小学校時代の記事はこちら。
※自分の記憶に基づいて書いているため、
事実と違っている可能性があります。
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【性的な話が含まれますので、苦手な方は読まないでください】
父が怖くて嫌だと言うことが出来ずに、
父と毎日一緒にお風呂に入って、
父を喜ばすために、
父の性器を刺激するといった行為を、
繰り返していた私でしたが、
唯一の救いは、
その当時の我が家のお風呂は手作りで、
他の部屋との仕切りは、
吊り下げられたビニールシートだけであり、
浴槽がかなり深かったということでした。
父は自分の性器に対する刺激を、
私の足ではなく、
手でして欲しかったようでしたが、
父と私が2人で浴槽に浸かると、
お湯が浴槽の縁まで溢れてくるため、
子供の私の手を父の性器に触れさせるには、
私が少しお湯に潜るか、
父が腰を持ち上げなければならず、
扉さえないようなお風呂場で、
もし、母が何かの拍子に、
扉がわりのビニールシートをめくって、
そんな姿をウッカリ母に見つかったら、
言い逃れが出来ないため、
父は条件が揃った時以外は、
(お風呂のお湯が少ない等)
私に手で触ることを求めてきませんでした。
(浴槽が深くて触れない演技もしていました)
けれどそろそろ、
そんな刺激だけでは、
父は満足出来なくなってきたのでしょう。
いつもは私が父の性器を刺激して、
満足すると父は先にお風呂を上がるのに、
その日は一向に、
父がお風呂を上がる気配がありませんでした。
それどころか、
「じゅんはまだ風呂から上がらないのか」
と言ってきました。
私はいつもと違う父の様子に、
身の危険を感じていました。
我が家の浴槽は深く、
父の方を向いたまま浴槽から出るためには、
私は父の前で股を大きく広げて、
浴槽を跨ぎ超えるしかありませんでした。
(我が家のお風呂場は手作りのため、
コンクリートで固めた床に浴槽が置いてあるだけの代物で、
浴槽の縁から床までかなり高さがあり、
子供がお風呂に入るにも出るにも、かなり大変でした)
父が私が浴槽を跨ぎ超えるのを、
狙っている気配を感じとっていた私は、
「まだ上がりたくない」
と言い続けていましたが、
父の機嫌がどんどんと悪くなり、
私は意を決するしかありませんでした。
なるべく素早く浴槽を跨ぎ超えようと、
「じゃあ、上がる」
と言ってすぐに股を広げたのですが、
やはりずっと狙っていた父の手からは逃れられず、
私は自分の性器の部分を父の手で触られてしまいました。
来るとは分かっていたものの、
私は自分の父から性器を触られたショックで、
大声で泣きだしてしまいました。
私の泣き方が異常なのを察した母が、
お風呂場の隣の台所から顔を出しました。
「どうしたの!?」
母にそう問いかけられても、
お風呂場のコンクリートの床に座り込んで泣いている私は、
あまりのショックにただ泣くだけで、
今現在起こった出来事を母に話すことも出来ず、
父はそんな状況が気に食わなかったのか、
乱暴に浴槽から立ち上がると、
泣いている私の横を無言で通り過ぎ、
母の隣まで行くと、
「俺がこいつの◯◯◯を触ったら泣きだしやがったんだ!!」
と、
吐き捨てるように言って立ち去りました。
母はそんな父に、
何か言葉をかけたようですが、
父は怒るばかりのようでした。
私はその間、
父に触られた体の一部が気持ちが悪く、
ただただおぞましさで泣き続けていました。
母は父に言葉が通じないと分かると、
すぐに私の元に戻ってきて、
火がついたように泣き続ける私に、
こう怒鳴りました。
「お前もそれくらいのことで泣くな!!」
私は母のこの言葉に衝撃を受けました。
母から「それくらいのこと」と言われた行為は、
理性よりも本能でおぞましく感じる行為で、
私はその時もまだ、
父に触られた箇所が気持ち悪くてたまりませんでした。
けれど、母にそう怒鳴られて、
お風呂場のコンクリートの床の上に、
1人取り残されてしまった私は。
何とか自分1人で、
感じている気持ち悪さをなだめて、
泣き止んで、
お風呂から上がるしかありませんでした。
「この家に私の味方はいないのだ、、、」
何度も何度も噛み締めてきたこの思いを、
私は改めて感じることしか、
出来ませんでした、、、
マルトリートメントと私35.ゾッとした父の発言に続きます。