷりがうかがい知れると思います)
暴れたら周囲の人間に意見を聞いてもらえると、
誤った学習をしてしまったのでしょう。
 
そして、その誤った学習は、
父の娘である私に引き継がれました。
 
私は自分の生まれ育った家庭の中で、
自分の意見を人に伝えたい時に、
 
1.泣く
(私が自分の意見を聞いてもらうために、家庭の中で唯一出来た行動)
 
2.怒って暴れる
(父が自分の意見を押し通すためにとっていた行動)
 
の2つしか学ぶことが出来ませんでした。
 
定型発達者である母はきっと、
もっと違う方法を知っていたと思うのですが、
いつも身勝手な父に対して、
自分の意見を言う事が出来ず、
ただ黙って泣いてる私を庇ってくれていたため、
母が意見を言う時も私の心の中には、
母が怒っている姿しか印象に残っていませんでした。
 
私の家庭の中では、
搾取する側とされる側といった構図が成り立ち、
穏やかな自己主張など、
望むべくもなかったのです。
 
そんな間違った自己主張の仕方しか、
身に着いていなかった私は、
小学校での生活に本当に苦労しました。
 
なぜなら私は平成31年4月30日に精神科医から、
 
 
という所見をいただきましたが、
このASD(自閉症スペクトラム障害)という発達障害は、
以前はアスペルガー症候群と呼ばれていて、
その代表的な特性である「3つ組の特性」は、
小学校という環境で生活するには、
非常に不向きな特性だったからです。
 
ちなみに「3つ組の特性」とは次のようなものです。
 
1.コミュニケーションの特性
  独特の感性を持ち、言葉のニュアンスや裏を読まない。
  良くも悪くも思った通りのことを口にする。
 
2.社会性の特性
  社会常識やマナーがなかなか身に着かない。
  人と共感せず、人の気持ちに興味が持てない。
 
3.想像力の特性
  興味のかたよりが強く、頑固な面がある。
  融通がきかず、臨機応変な対応ができない。
 (大人のアスペルガー症候群より抜粋)
集団行動や社会性が求められる小学校という場所で、
このような特性を持っている私は、
自分から外れようとしている訳ではないのに、
人と同じ行動がとれず、本当に苦労しました。
 
皆んなと同じ説明を聞いて行動しているのに、
何故か皆んなと違う行動になってしまっているのです。
 
そこには多分、ASDの、
独特の感性を持ち、
言葉のニュアンスや裏を読まないといった特性が、
関与していたと思うのですが、
小学校の先生には、
私が反抗しているように受け取られたようでした。
 
私は保育園、幼稚園とも、
決して泣いて暴れたりしない、
どちらかというと大人しい子供だったのですが、
先生は私を問題児だと、
決めつけてしまっていたのかもしれません。
 
そんな先生の偏見に対して、
私はわざと皆んなと違うことをしているのではないと、
伝えたかったのですが、
自分の気持ちを、
言葉にするのが下手だった私の話は、
先生に聞いてもらえず、
自分の意見を伝える方法を、
 
「泣いて怒って暴れる」
 
しか知らなかった私は、
先生に自分の気持ちを聞いて欲しくて、
その方法を用いたことで、
更に先生から問題児として扱われるようになりました。
 
この時に、
発達障害というものが今位認知されていたなら、
もしくは発達障害が認知されていなくても、
私の家族がマルトリートメントを行うような、
機能不全家族ではなく、
泣いて怒って暴れる以外の、
きちんと自分の気持ちを伝える方法を教えてくれる、
一般的な家庭だったなら、
私の人生は大きく違っていたのかもしれません。
 
けれど私は、
発達障害児でも、
マルトリートメントを受けている子供でもなく、
 
「躾のなっていない問題児」
 
として、小学校から認定されてしまったのでした。