これまで生きてきた

人生の振り返りをしています。 

 

 

 

心が病んだ25歳からの続きです。

 

重たい内容が続きます

苦手な方は、ご遠慮ください。

 

 

 

 

 

父や母を恨み憎しみ

許せない負のエネルギーは

 

心を蝕み

心は病み


生きることが辛く

前に進めなくなりました。

 

 

 

生きる気力のない状態で

衝動性だけは、どんどん増し

 

ついに自分を破壊するような

自傷行為を繰り返すようになりました。

 

 

 

 

そして、ある日

 

疲れ果て、休みたい

終わりにしたいと

 

たくさんのパキシルとデパスを

ビールで飲みました。

 


 

だんだんと遠のく意識の中

息子や妹、友人の顔がよぎり

ハッと、正気な自分を一瞬

感じられたようでした。


 

 

 

その後のことは

今も思い出せないままです。

 

 

 

 

後でつじつまを合わせてみると

このあと私は

 

家を出て、電車を乗り継ぎ

通っていた心療内科に向いました。

 

 

 

どんな服で

何を持って出たのか

 

たくさんの薬とアルコールの状態で

どうやって電車に乗ったのか

 

とても危ない状態でしたが

病院には着いたんだと思います。

 

 

 

 

私が、一瞬記憶にあるのが

担架に乗せられ救急車に運ばれる瞬間

妹の顔が見えました。

 

 

病院は、妹に連絡し

すぐに駆けつけてくれたんだと思います。

 

 


 

 

私が次に目を開けた時は

白い光の中で

 

「あれ?ここはどこ?」と

いうような感じで

 

 

 

 

生か、死か…

 


 

 

 

身体の重みと

ズキンと激しい頭痛に

生きていることが分かりました。

 

 




心療内科から堺市にある

精神病院へ運ばれていました。



 

 

どのくらい眠っていたのかも

全く覚えてなくて分かりません。




 

起きてもまだフラフラで

意識はもうろう…


 

 

そのまま精神病院に

入院することになります。



 

 

私が入院した病院の写真


 


きっと、妹が入院の支度を

用意してくれたんだと思うます。

 

 

今、こうして当時のことを

思い出しながら書いていると

 

妹は、すごく悲しくて

すごく怖かったと思います。

 

本当に申し訳ないことをしてしまいました。

 

 



 

入院した精神病院には

色んな病棟があり

最初は、一般病棟のようなところへ。

 



 

すごく静かで

療養するにはいいところだと

今なら思うのですが

 

当時の私の中には

自分では押さえることのできない

自分ではない何かが強く存在し


 

「生きている価値はない」

 

「ダメな人間だ」

 

「もう死ぬしかない」

 


そういう声が止まらなくて…


 

穏やかに療養したい自分よりも

破壊の衝動に駆られる自分の方が

どんどん大きくなっていました。

 

 



 

ここからが本当に異常な行動を

繰り返すようになります。



 

 

ライターのガスを吸ったり

タバコを食べたり

階段から飛び降りようとしたり

 

 

とにかく自殺企図がひどく

病棟を移ることになりました。

 

 



1階の閉鎖病棟です。

 



 

ここは、重度の精神疾患の方がいる病棟で

叫び声やうろうろ歩き回っている人など

上の階とは、また全然違う雰囲気でした。

 

 



自分ではどうすることのできない

心と身体。

 

 



いつも落ち着かず

そわそわ動いている状態で

 

薬が切れてくれば

全身は脈打ち

 

大きな不安や激しい動機

居ても立っても居られなくて…

 

点滴での投薬もはじまりました。

 

 


 

パキシルの服用量は最大だったので

点滴からも投薬。

 



 

次第に破壊の衝動性に支配され

本来の自分とはかけ離れた

自分になっていたように感じます。



 

 

暴れては

牢屋みたいな部屋に入れたり

 

鏡を割って鋭利な部分で

深く手首を切ったり

 


精神は崩壊し

完全に薬物依存状態。

 

 

 

 

この時の手首の傷は深かったので

6針縫いました。

 

左手にあるリストカットの傷たちは

10年以上経っても今も消えることなく

 

夏のこの時期になると

半そでを着るのがイヤだったり


見られないように何年も隠すように

過ごしていました…

 

 




 

いつの間にか、すごい量の薬で

本当の自分ではありませんでしたが

 

 

フッと我にかえるような

まだ残っている本当の自分を

感じられる瞬間がありました。



 

「このままここにいては殺される」





薬から精神が崩壊するか

破壊の衝動性から自殺するか

 

どちらにしても

このままここにいては

「私」は死ぬと思いました。




 

すぐに、強引に退院の手続きをして

逃げるように病院を後にし

2ヶ月ほどの入院生活を終えました。


 

 

 

この退院の時、車で迎えに来てくれたのが

今の旦那さんだったみたいです。(覚えていません)

 

 

退院の時のエピソードも

ついこないだ初めて聞いて驚きました。



前回書いた、北新地での出逢いは

またアメンバー記事にします。


 

私は、薬の影響か病気か

記憶がない部分が多いのですが


今、当時のことを聞きながら

振り返ることができています。



 

 



 

退院後、ずっと通っていた

心療内科にいきました。

 

入院中のことを話すと

パキシルの服用を

すぐに中止することになります。

 

 

 

どうやらこのパキシルの副作用で

衝動性や自殺企図が起こっていたようです。

 

 

今は、すぐに調べられる時代になって

パキシルを調べてみると

いろいろな有害事象が報告されています。






【パキシル】▶︎Wikipediaより






治療のための薬で

いつの間にか…


 





このパキシルの恐ろしさは

それだけではなく

 

副作用には、服用を中断する時の

強い離脱症状ありました。

 





【パキシル】Wikipediaより





 

パキシルを一気にやめた私は

日常生活を送ることはできず

寝たきりの状態。


 

幻聴や幻覚に襲われ

布団の中で怯える日々


 


自分の中の衝動性や恐れなど

いろんな感情が激しく動き


やがてそれらの感情が

人格として動き出します。




多重人格の現れでした。




 


 

 

精神疾患の期間が長く

本当にいろんなことがありました。

 

この勢いで書いていたら

すごく少しずつしか進まないのですが

 

思い出しながら

端折りながら書いていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【これまでの振り返り】

 

 

1歳半で妹が生まれ

その少し後に母が姿を消した0~2歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12599393390.html

 

 

母の実家、長野で

おじいちゃんとおばあちゃんに育てられた3~4歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12601763905.html

 

 

父の実家に引き取られ、保育園に通った5~6歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12603427917.html

 

 

父が再婚し、お母さんができた7~9歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12605189745.html

 

 

お母さんが家を出ていき

大きな喪失感に襲われた10~11歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12606005328.html

 

 

父子家庭になった12〜13歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12607239314.html

 

 

家と学校のギャップに苦しむ13〜14歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12607665324.html

 

 
 

トラウマの14歳(アメンバー限定記事)

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12608557735.html

 

 

生きることが辛かった14〜15歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12608651679.html

 

 

 

 

アルバイトをはじめた16〜17歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12609830233.html

 

 

 

生涯の友ができた17〜18歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12610086407.html

 

 
 
家を出て働いた19〜20歳
未婚の母になった21歳
はじめて育児が大変だった22〜23歳