小学校時代の記事はこちら。
※自分の記憶に基づいて書いているため、
事実と違っている可能性があります。
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私達家族が住んでいた借家は、
かなり傷んでいて家自体が傾いており、
襖の敷居の溝にビー玉を置くと、
コロコロと転がるほどだったため、
幼かった私と兄はよく、
そこでビー玉を転がして遊んでいました。
兄が小学校5年生、
私が小学校4年生に上がる頃になると、
家の傾きはますます激しくなり、
大工さんに診てもらったところ、
白蟻に柱がほとんど食べられてしまっていて、
修復は困難だということが分かりました。
そのような事情から、
引っ越しをしなければならなくなったのですが、
父と母は相談の上、
今度は借家を借りるのではなく、
家を建てよう、ということになりました。
そしてその相談の中で、
男と女の兄妹だから、
そろそろ私達にも、
1人部屋を持たせた方がいいだろう、
という話がまとまりました。
家を建てるとなると、
今の田舎の建築会社の給料では、
とてもやっていけないため、
父は大阪の会社に、
長距離トラックの運転手として、
出稼ぎに行くことになりました。
それは私にとって、
青天の霹靂ともいえる、
自分の運命が拓けた瞬間でした。
父が遠くに離れるということは、
父からいやらしい目で見られることも、
いやらしい行為をさせられることも、
無くなる、
ということでした。
車の運転が好きな父にとっても、
今の建築現場で働く仕事よりも、
長距離トラックの運転手の方が、
やりたい仕事のようでした。
そして。
きっと家族の目を盗んで、
小学生の娘で性的興奮を覚えるよりも、
大阪で、
大人の女性に相手をしてもらった方が、
父も良かったのでしょう。
父はあいも変わらず、
その後にされた行為のせいで、
父の前ですっかり、
感情が表現できなくなった私のことを、
馬鹿にする程度には、
私のことを不気味だと嫌っていたため、
他に相手がいるのであれば、
父は決して私で性的興奮を得たい訳では、
なかったのです。
私はきっと父にとって、
自分の自由に出来る、
道具の1つだったのでしょう。
けれど、
それは私にとって幸いなことでした。
父に執着されて、
あのような行為を続けられていたら、
私はきっと気が狂っていたでしょう。
そして、父親に可愛がられていた、
兄にとっても父は。
大人になって、
「あの時、親父が家から出て行かなかったら、
俺は真っ当に育つことが出来なかった」
と言わしめるほどに、
兄の精神に多大な害を与えていたようでした。
私達家族は、
父の出稼ぎという出来事によって、
何とか家族崩壊を免れることが出来たのでした。