マルトリートメントと私41.私が嘘つきになる理由 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。


私がなぜ、自分の生育歴を振り返るようになったのかは、

マルトリートメントと私1.私の1番古い記憶

をご覧ください。

 
幼少期のまでの記事はこちら。

マルトリートメントと私20.貯まらないお金

マルトリートメントと私21.父親を迎えにいく小学生

マルトリートメントと私22.問題児認定

マルトリートメントと私23.先生からの無視

・ マルトリートメントと私24.破かれた日記

マルトリートメントと私25.失った味方

マルトリートメントと私26.記憶の奥底の恩人

マルトリートメントと私27.ポケットの中のお守り

マルトリートメントと私28."穴熊ちゃん"

マルトリートメントと私29.子供の限界

マルトリートメントと私30."弟か妹が欲しいか?"

マルトリートメントと私31.普通を教わる小学生

マルトリートメントと私32.変わってきた父の態度

マルトリートメントと私33.父とお風呂でしていたこと

マルトリートメントと私34.父に触られた体

マルトリートメントと私35.ゾッとした父の発言

マルトリートメントと私36.父から毎晩行われていた行為

マルトリートメントと私37.汚れてしまった私

マルトリートメントと私38.死ぬという希望

マルトリートメントと私39.現れた救い

マルトリートメントと私40.私のせいにされた父の夢


※自分の記憶に基づいて書いているため、

事実と違っている可能性があります。
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前回のことだけではなく、
私は兄が起こった出来事を覚えていないせいで、
嘘つき呼ばわりされることが、
たびたびありました。

例えば兄が、

「もう要らない」

と言って捨てようとした物を、

「じゃあ、私にちょうだい」

と言って私が大切にとっていると、
しばらくしてから、

「それは俺のだ!」

と言って兄から取り上げられてしまったり、
母と兄と私で、

「こうしよう」

と話し合って決めたことを私だけ覚えていて、

「何でこんなことしたんだ」

と兄と母から言われたり。
(父は人と意見を合わすことが出来ず、
自分の思ったとおりにしかしないため、
家族の中の細々とした話し合いは、
父抜きで行われていました)

そして、何度かこんなことが繰り返されたある日、
兄からこんな言葉を言われました。

「お前が言っていることが正しいかもしれないが、
誰も覚えていない以上、その出来事(約束)は無かったことと同じだ」

この言葉は、私にとても衝撃を与えました。

間違っていてもマジョリティ(多数派)が勝つのだと、
堂々と言い放つ兄の姿に、
ASD(自閉スペクトラム症)で、
物心ついた時からマイノリティ(少数派)の感覚を持っていた私は、
自分を踏みにじられるような、
とても悔しい思いを感じました。

そんな言葉がまかり通る世の中はおかしい!!

と私は思いましたが、
けれど現実は、
兄のその発言どおりになっていました。

私は皆んなが忘れているような出来事や約束を、
なぜか1人だけ覚えていることが多い子供でした。

そこに、
決められたことは守らなければいけないと頑なに考える、
ASDの特性が加わるため、
誰もが忘れ去った約束を、一人一生懸命に守り続けていました。

そして、約束を守らない人(この場合には兄)に対して、
私が怒って抗議することになるのですが、
けれど、母と兄と私で話し合って決めた約束事は、
よく母と兄から忘れられていて、
そのせいで私が兄に難癖をつけているように思われ、
兄と私が喧嘩になることがありました。

このような理由で兄妹喧嘩になった場合、
私は自分が正しいので、
絶対に折れたりなどしなかったのですが、
私以外、
誰一人覚えていない約束の上に、
元々話し合いから除外されていた父にとっては、
喧嘩の理由などどうでもよかったらしく、
運悪く、
兄との喧嘩の最中に父が帰宅した場合、
(私は父の前では自分の感情をあまり出さなかったため、
父が初めから家にいる時に、
兄と喧嘩になるようなことは殆どありませんでした)
理由など聞かれる間も無く、
問答無用に喧嘩をやめるように怒鳴られるのは、
父から大切にされていた兄ではなく、
決まって父に疎まれていた私でした。

一般的な家庭では、
小学生の兄と妹が喧嘩をしていて、
懲らしめるために家から追い出す場合、
夕方暗くなってきていたら、
危ないからと追い出すのを止めたり、
どうしても追い出す場合、
男で年上の兄を、
家から追い出すのではないかと思うのですが、
私の家庭では必ず私が家を追い出されました。

一番酷かった時には、
家の庭に放置されていた、
プラスチックのオモチャの箱に溜まっていた、
ボウフラの湧いた雨水を頭からかけられて、

「出て行け!!」

と父から怒鳴られました。

私は父からこう言われたら、
抗うことなく黙ってすぐに出て行きました。

元々、出て行きたいと願っていた家だったため、
追い出してくれるなら何の未練もありませんでした。

私は家を追い出されると、
山道を通って、
家の近くにあった町の文化センターに、
よく行っていました。

そこは夕方になったら人がいなくなるため、
家を追い出された惨めな姿を人に見られなくて済むし、
屋根のある駐輪場があったため、
雨が降ったとしても濡れることもなく、
子供が1人うずくまっていられました。

茜色から紫色に変わっていく空を見ながら、
私はよくそこで、
今後どうやって生きていくかを夢想しました。

この町は出て行こう。

電車に乗って遠くに行こう。

自分を必要としてくれる場所を見つけよう。

そんなことを考えて、
傷ついた自分の心を慰めながら、
私はいったいどれくらいの時を、
そこで過ごしたでしょうか。

すっかり夜の帳が下りてきて、
空に星が見える頃になると、
毎回決まってまだ不機嫌そうな顔の父が、
私の前に現れて、

「帰るぞ」

と凄味を聞かせた声で言い、
無言で私の前を歩きだしました。

それは私についてこいという合図で、
私はそんな父に付き従うのは嫌だったのですが、
無言で不機嫌な父が怖かったのと、
どんなに家を出るのに憧れていても、
やっぱり夜の真っ暗な中、
1人で外で寝るのは心許なかったため、
やはり無言で、
父の後ろについて家に帰りました。

父は兄と私が喧嘩をするたびに、
何回も私を家から追い出し、
毎回しばらくすると、
(母に言われたからかもしれませんが)
私を探しにきて、
そして家に連れて帰るという行為を繰り返しました。

兄との喧嘩の理由を、
父に正しく聞いてもらえたことは、
私の記憶の中では一度もありませんでした。

父にとって、何かあった時に悪いのは、
いつでも私だったようでした。

私が1人覚えていた出来事(約束)は、

「私に都合のいい嘘」

として認識され、
父と兄に受け入れられることはありませんでした。

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このブログを書いていた時に浮かんだのは、
臨床心理士から言われた言葉でした。

「自分の知能がかなり高いために、
言わなくても相手が理解すると考えて、
コミュニケーションが上手くとれていない可能性があります」

私1人だけ出来事や約束を覚えていたのも、
もしかしたら、知能が関係していたのでしょうか?

相手も自分と同じように覚えていると考えていたことが、
兄とのコミュニケーションが、
上手くとれなかった理由だったのでしょうか?

もし、そうだとしたら。

私は自分が発達障害ではないかと疑って、
知能検査を受けて、
知能的に問題は無いと言われたものの、

「多くの人と同じタイミングで忘却しない」

という、
自分はマジョリティ(多数派)では無いという事実は、
やはり生きる上で、
困難の要因になるのだ、と思いました。