これまでの人生の
振り返りをしています。
 


 
 
写真を見返しながら
当時を思い出しながら
 
なかなか思い出せない所があったり
時系列がバラバラになったり…
 
 
 
 
 
 
 
これまでの振り返りは
 
厳しい環境で育ち
10代でPTSDと解離性障害だったことことを
24歳で重度のうつ病になった時に知りました。
 
 
 
 
物心ついてからは
ずっと精神疾患…
 
自殺や自傷行為を繰り返し
精神病に入院したこともありました。
 
 
 
 
結婚して子どもが生まれても
幸せを感じることができず
 
自分の心のことを知りたくて
心理学を学び始めます。
 
 
 
 
 
 
欠損した心では
結婚生活もうまくいかず
 
別居を機に
大阪から神戸に引っ越し
 
カウンセリングや心理学を伝える中で
そろそろ自分も過去と向き合おうと
自分の人生を歩むことを決めました。
 
 
 
 
 
前回の振り返りでは
母とのことを書きました。
 
 
2歳の時に離れ、25歳で再開したものの
許すことができない母に
会いに行ったところまで書きました。
 




 
 
 
今日は、PTSDや解離性障害の
キッカケとなった父との向き合いについて
 
私が行ってきたこと
心療内科でしてきたことをまとめてみます。
 
 
 
 
 
 
神戸に引っ越してカーテンもない時の写真
 
 

 
24歳の時に
はじめていった心療内科は
 
 
大阪鶴橋にある
「左診療所」でした。
 
 
 
とてもいい先生で
その後10年以上お世話になります。
 
 
 
 
 
最初は、うつ状態がひどかったので
1週間に1回の診察と
抗うつ剤や安定剤など
投薬治療がメインでした。
 
 
 
 
 
心理療法も取り入れていて、院内で
カウンセリングも受けることができました。
 
 
左先生に進められ
はじめてカウンセリングを受けることに。
 
 
 
 
 
すごく若い女性のカウンセラーさんで
「この人に話して私の何がわかるの…」
という、ひねくれた態度…
 
 
 
 
 
その時に、行われたのが
「認知行動療法」でした。
 
 
 
用紙に、自分の思考や感情を
書いていくのですが
 
これもなかなか取り組まず
「こんなこと書いてどうなるんだろう…」
と、不信感しかなかったです…
 
 
 
 
 
 
あとは、テープレコーダーで
トラウマとなった出来事を話し録音して
後で何度も聞くように言われ
渡されたのですが
 
 
話したことで少し具合が悪くなり
家では、聞くことができませんでした…
 
 
 
 
 
何をやっても続かない…
 
積極的に取り組めない…
 
 
 
自分がイヤになるばかり…
 
 
 
 
 
 
 
ある日
「自律訓練法」というのをやりました。
 
 
 
 
 
これは、心理学で学んでいて
どのような効果があり
どのような手順で行われるのか
既に知っていたので、抵抗なく行えました。
 
 
 
副交感神経を優位にしていく療法で
この時だけは、少し心地よい感覚を
自分の中に感じることができました。
 
 
 
 
そして、なにより
自分が知っている事は安心して取り組める
ということにも気付きました。
 
 
 
 
言われるがままではなく
知らないことは学びながら
心理療法を試していこうと思えたのです。
 
 
 
 
その後、左先生から
暴露療法なども提案されました。
 
 
 
エクスポージャー法と呼ばれる
不安障害に用いられる行動療法で
 
トラウマの克服のために
恐怖を抱いているものと
直面するように進められました。
 
 
 
私も場合だと
父に対して、すごく恐怖を抱いていたので
まずは、実家の最寄り駅まで行ってみること
 
 
想像しただけで
怖くて嫌な気分になりました。
 
 
 
 
 
ここからスタート。
 
 
 
いつもイメージしてみました。
 
少し慣れてくると
実際に行こうと電車に乗ってみます。
 
 
しかし、近くの駅になると
怖くなって進めなくて…
 
 
行けるところまで繰り返しました。
 
 
 
そして、かなり時間がかかりましたが
最寄り駅まで行く事ができたのです!
 
 




しかし、改札から出ることは
できませんでした…
 
 
 
父が住んでいましたし
もし、会ったらどうしよう…
 
 
そう思うと、不安で不安で
手が震え、パニックの発作のような
苦しさに襲われました。
 
 
 
 
それでも、自分の中では
最寄り駅まで行けたことがすごくて
それだけで前に進めたように思いました。
 
 
 
 
 
日々の生活の中でも
フラッシュバックみたいなことは
よくありました。
 
 
例えば、本屋さんで本を選んでいる時
後ろに背の高い男の人が立ち止まると
それだけで恐怖。
 
ドキドキして怖くて動けなくなります。
 
 
 
男の人の大きな声も
身体がビクっとして硬直します。
 
 
物音にも敏感で
上の階の方の物音に
耳をすませ、聞き耳を立てながら
ビクビクするようなこともようありました。
 
 
 
家がコワイ
男の人がコワイ…
 
見捨てられるのがコワイ…
傷つけられるのがコワイ…
 
 
人は信用できない
特に男の人は信じてはいけない
 
 
そんな固定観念がありました。
 
 
 
 
 
 
こんな私に
心療内科の左先生は
 
 
「男の人は、怖い人ばかりじゃないですよ
優しい人もたくさんいます。」
 
 
「周りの人は敵ではないです。
みんなが傷つけてくるわけではないですよ。」
 
 
「こんな経験をしてきて、よくやっていますよ。
ちゃんと子育てもやっていますよ。」
 
 
「よくできましたね。無理のないようにね。」
 
 
限られた診察の時間に
たくさんの優しい言葉がかけられました。
 
 
 
 
 
「がんばれ」
「応援してるよ」
 
などの言葉をかけられることはあっても
 
「よくやっている」
「よくできた」
 
などの言葉は、小さなころから
あまり受け取ることがなく
 
私が私で存在していいのかな
と感じるあたたかい言葉でした。
 
 
 
 
 
先生がいる
 
何かあっても先生がいるから
大丈夫という信頼感があり
 
心理療法にも取り組めました。
 
 
 
 
 
あるとき、父が入院したと
連絡がありました。
 
 
瞬時にドキっと反応はしちゃうものの
病院にお見舞いに行くことにしました。
 
 
 
 
どんな顔して会おう
なに話そう
 
 
重たい重たい思考が流れながらも
前に前に進み、病院へ
 
 
 
何回か入院し
何回かお見舞いにいったことがあるので
 
どの時の会話か
あまり覚えていないのですが
 
 
 
 
「お母さんに会いに行ったんか?」
 
と聞かれたことがありました。
 
 
 
その瞬間、勝手に会いに行ったことを
怒られるんじゃないかって
思考も流れましたが
 
「元気やったか?どうしてた?」
 
って普通でした。
 
 
 
 
 
病院のごはんばかりだと味気ないかなっと
簡単なおかずを作っていった時は
 
「うまい!さすがお父さんの子や!」と
笑って食べてくれたり
 
 
「仕事はどうや?」と話を聞いてくれて
 
「よう、がんばってるな」と言ってくれたり
 
 
 
 
 
私の中にいた父は
 
大きくて力が強くて
無口でお酒ばかり飲んで
よく怒って暴れて
どうしていいか分からなかったけど
 
 
 
 
でも目の前にいる父は
 
思っていたよりも小さくて
普通に喋るし、笑ってる
私の話に耳を傾けたり
褒めたりしている
 
 
 
 
 
私は、ずっと親のことを
良くない面だけしか見れなくて
 
それが全てと決めつけ
自分の中の幻想の親が
本当の親のようになっていました。
 
 
 
 
 
 
小さい頃の自分から見たら
大きな父でしたが
 
成長し大人になった私から見たら
すごく小さく感じました。
 
 
 
 
 
私は、色んな物事を
自分で歪ませて
見ているのかもしれない。

 
 
 
 
 
 
ある時、子ども達を連れて
父とご飯を食べに行った時は
 
 
娘(父にとっては孫)を
「かわいいな」と抱っこしたり
 
枝豆を取り出して食べさせてあげたり
「ゆうこにそっくりや」と笑ってたり
 
そんな姿をみたら
 
もしかしたら私も
こんな風に抱っこしてもらっていたのかな
 
と、心が温かくなりました。
 
 
 
 
 
子どもの頃は、記憶にないですが
大人になってでも、親に褒められるって
 
こんなにも嬉して
心が豊かになるんだと驚きました。
 
 
 
 
凍っていた心が
だんだん溶けていき
 
 
 
父、母を赦し
 
自分を許し
 
すべてを恕する
 
 
 
思いやりの心で
罪や過ちをゆるすことができたのです。
 
 
 
 
 
親を許せない時は
自分も許せないし
他の人も許せなくて
 
 
 
長く続いた苦しみ
 
 
精神疾患から20年
うつになって10年
 

 
今までずっと持っていた
錨ののように重たいものを
 
ようやく下すことができ
前に進めるようになったのです。
 
 
 
 
 
 
はじめて子ども達をユニバに連れて行った時の写真
 
 
1人で3人の子を連れていくこと
テーマパークみたいな所へいくこと
 
すごくクタクタで疲れました…
 
 
 
 
 
 
娘がいろんなことを見せてくれて
気付かせてくれました。
 
生まれた時から
私の大先生です♡
 

「ままいつもがんばってくれて」って
書いてくれていますね。(*^^*)
 
 

 

 

 
 
 

 

【これまでの振り返り】

 

 

1歳半で妹が生まれ

その少し後に母が姿を消した0~2歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12599393390.html

 

 

母の実家、長野で

おじいちゃんとおばあちゃんに育てられた3~4歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12601763905.html

 

 

父の実家に引き取られ、保育園に通った5~6歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12603427917.html

 

 

父が再婚し、お母さんができた7~9歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12605189745.html

 

 

お母さんが家を出ていき

大きな喪失感に襲われた10~11歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12606005328.html

 


父子家庭になった12〜13歳

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家と学校のギャップに苦しむ13〜14歳

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トラウマの14歳(アメンバー限定記事)

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生きることが辛かった14〜15歳

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アルバイトをはじめた16〜17歳

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楽しさと悲しさ17〜18歳(アメンバー記事)

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家を出て働いた19〜20歳
未婚の母になった21歳
はじめて育児が大変だった22〜23歳
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うつになった24歳
母と再会した24歳
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心が病んだ25歳

人生の振り返り〜出逢い編〜(アメンバー記事)
解離性同一性障害を経験した26歳

生きようと動き出した27歳

妊娠中のパニックと不安の28歳
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3人の母となりブログから交友が広がった29〜30歳
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がむしゃらに動き自分のお店を持った31〜32歳


ネイリストとして頑張っていた33〜34歳

うまくいかなかった結婚生活27〜34歳(アメンバー記事)


人生の振り返り〜好きなこと編〜


子ども達3人とリスタートした34歳


母に会いに行った35歳