小学校時代の記事はこちら。
※自分の記憶に基づいて書いているため、
事実と違っている可能性があります。
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前回のことだけではなく、
私は兄が起こった出来事を覚えていないせいで、
嘘つき呼ばわりされることが、
たびたびありました。
例えば兄が、
「もう要らない」
と言って捨てようとした物を、
「じゃあ、私にちょうだい」
と言って私が大切にとっていると、
しばらくしてから、
「それは俺のだ!」
と言って兄から取り上げられてしまったり、
母と兄と私で、
「こうしよう」
と話し合って決めたことを私だけ覚えていて、
「何でこんなことしたんだ」
と兄と母から言われたり。
(父は人と意見を合わすことが出来ず、
自分の思ったとおりにしかしないため、
家族の中の細々とした話し合いは、
父抜きで行われていました)
そして、何度かこんなことが繰り返されたある日、
兄からこんな言葉を言われました。
「お前が言っていることが正しいかもしれないが、
誰も覚えていない以上、その出来事(約束)は無かったことと同じだ」
この言葉は、私にとても衝撃を与えました。
間違っていてもマジョリティ(多数派)が勝つのだと、
堂々と言い放つ兄の姿に、
ASD(自閉スペクトラム症)で、
物心ついた時からマイノリティ(少数派)の感覚を持っていた私は、
自分を踏みにじられるような、
とても悔しい思いを感じました。
そんな言葉がまかり通る世の中はおかしい!!
と私は思いましたが、
けれど現実は、
兄のその発言どおりになっていました。
私は皆んなが忘れているような出来事や約束を、
なぜか1人だけ覚えていることが多い子供でした。
そこに、
決められたことは守らなければいけないと頑なに考える、
ASDの特性が加わるため、
誰もが忘れ去った約束を、一人一生懸命に守り続けていました。
そして、約束を守らない人(この場合には兄)に対して、
私が怒って抗議することになるのですが、
けれど、母と兄と私で話し合って決めた約束事は、
よく母と兄から忘れられていて、
そのせいで私が兄に難癖をつけているように思われ、
兄と私が喧嘩になることがありました。
このような理由で兄妹喧嘩になった場合、
私は自分が正しいので、
絶対に折れたりなどしなかったのですが、
私以外、
誰一人覚えていない約束の上に、
元々話し合いから除外されていた父にとっては、
喧嘩の理由などどうでもよかったらしく、
運悪く、
兄との喧嘩の最中に父が帰宅した場合、
(私は父の前では自分の感情をあまり出さなかったため、
父が初めから家にいる時に、
兄と喧嘩になるようなことは殆どありませんでした)
理由など聞かれる間も無く、
問答無用に喧嘩をやめるように怒鳴られるのは、
父から大切にされていた兄ではなく、
決まって父に疎まれていた私でした。
一般的な家庭では、
小学生の兄と妹が喧嘩をしていて、
懲らしめるために家から追い出す場合、
夕方暗くなってきていたら、
危ないからと追い出すのを止めたり、
どうしても追い出す場合、
男で年上の兄を、
家から追い出すのではないかと思うのですが、
私の家庭では必ず私が家を追い出されました。
一番酷かった時には、
家の庭に放置されていた、
プラスチックのオモチャの箱に溜まっていた、
ボウフラの湧いた雨水を頭からかけられて、
「出て行け!!」
と父から怒鳴られました。
私は父からこう言われたら、
抗うことなく黙ってすぐに出て行きました。
元々、出て行きたいと願っていた家だったため、
追い出してくれるなら何の未練もありませんでした。
私は家を追い出されると、
山道を通って、
家の近くにあった町の文化センターに、
よく行っていました。
そこは夕方になったら人がいなくなるため、
家を追い出された惨めな姿を人に見られなくて済むし、
屋根のある駐輪場があったため、
雨が降ったとしても濡れることもなく、
子供が1人うずくまっていられました。
茜色から紫色に変わっていく空を見ながら、
私はよくそこで、
今後どうやって生きていくかを夢想しました。
この町は出て行こう。
電車に乗って遠くに行こう。
自分を必要としてくれる場所を見つけよう。
そんなことを考えて、
傷ついた自分の心を慰めながら、
私はいったいどれくらいの時を、
そこで過ごしたでしょうか。
すっかり夜の帳が下りてきて、
空に星が見える頃になると、
毎回決まってまだ不機嫌そうな顔の父が、
私の前に現れて、
「帰るぞ」
と凄味を聞かせた声で言い、
無言で私の前を歩きだしました。
それは私についてこいという合図で、
私はそんな父に付き従うのは嫌だったのですが、
無言で不機嫌な父が怖かったのと、
どんなに家を出るのに憧れていても、
やっぱり夜の真っ暗な中、
1人で外で寝るのは心許なかったため、
やはり無言で、
父の後ろについて家に帰りました。
父は兄と私が喧嘩をするたびに、
何回も私を家から追い出し、
毎回しばらくすると、
(母に言われたからかもしれませんが)
私を探しにきて、
そして家に連れて帰るという行為を繰り返しました。
兄との喧嘩の理由を、
父に正しく聞いてもらえたことは、
私の記憶の中では一度もありませんでした。
父にとって、何かあった時に悪いのは、
いつでも私だったようでした。
私が1人覚えていた出来事(約束)は、
「私に都合のいい嘘」
として認識され、
父と兄に受け入れられることはありませんでした。
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このブログを書いていた時に浮かんだのは、
WAIS-III検査の結果を聞いた時に、
臨床心理士から言われた言葉でした。
「自分の知能がかなり高いために、
言わなくても相手が理解すると考えて、
コミュニケーションが上手くとれていない可能性があります」
私1人だけ出来事や約束を覚えていたのも、
もしかしたら、知能が関係していたのでしょうか?
相手も自分と同じように覚えていると考えていたことが、
兄とのコミュニケーションが、
上手くとれなかった理由だったのでしょうか?
もし、そうだとしたら。
私は自分が発達障害ではないかと疑って、
知能検査を受けて、
知能的に問題は無いと言われたものの、
「多くの人と同じタイミングで忘却しない」
という、
自分はマジョリティ(多数派)では無いという事実は、
やはり生きる上で、
困難の要因になるのだ、と思いました。