小学校時代の記事はこちら。
事実と違っている可能性があります。
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私の目には父は、
「家族は自分に従属するもの」
と考えているように映ったのですが、
父自身は時々、
「俺は子供達の肥やしになる」
といった、
びっくりするような発言をすることがありました。
きっと人の気持ちを思い遣ることが出来ない、
発達障害の傾向があった父にとっては、
何か1つ、子供のためにしただけでも、
自分の身を犠牲にした尊い行動に映ったのだと思います。
そんな父はやはり時々、
家族全員を居間にあるコタツに集めては、
家族会議を開くことがありました。
「俺は大事なことは家族で話し合って決める」
家族会議を開く時には、そんな言葉を口にする父でしたが、
急に仕事を辞めてくるなど、
家族が生活出来なくなるような重大な決断の相談を、
されたことは無かったため、
今にして思えば、
自分で決められない事柄だけを、
耳触りのいい言葉に変えて、
私たち家族に決定の責任を、
押し付けていたのだと思います。
この日の家族会議も、
まさにそのような内容でした。
父は家族を集めると、
子供達に向かって、
重々しくこんな言葉を口にしました。
「お前たちは弟か妹が欲しいか?」
私はこの言葉に怯えました。
今でさえ、家族の中に居場所が無いのに、
これで弟か妹がやってきて、
その弟か妹を中心に家族が結束してしまったら、
私は今以上に、
この家族の中に居場所が無くなって惨めになる、
そう思いました。
「私は別に要らない」
私は自分の身の保身のために、そう答えました。
自分が家族の中に居場所が無いのは、
自分が家族の中で一番年下で、
何の役にも立たないからだと、
自分なりの理由をつけて納得しようとしているのに、
これで弟か妹がやってきて、
家族の皆んなに可愛がられてしまったら、
私はどうやって自分の家族の中の立ち位置を、
自分に納得させたらいいのか、
全く分かりませんでした。
兄も、
「僕も特にいらない」
そう答えました。
その間、母は無言でいました。
父は私たち兄妹の意見を聞くと、
「よし、分かった」
と言って、家族会議を終わりにしました。
私は兄も要らないと言ったことで、
3人兄妹になって、
その中で兄と弟か妹が仲良くなり、
自分1人が孤立することも、
弟か妹を中心に、
自分以外の家族が仲良くなって、
私だけ忘れられる状況は回避出来たと、
ホッと胸を撫で下ろしました。
それから数日後のことです。
父はまた、家族会議を開き、
私と兄に向かって、
こんな言葉を言いました。
「お前たちが要らないと言ったから、
お前たちの弟か妹を、
母さんはおろしてきた」
小学校3年生だった私には、
父の言っている言葉がよく、
理解出来ませんでした。
父はそんな私たちの様子には構わず、
さらにむせび泣く風に下を向いて、
言葉を続けていきました。
「本当は俺は、男でも女でもいいように、
薫という名前も考えていたんだ。
でも、お前たちが要らないと言ったから、
母さんはお前たちの弟か妹を下ろしてきて、
薫は生まれてくることが出来なかったんだ」
その当時の私に、
子供が出来る仕組みはあまり分かっていませんでした。
ただ、兄がどういう意図で、
弟か妹が要らないと言ったかは分かりませんでしたが、
私は自分がこの家族の中で居場所が欲しいという、
自分本意の欲望のためだけに、
1人の人間の誕生を阻んだのだということだけは、
理解することが出来ました。
それは小学校3年生という子供の頭の中で、
「人殺し」
という単語と組み合わさりました。
その単語に実感は伴わなかったのですが、
やはりこの出来事は私の心の中に、
罪悪感を植え付けました。
私はその父の話からしばらくして、
1人で洗濯をしていた母に、
そっと話しかけました。
「お母さんは私とお兄ちゃんが反対したから、
子供をおろしたの?」
私がどのような心境で母にこの質問をしたのか、
多分、母は気付いてくれたのだと思います。
「それだけじゃないよ。
お母さんはその(赤ちゃんが出来た)時、
とても強い薬を飲んでいたから、
産むのが怖かったからおろしたんだよ」
私と兄の言葉だけで、
薫の出生が決められたのではないと分かって、
私は少しホッとしたのですが、
それでも自分の発言の影響力が0ではないということは、
私にやはり罪悪感を残しました。
もし父が、
何で弟か妹が欲しいかを聞くのかの、
理由を説明してくれていたなら、
もう少し違った答えをすることが、
出来ていたかもしれません。
けれど私はその質問の意図に気付くことなく、
その時にはもう、弟か妹の生命が宿っていたことなど考えもせず、
自分のちっぽけな居場所が脅かされるのを恐れて、
自分を守る発言をしたのでした。
今でもこの時のことを思い出すと、
私ももちろん酷い人間だと思いますが、
父はさらに、酷い人間だったと思います。
「子供をおろす」
という生命の選択の責任を、
小学校4年生と3年生の子供に、
丸投げしてしまったのですから。
そして、父は言うのです。
「子供達の意見を尊重した」
のだと。
私は父の、
自分を正当化して人に責任を押し付ける、
こんな部分が嫌いです。
父がこの出来事を、
自分の中でどのように受け止めていたのかは、
私には分かりませんが。
少なくとも、自己肯定感の低かった私は。
生きることに絶望するたびに、
こんな自分が生きるための居場所を得るために、
薫が生まれてくる機会を奪ってしまったことを悔やみ、
私が生きているよりも薫が生きていた方が、
よっぽど良かったのではないかと、
自分を責めてしまうことになったのでした。
マルトリートメントと私31.普通を教わる小学生に続きます。