これまで生きてきた

人生の振り返りをしています。




 

21歳で長男を出産し

24歳で重度のうつ病になりました。

 

 


変わってしまった私の様子に

妹のよりちゃんは心配し

 

「もしかしたらお母さんに会わせたら

良くなるのではないか」

 

いろんな方に相談した結果

母を探してくれました。

 

 

 

母とは2歳のころに離れ

それから1度も会ったことがなく

顔も全く覚えていませんでした。

 

➣人生の振り返り(母が姿を消した0~2歳)

 

 

 

父の戸籍謄本から

母の実家へ手紙を書き

おばあちゃんが母に

連絡をしてくれたそうです。

 

 

 

当時、うつ病と診断されてから

半年以上を過ぎた頃

 

まだうまく笑えず

反応も鈍く

 

喜びや幸せとは無縁の

心は暗いトンネルの中でした。

 

 

 

それでも投薬治療によって

身体は少し動くようになり

一時期に比べると

日常生活もゆっくりできる位に。

 

 

 

 

 

「一緒に会いに行こう」

 

妹からの誘いに

会いに行ってみることにしました。

 

 

 

 

大阪から長野飯田市まで

初めての長距離運転

 

 

今から考えるとよく運転できたなと恐ろしい…

SSRIのお薬の力については

また次に書いていこうと思います。

 

 

 

なんとか母の実家に到着

 

そこには、確かに記憶にある

風景が広がっていました。

 

 

➣長野で育った3~4歳

 


 


この写真は、夏の時のもの

この景色が好きでした♡

 



私たちが到着すると

家の中から

 

おばあちゃん、おじいちゃんが出てきて

「よく来たね」と迎えてくれました。

 

 

そして、そこには

母の姿も。

 

 

 

母は泣きながら

「大きくなったね」

 

そんな言葉をかけながら

私たちの肩をさすっていたような

 

 

妹も泣いていたけど

私は涙が出なかった…

 

 

 

顔も覚えていなかったけど

会ったら確かに

 

自分の母親なんだ

という感覚にはなりました。


 

 

 

よくあるような

涙の再開みたいなことにはならず

 

 

ずっと、心に引っかかっていた事なので

会えたという喜びみたいなものは

あったんだと思うのですが

 

 


しかし、同時に

 



この人が自分の母親なんだと

確信したことにより

 


今まで味わったことのない

感情が私の中に

起こった瞬間でした。

 

 





 

2泊3日くらい滞在

 



長野の景色や空気感は

なつかしさのある安心感で

私の心を癒してくれました。

 


 

確かに記憶にある

おじいちゃんの存在や

おばあちゃんのぬくもり

 

 

どこまでも続く青空

 


草や土の匂い

 


静かな時間は

本当に心地よかった

 

 

なにより誘ってくれた妹の

嬉しそうに笑っている姿がみれて

来てよかったと感じていました。

 

 




 

 

長男も連れて行ってたのですが

この時の写真を見返すと

頭には500円玉よりも大きな円形脱毛

かなりストレスをかけていたのかもしれないです。




 

 

 

夜、寝る前に

母にずっと聞きたかったことを

聞いてみました。

 

 

 

「どうして私たちを置いて出ていったの?」

 


その問いに対し、母は

 

「あの時は、人の心じゃなかった

どうかしとったんやろうね。」と。


 

 

やっぱり誰も

当時のことを詳しくは

教えてくれないんだと

気持ちは落ち込み

 


当の本人でさえ

事実と向き合おうとしない

その姿勢に深く傷つきました。


 

 

そういうつもりじゃなかったとは思うんですけどね

私がそう感じたという話。

 

 

 


ただ、これまでの育ち方や

父のことなどを話すと

「ごめんね、ごめんね」と。

 

自分がいたら守れたんじゃないか

うつにもならなかったんじゃないか

 

傍に居てあげられなくてごめんね…

そんな気持ちが込められているようでした。

 

 

 

 

 

 

 

自分は存在してよかったのか

なんのために生まれてきたのか

 

また10代から続く

人生への問いに苦しみと

 

 

母と再会したことにより

うまれた感情で

 

私は、また更に

苦しみもがくことになります。

 

 

 

 

私の中に生まれた感情

それは

 

 

母に対する

恨みや憎しみでした…

 

 

 

 

どうして私がこんなに

大変なおもいをしないといけないのか

 

 

育てられないなら生まなければいいのに

 

 

小さい子を置いて

よく出ていくことができるな

 

 

人間として最低

 

 

そして、こんな母親からうまれた私も

きっと生きる価値のない人間なのだろう

 

 

 

こんな恨みや憎しみの苦しみが

10年続いていきます。

 

 

人を恨み憎しみ続ける感情は

次第に大きくなり私を支配していきました。

 

 

心も身体も

本当の闇(病み)がはじまります。

 

 


 

 

 

 

【これまでの振り返り】

 

 

1歳半で妹が生まれ

その少し後に母が姿を消した0~2歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12599393390.html

 

 

母の実家、長野で

おじいちゃんとおばあちゃんに育てられた3~4歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12601763905.html

 

 

父の実家に引き取られ、保育園に通った5~6歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12603427917.html

 

 

父が再婚し、お母さんができた7~9歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12605189745.html

 

 

お母さんが家を出ていき

大きな喪失感に襲われた10~11歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12606005328.html

 


父子家庭になった12〜13歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12607239314.html

 

 

家と学校のギャップに苦しむ13〜14歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12607665324.html



トラウマの14歳(アメンバー限定記事)

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12608557735.html



生きることが辛かった14〜15歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12608651679.html


 

アルバイトをはじめた16〜17歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12609830233.html



生涯の友ができた17〜18歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12610086407.html



家を出て働いた19〜20歳
未婚の母になった21歳
はじめて育児が大変だった22〜23歳
https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12616184236.html



うつになった24歳




人の心の成長がよくわかる
エリクソンの発達心理学の動画です^^