これまで生きてきた

人生の振り返りをしています。

 

 

 


前回からの続きで

21歳の振り返りになります。

 

 

 

 

結婚ができない状況の中の妊娠。

 

 

 

真剣に悩んで

これからのことを考えて

 

21の私は

一人で産んで育てることを選びました。

 

 

 

出産前から産後しばらくの間

妹のマンションに

住ませてもらえることになりました。

 

 

 

大きなお腹になってきて

一人暮らししていた

鶴橋のマンションから

妹の住む針中野へ引っ越し。

 

 

 

一部屋空けてもらえて

使わせてもらうことができました。

 

 

 

 
 


初めての妊娠
 
頼れる親もパートナーもなく
心細さや大きな不安がありました。
 
 
 
たくさん育児書を読み
妊娠中の記録を付けて
 
陣痛が来た時、病院へ向かうまでの
シミュレーションを何回もしました。
 
 

 
明け方、お腹の痛みを感じ
もしかしたら…、と思い
シャワーに入っておくことにしました。
 
 
シャワー後
おしるしというものに気付き
タクシーを呼び病院に向いました。
 
 
 
ここまではシミュレーションしていたので
焦ることなく落ち着いてできました。
 
 
 
タクシーの運転手さんは
大丈夫かと心配だったと思います。
 
 
病院についても
大きな荷物を持って一人で来たの?
と驚かれました。
 
 
 
診察をしてもらうと
確かに陣痛がきている
 
だけど、まだ子宮口が開いてないので
病院の中を歩いたりするように言われました。
 
 
 
服も着替え、
2番目のお母さんに連絡。
 
 
痛みが少し強くなってきたお昼ごろ
2人は病院に来てくれました。
 

 

「大丈夫やで」と声かけながら
腰を押さえてくれるお母さん。
 

 
2人の存在が心強かった。
 

 
 
いよいよ痛みが強くなり
分娩室へ
 

 
お母さんが立ち会ってくれました。
 
 
痛みに耐えながら
分娩台に上がり
 
言われるように
呼吸を整えいきむ。
 
 
水風船が割れるように
バシャーンと破水し
 
助産師さんが濡れちゃって
「すいません…」と謝りながら。
 
 
 
そのあと、3回くらい力むと
ちゅるんと出てきました。
 
 
すぐには泣かなくて
叩かれたりして
ようやく産声をあげました。
 
 
 
母になった瞬間でした。
 
 
生まれたばかりの子を
胸の上に置いてくれました。
 
 
となりでは、お母さんが泣いていました。
 
 
 
こんな時は、生まれた我が子をみて
感動とかするんだと思うのですが
 
どこか冷静で
そんな時でも、私は
 
「お母さん、カメラを」と…。
 
 
 
この瞬間を写真に残すことができました。
 
 
 
 
2003年3月30日 午後6時52分
2856gの男の子が生まれました。
 
 
 
 
 
 
出産後、次の日
 
同じ病室の人は
赤ちゃんが運ばれてくるのに
 
私の赤ちゃんは全然来なくて…
 
 
 
しばらくして
看護師さんに呼ばれ
別室へ向かいました。
 
 

 
そこには、先生がいて
なにやら緊張した空気を感じました。
 

横には、赤ちゃんが
青い帽子をかぶっていました。


 
 
「お母さん、この子は
 
小耳症というもので
左耳がない状態で生まれてきました。

 
1歳ごろにならないと
聴こえの検査をできないのですが
 
もしかしたら
耳が聞こえていないかもしれないです。」
 
 
 
と、帽子をとって
耳をみせてくれました。
 
 
 
もう途中からは
あまり覚えていません。
 
 


 
とにかく、私は
 
自分はとんでもないことをしてしまった
 
と、どうしようもない不安でいっぱいで…



罰が当たったのか
妊娠中のストレスか
栄養バランスか
自分が悪いのか
 

ちゃんと産んであげれなかった
自分を責め、涙が止まらず
ずっと泣きました。
 



 
耳の聞こえない子を
一人で育ていく
 
 
果たして、自分にできるのか?
 
なにをどうしていいのか
全く分かりませんでした。
 
 
 
 
その後、専門の病院
母子医療センターを紹介していただき
何回も通いました。
 
 
1歳になり
聴こえの検査を受けると


右耳は、
聴こえている事がわかりました。
 
 
 
本当にほっとした瞬間でした。
 
 
 
 
 
 


病院の先生からは
小学校6年生の夏休みくらいに
形成の手術ができる説明を受けました。
 
 
肋骨の軟骨と太ももの皮膚で

耳を形成する手術だそうです。

 



 

話は、飛びますが

手術できる年齢になり

 

病院で説明を受けましたが

本人は、手術することを選びませんでした。

 

 

「自分は、これで生まれたから

この耳でいいんだ」と。

 

 

年頃になり

学校でいじめられるかもしれないなどの

心配がありましたが

 

 

本人は、

 

「こっちの耳ないねん。」

 

「こっち聞こえないから反対から話して~」

 

自ら、コミュニケーションの一つにして

ハンデを強みに変えている姿に

 

私は何度も勇気づけられました。

 

 

 




小さいうちの育児の中で

自分のことを責めたり

 

人からの目が気になり

悩むこともありましたが

 

それは、私だけが

気にしている事でした。


 

 


本人はこれでよくて

何も思っていないのに

 

ちゃんと生んであげれなかったなんて


失礼なことを思っていたなと

後になって気づくことができました。

 



そんな長男は
現在、高校3年生。

ずっとイヤホンは
片耳用のものを使っていましたが

最近、ヘッドホンを手に入れ
付けてみたら

骨の振動で
左からも音が聞こえる気がする!


みんなはこんな風に
音が聞こえているんかな

っと嬉しそうに話していました。





はじめて母になった21歳の時のことから
長男の「小耳症」のことについても
振り返ってみました。




次は、22歳
小さな長男との2人暮らしがはじまります。
 
 
 

 

【これまでの振り返り】

 

 

1歳半で妹が生まれ

その少し後に母が姿を消した0~2歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12599393390.html

 

 

 

母の実家、長野で

おじいちゃんとおばあちゃんに育てられた3~4歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12601763905.html

 

 

 

父の実家に引き取られ、保育園に通った5~6歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12603427917.html

 

 

 

父が再婚し、お母さんができた7~9歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12605189745.html

 

 

 

お母さんが家を出ていき

大きな喪失感に襲われた10~11歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12606005328.html

 

 

 

父子家庭になった12〜13歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12607239314.html

 

 

 

家と学校のギャップに苦しむ13〜14歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12607665324.html

 

 
 

 

 

トラウマの14歳(アメンバー限定記事)

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12608557735.html

 

 

 

生きることが辛かった14〜15歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12608651679.html

 

 

 

 

 

アルバイトをはじめた16〜17歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12609830233.html

 

 

 

 

 

生涯の友ができた17〜18歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12610086407.html

 

 
 
 
家を出て働いた19〜20歳
 

 人の心の成長がよくわかる

エリクソンの発達心理学


少し長い動画になりますが

人生を振り返りながらご覧ください^ ^




 
 

 

 
 

 

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