これまで生きてきた

人生の振り返りをしています。





 

いつもどこか

このままの自分ではダメだと感じ

 

もっと頑張ることで

 

自分は生きていていい存在だと

認められるよう気がしてきた頃。

 

 

 

 


これからのことを考えたときに

営業を続けていくことに不安を感じ


手に職をつけようと

営業の仕事をしながら

ネイルスクールに通いました。




 

24歳の時の写真がないので
はじめて沖縄旅行へ行った時の写真






頑張れば頑張るほど

「偉いね!もっと頑張れ!」

 

と褒められ

期待に応えたいと頑張りました。


 

 

 

 

しかし、次第に

 

家が落ち着かなくなり

会社で居心地が悪くなり

人が信用できなくて怖い

 

 

そんな部分が大きくなっていきました。

 

 

 


頑張りたいのに力が出なくなってきて

周りからは 


 

「もっと頑張れ!」

 

「頑張らないとあかんよ」と。



 

どれだけ頑張っても

もっと頑張らないといけなくて

 



できていなことがあれば

みんなから責められているように

感じるようになりました。

 

 

 

コワイ…

 

 

コワイ…

 



 

人が怖くなってきて

営業の仕事なのに


 

担当の会社のフロアを

回ることができなくて

 

非常階段の所で

登ったり下りたり…

 

 

 

家も会社も

どこにも居場所が無くて

 

ショッピングモールのトイレに

閉じこもるようになりました。


 

 

唯一の一人の時間

ここだけは頑張らないでいれる場所でした。

 

 





 

心も身体もクタクタで

もう頑張れない

 

 

何をやっても

上の空

 

 

自分が何を感じているのか

そんなことも分からなくなっていました。

 

 



 

毎日、ひどい頭痛に襲われました。

 

歩くたびにズキズキ…

 

 

 

人の目がコワくて

いつも心臓はドキドキ…

 

 

喉になにか詰まったような感じがあり

話すことができにくくなっていきました。

 

 




 

そんなある日

息子が見せてくれた絵

 

 

「これ見て

ママ、笑って」

 

 

画用紙には

笑っている私の絵が

描かれていました。

 



 

 

その瞬間、ハッとして

 

ごめんね…



息子を抱きしめながら

大粒の涙が溢れました。

 

 

 


私は、笑えてないな…


壊れちゃったのかな…

 


いつから

笑えなくなっていたんだろう

 

 



 

いつもどんな時でも

そばにいてくれる息子

 

 

この子のためにも

このままではいけない

 

 

病院へ行こう

 

 

そう決めて

心療内科を探しました。

 

 

 

▶︎心療内科受診のきっかけ





 

当時は、心療内科なんて

あまり聞いたこともなく

 

どんな病院なのか

なにをするのか

全く分からず不安でした。

 

 



会社の近くにある

病院へ行く事にしたのですが

 

なかなか入ることができず

ビルの前を行ったり来たり…

 

 

 

決心して入ると

こじんまりとしたキレイな待合室でした。

 

 

受付をして

ソファーに座り問診票を記入。

 

 

 

ひとつひとつ

今の自分の状況を書くごとに

涙がとまらなくて…



 

 

名前を呼ばれて

診察室に入りました。

 

 

 



「どうぞ」と

優しそうな先生の声かけ


手には、さっき書いた問診票。

 

 




椅子に座ると

 

「よくやってきましたね」

 




その言葉に

ドバーっとまた涙が止まらず

 

 

一言も話すことができませんでした。

 

 



 

「重度のうつ状態です

しばらくお仕事休みましょう。」

 

診断書を用意してくれました。



 


しかし、


会社を休むわけにはいかないと

なかなか提出することができず…

 


 

でも次第に声が出なくなってきて

これはもうダメだと

ようやく診断書を提出しました。

 




 

傷病休暇をとって

ゆっくり休むことになりました。

 

 

 

毎日、大阪の中心部へ

営業の仕事へ行っていた生活から

何もしなくていい生活へ

ガラリと変わりました。

 

 

 



 

息子を保育園に連れて行ってからは

暗い部屋で一日中横になっていました。

 



 

太陽の光が辛くて

カーテンは閉めたまま

 

テレビの音(特にCM)が

辛く消したまま

 



起き上がる気力もなく

顔からは表情が消え

無の時間が流れました。

 

 

出口の見えない

真っ暗な長いトンネル…

 

 



身体は、鉛のように重く

時間は、これまでの何倍も長く

 

朝が来るたび

また一日がはじまると

生きる辛さを味わいました。

 

 

 

 


 

1カ月ちょっとで体重は

8キロも減っていきました。

 

 

40キロくらいになり

保育所の送り迎えで

倒れたこともありました。




点滴のドリンクを処方されて飲み始めると

体重の減少はとまりました。

 

 



 

投薬治療を続けるも

傷病休暇の4カ月が経っても

職場に戻ることが出来ず

退職することになりました。

 

 

 

 

服用していた

パキシルという抗うつ剤と

デパスという安定剤

 

どんどん量が増えていくと

身体に変化があらわれていきました。

 

 




パキシルは、とても依存性が高く

自殺企図や攻撃性のある薬だったみたいで

だんだんと行動がおかしくなっていきます。



▶︎パキシルについてWikipedia





写真右は、同じ保育園で仲良くなった
同じ歳のみぃーちゃん
しんどい時、支えてくれた大切な人♡



 



当時、妹のよりちゃんが

変わってしまった私を

すごく心配していました。





どうしたら私が治るか


すごく考えて

いろんな人に相談してくれて



お母さんに合わせたら

良くなるんじゃないかと


2歳の時に離れた

生みの母を探してくれていました。




そして、いよいよ

私たちのお母さんが見つかり


会いにいくことになります。


 

 

 




人の心の成長がよく分かる
エリクソンの発達心理学の動画です^ ^




 

 

【これまでの振り返り】

 

 

1歳半で妹が生まれ

その少し後に母が姿を消した0~2歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12599393390.html

 

 

 

母の実家、長野で

おじいちゃんとおばあちゃんに育てられた3~4歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12601763905.html

 

 

 

父の実家に引き取られ、保育園に通った5~6歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12603427917.html

 

 

 

父が再婚し、お母さんができた7~9歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12605189745.html

 

 

 

お母さんが家を出ていき

大きな喪失感に襲われた10~11歳⇩

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12606005328.html

 

 

 

父子家庭になった12〜13歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12607239314.html

 

 

 

家と学校のギャップに苦しむ13〜14歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12607665324.html



 

トラウマの14歳(アメンバー限定記事)

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12608557735.html




生きることが辛かった14〜15歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12608651679.html


 


アルバイトをはじめた16〜17歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12609830233.html




生涯の友ができた17〜18歳

https://ameblo.jp/yuko-5888/entry-12610086407.html




家を出て働いた19〜20歳
未婚の母になった21歳
はじめて育児が大変だった22〜23歳