精神科医師の診察結果 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

今日は4月27日に臨床心理士から説明を受けた、
WAIS-IIIの結果に基づいての、医師の診察を受ける日でした。

私が診察を申し込んだ精神科では、
毎回必ず受付時に問診票が渡されて、
その日の気分や体調などの質問を受けるのですが、
その質問の中に、
今日聞きたいことを1つだけ書いてくださいという項目があるため、
私はそこに、

「自分が自閉症スペクトラム障害か知りたい」

と記入しました。

予約時間の5分前には受付を済ませ、
問診票も渡したのですが、
私の名前が呼ばれたのは、
予約時間から30分ほど経過した後でした。

診察室に入ると、私は医師から、
初診時に受けたバウムテストと、
自閉症スペクトラム指数を図るAQテスト、
2回目の受診で受けた、
大人のADHDを判断するためのASRSテスト、
そして3回目の受診で受けた、WAIS-IIIの検査結果をまとめた、

「発達障害の総合的所見」

と書かれた紙を手渡されました。


「ASD(自閉症スペクトラム障害)の可能性が高いといえます。」

の表記には、

「そうだろうな」

と思った私でしたが、

「AD/HDの可能性があります」

という表記には、ちょっとビックリ。

「不注意の傾向が高いといえます」

という表記には、
集中すると周囲の状況に気が回らなくなるため、
そんな評価を受けることもあるだろうな、と思いました。
(中学生の時、テストの最中に同級生が倒れ、
クラス中が騒然となったらしいのですが、
私だけテストに集中していて気付きませんでした)

医師からは、この検査結果を見て、

「知能が高いため、ASDの中のアスペルガー症候群と言われていたものに、
該当すると思います」

と言われました。

やはり検査結果には、
コミュニケーションに困難を抱えている様子が現れていて、

「どのような対策がとれるのでしょうか?」

と医師に聞いたところ、

「アスペルガー症候群のコミュニケーション能力が向上することはありません。
話す時に一呼吸おくなどの行動を取ると良いですが、
知能が高いため、自分で出来ると思います」

と言われました。

その他の医師がやった方が良いという提案については、
職場の周囲の人にカミングアウトして協力を仰ぐといった、
管理職である自分には取れない行動以外、
全て実行済みのものばかりでした。

医師から伝えられる言葉が、

「今後はこのように生きていってね」

といった内容ばかりだったため、
 
「私は通院する必要はないのでしょうか?」

と医師に尋ねると、

「現在困っていることが無ければ不要です。
二次障害が発症したり、困ったことがあった時に、
予約を入れてください」

と言われ、診察室を出る時には、

「もう来ないことが一番良いですけれどね」

とエールのような言葉をかけられました。

私は診察室を出ながら、

「これがASDは診断がつくだけで治療はないということか!」

と、かなり強い衝撃を受けていました。

ASDは持って生まれた器質だから、
治療する方法は無いと知ってはいたものの、
いざ「ASDだと思われます」と言われたまま、
診察室の外に送り出されると、
少し、心許ない気持ちになりました。

診察料を支払う時に、事務員の方の隣に、
私にWAIS-IIIの検査をしてくれて、
コミュニケーションに関する支援を望むなら支援したいと言ってくれた、
臨床心理士の方が立っていたのですが、
事務員の方から、

「先生は次の診察は何と言っておられましたか?」

と聞かれ、

「通院する必要はないので、困った時に予約してくださいと言われました」

と伝えると、
臨床心理士の方は私の方をジッと見つめていたものの、
特に何か意見を言うことはなく、
私も医師から特に困っていないなら通院の必要は無いと言われ、
現在、心身を病むほどの状態にはいないため、
臨床心理士の方が私に行おうと思っていた支援内容を聞くに聞けず、
お互い無言で物言いたげに見つめあったまま、
私は精神科を後にしました。

これが、治療法のない、
ASD(自閉症スペクトラム障害)の現状なんだな。

と、改めて実感しました。

そして、このように決意したのです。

誰にも頼れないのなら、私は自分で自分の状態を改善しよう!

自分で問題に対応する能力があるから通院は不要だと、
医師の方が認めてくれるくらいの知能があるのなら、
私はその知能を自分の状態を改善するために活用しよう、って。

だって私には、絶対叶えたい野望があるのです。

それは、、、

生まれてきて良かったと思って人生の最期を迎える。

というもの。

父親から「女の子なら要らない」と言われて、
兄から「お前がいなければうちの家族は上手くいく」と言われて、
母親から「お前のことは理解出来ないから放っておく」
と言われた私が、
自分を生かしておくために見つけた、
自分の人生に抗う大きな野望。

それは、発達障害や愛着障害を抱えながら生きていては、
とうてい成し得ないものでした。

平成最後の日。

私は自分の人生に生きる意味を見つけました。

発達障害と愛着障害を改善して、幸せに生きられることを実践する!

そんな大きな目標を、掲げたのでした。