マルトリートメントと私36.父から毎晩行われていた行為 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

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25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、

マルトリートメントと私1.私の1番古い記憶

をご覧ください。

 
幼少期のまでの記事はこちら。

マルトリートメントと私20.貯まらないお金

マルトリートメントと私21.父親を迎えにいく小学生

マルトリートメントと私22.問題児認定

マルトリートメントと私23.先生からの無視

・ マルトリートメントと私24.破かれた日記

マルトリートメントと私25.失った味方

マルトリートメントと私26.記憶の奥底の恩人

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【性的な話が含まれますので、苦手な方は読まないでください】

休日の朝に父から言われた、

「俺の◯◯◯◯(性器の名前)を触った手で食べてらぁ」

という言葉。

聞き間違いであって欲しいとの私の願いは、
無残にも打ち砕かれました。

私は寝ている間、
父の性器を触らされていることに、
気付きながらも、
父が怖いという思いから、
父の隣で寝ることを拒むことが出来ず、
だからといって、

「それくらいのことで泣くな!!」

と怒られた私は、
このことで誰に助けを求めることも、
出来ませんでした。

家族の中に味方はいなかったし、
学校で問題児認定されていた自分が辛くて、
普通の子供になろうと努力していた私には、
こんな、明らかに普通でない家庭の状況を、
相談できるほど親しい友達も、
気を許せる先生もいませんでした。

父は毎晩、
私が寝ついた頃合いを見計らって、
私の右手を自分の下着の中に潜り込ませ、
自分の性器を撫で回させて、
寝ているフリをしている私の頭上で、
興奮した荒い息を吐き出していました。

私は自分が起きているのがバレたら、
もっと父から、
酷いことをさせられると思っていたため、
いつもこの行為が始まると、
ギュッと目をつぶって、
ただひたすらこの行為が終わるのを、
待つしかありませんでした。

何回か、
寝返りのフリをして、
父のズボンから手を取り出して、
父に背を向けたこともあったのですが、
父はそうすると以前も私にしたように
私を背後から抱き寄せるような形を取り、
しばらく私の様子を窺ってから、
私が寝ていることを確信すると、
また私の右手を取り、
自分の下着の中に私の手を突っ込んで、
性器を触らせることを再開しました。

私の右手は、
毎晩父によって、
父の性的興奮を煽る道具となっていました。

いえ、
私と同じく父の隣に寝ていた兄には、
こんな行為を、
父は行わなかったのですから、
父にとっては私という、
"女の子"の存在自体が、
父の性的興奮を煽る、
道具だったのかもしれません。

生まれた時に、


と父に言われて、
家庭内で居場所を求めることを、
諦めた私が、
成長するに従って、
女の子であるが故に、
父の関心を引くことになったのは、
なんとも皮肉な結果でした。

けれど私は、
こんな関心を実の父親から持たれるくらいなら、
要らないと言われ続けた方が、
よっぽどマシでした。

私は以前にも増して、
家の中の物置に引きこもるようになったのですが、
父は性的興奮を得たい時以外は、
以前どおり、
私の存在を疎ましがっていたため、
相変わらず、そんな私を、
「穴熊ちゃん」と言って馬鹿にし、
不気味な子供だと嘲笑いました。

兄はそんな私に、
冷めた目を向けていただけでした。

けれど小学生の女の子の私が、
物置にこもるといった行動に及ぶ理由が、
あの時のあの家には確かにありました。

父の横で同じ布団に寝ていた兄が、
父が私にさせていた行為を、
本当に知らなかったのかどうか、
私には分かりません。
(兄とこのような話をしたことはありません)

もし本当に、
実の父親が自分の妹で、
あんな荒い息遣いをしているのに、
父の横にいて気がつかなかったのなら、
それはとても幸せな人だと言えるでしょう。

そして子供の頃には、
母の言葉の意味が分からなかったけれど。

父の寝間着のズボンや下着が、
汚れていると、
洗濯の時に母が、
文句を言っていたことがあったので、
もしかしたら父は、
私に手で触らせたまま、
射精していたことが、
あったのかもしれません。
(その当時の私には、
そのような性知識はありませんでした)

でも、やはりそんな状況の私に、
差し伸べられる手はありませんでした。

もう、これ以上。

どうやって生きていったらいいか、
子供だった私には分かりませんでした。