幼少期のまでの記事はこちら。
小学生までの記事はこちら。
※自分の記憶に基づいて書いているため、
事実と違っている可能性があります。
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私は小学校に入学してから、
原因不明の、
肋骨の裏が攣るような痛みに襲われるようになり、
呼吸する度に刺すような激痛が走り、
呼吸出来なくなる状態に頻繁に陥りました。
その状態は私にとって、
とても苦しいものではありましたが、
自分が毎晩、
父親の性的興奮に利用されていると知ってからは、
「このような痛みがある自分は長生きしないに違いない」
と思うことが、
自分の正気を保つための希望となりました。
父親から、今以上の性的行為をされないために、
大人になってはいけないと思っていた私は、
「自分は小学生までで死ぬのだ」
と思い込むようになり、
その思い込みは、
私の中で自分の正気を保つため、
厳然とした事実として、
存在するようになりました。
そんな頃、
ASD(自閉症スペクトラム障害)の性質を持っていて、
小学校に馴染めなかった私を心配した母親は、
私を何とか集団生活に馴染ませようと、
檀家に入っていた寺が行なっていた、
檀家の小学生の子弟を集めた日曜学校に、
私と兄を通わせたのですが、
私はそこで、
仏教的な生死感を教えられ、
そしてASDの特性から、
「自殺したら極楽浄土に行くことが出来ず、
死んでからも永遠にその時の苦しみを味わうことになる」
というお寺の教えを、
そっくりそのまま信じた私は、
「この世でどんなに辛いことがあっても、
それはいつかは終わることだけれど、
自殺したら永遠に苦しみ続けるのだから、
自殺だけはしてはいけない」
と思っていました。
そして、
「南無阿弥陀仏」
と唱えれば極楽浄土に行けるのだから、
神様や仏様に一生懸命に祈れば、
ほかの願いも叶えてもらえると、
やはり本気で信じていた私は、
「どうか私を12歳(小学校6年生)で死なせて極楽浄土に行かせてください」
と、
毎日一生懸命に心の中でお祈りしていました。
その時の私の頭の中では、
神様と仏様の区別はあまりついておらず、
ただ神様や仏様は、
この苦しみから"死"という形で私を救ってくれる、
力を持った存在、と認識されていました。
この辛い生を自殺せずに終われば、
お寺でみた絵本の中の人達のように、
蓮の花の中で眠りながら、
極楽浄土へ行けるのだ、と思うことが、
私の救いになっていました。
けれど救いは、
私の願いとは全く別の、
父が出稼ぎに出て一緒に暮らさなくなる、
という形で現れました。
それで私の、
気が狂うような現状は終わりを告げたのですが、
だからといって、
家庭や学校に私の居場所があった訳では、
ありませんでした。
父親が家から居なくなろうとも、
私は母親からは
と言われ、
と言われた人間でした。
学校では普通に振る舞うストレスを抱え、
家では居場所が無かった私の、
肋骨の裏の痛みは、
やはり消えることはありませんでした。
そのためやはり、
自分は12歳で死ぬのだという気持ちも、
私の心の中から消えることはありませんでした。
だから自分が12歳の誕生日を迎え、
小学校を卒業しても、
肋骨裏の痛みは未だにありながら、
それでもこの世に生存していた時には、
私はどうしたらいいか分かりませんでした。
ただ神様や仏様は、
私にこの体や心の苦痛を味あわせたまま、
極楽浄土には連れていってくれないのだと、
そのことだけを認識させれれたのでした。