死後の世界(天国)は
一体どんな所なのか?
というと
「幸福感しかない次元」
でした。
今
「どんな”所”なのか?」
と書きましたが
「死後の世界・天国」とは
場所の事ではありません。
死後の世界、天国は
「場所」では無くて
「状態」だからです。
それでも・・・・
それでも強いて
死後の世界・天国は
どこにあるのか?
と言うと
今あなたがいるその場所が
死後の世界のある場所
天国のある場所です。
この世界は
(あらゆる全ての次元)
(過去も未来も天国も)
TVと同じようなものです。
周波数が違うだけで全ては同じ。
同じエネルギーの
周波数の違いが
・今この瞬間
・死後の世界、天国
・未来、過去、パラレルワールド
になっている。
つまり
実際は
今この瞬間も、過去も未来も
死後の世界も
今、あなたがいるその場所に
今、同時にある。
という事です。
だから
死後の世界、天国が
どこにあるのか?
と言うと
あなた今いるその場所にある。
あなたがどこに移動しようとも
死後の世界は
あなたがいるその場所にある。
死後の世界については
これまでにも何度かお話していますが
とにかく
死後の心配は
一切必要ありません。
これは本当に絶対です。
死の状態は
(天国の状態・本来の状態)
完全完璧な幸福です。
この世で味わえる幸福感の
「∞倍」以上の幸福感です。
名実ともに「次元が違う」
死の状態の幸福感を
この世で味わおうと思ったら
相当なものです。
私は想像ができません。
想像できないので・・・
多分、無理だと思います。
出来たらそれはもう・・・
物質ではいられないだろうと思う。
(生きてはいられない)
(人間として存在できない)
そのくらい、幸せです。
温泉に浸かって
「ごくらく~~~」と言う。
最高の幸福感の事を
「極楽、天国」と表現する。
死とは、それです。
死=極楽、天国、最高
だから
死は、恐れる対象ではない。
本来は
何事も恐れる対象ではありあせんが
比較の為にあえて言うならば
恐れる対象は
「死」ではなくて
「生きている間の自分の苦痛」です。
苦痛があるのは
生きている間だけだからです。
苦痛を感じるのは
生きてる人だけだからです。
ちなみに
死後、生きている人の事を
恨んだり、心配したり、恋しがる
という事はありません。
なぜならば・・・・・
これは言語化しにくいのですが
一番しっくりくる表現をすると
「そういうことではないから」
です。
これは、死ぬと分かる。
でも、今は生きているので・・・・
生きてる状態でこの感覚を例えるならば
・・・・・・・・・うーん・・・・
難しい・・・・・・・・
難しいので、箇条書きにすると
・分離していないから
・全部一つになるから
・生きてる時よりも一緒だから
そう!!
「生きてる時よりも一緒だから」
です。
生きてる時よりも一緒なので
死後、生きてる人の事を
恋しがるわけがない。
「死」にお別れは無いんです。
ただし
生きている方としては
五感で感じられなくなるので
「お別れ」だと感じる。
だから寂しい、悲しい。
なので
生きてる方は、それでいいんです。
悲しいのは嫌だから
よくはありませんが・・・・
「そう感じる事」は当然です。
ただ
「死後の心配はいらない」
という意味で
死後は生きている人を
恋しがったり心配したり恨んだりする
という事は無い・・・
とお話しています。
心配したり恨んだりしないのも
「そういうことじゃない」
という事が分かるからです。
*実際は
「分かる」というレベルを
凌駕していますが・・・・
だから
後悔や憎しみが残るという事は
ありません。
とにかく死後の心配はいらない。
死は恐れる対象ではない。
ただしこれは
「死こそ救済」
という意味ではありません。
これも・・・・
「そういうことではない」
という表現が一番なのですが
私達は
ここ(この世)がどういう所なのかを
完全に分かった上で生まれます。
ここがどういう所なのかを
完全に分かった上で
寿命や人生のあらすじを決めて
生まれてきています。
だから・・・・・
うまく言葉にできませんが・・・
「死こそ救済」というのは
そんなわけがない、というか
そういうことではない。
寿命までは生きるんです。
それが自分のプログラムなんです。
もちろろん
「死んではいけない」
という意味ではありません。
全ては自分の選択です。
ただし
自死は、寿命ではありません。
そして
「死こそ救済」ではありません。
つまり・・・
死後の世界を体感したからこそ言えるのは
(壮絶な苦しみを察した上で)
頑張らなくていい。
でも
寿命まで生きる事を応援します。
死とは
私達が思っているような
壮大なものでもなければ
”無に帰す”みたいなものでもない。
死とは・・・・
壮大なものではない。
ドラマチックなものでは無くて
すごく・・・ふつうな感じです。
私の感覚を書くと
「部屋の電気をつけたら
部屋が明るくなった」
みたいな感じです。
すごく
「ふつう」というか・・・
平凡な
「ただいま~」というか・・・
ただし
幸福感はすさまじい
幸福感はすさまじいけれど
それを「ふつう」と感じる・・・
そんな感じです。
死は
”無に帰す”というものでもない。
「死んだら全部消える」
という事はありません。
全ては消えません。
どんなデータも消えない。
*苦しみが続くという意味では
ありません
自分の一生の全て・・・・
あらゆる感情あらゆる思考
あらゆる行動、言動、
あらゆる全てが
あらゆる角度から
全部全部全部!!
今この瞬間の全ても!!
そのデータは、消えない。
だから
死んでも何も消えません。
一度発生したものは消えない。
「お天道様は全部みてる」
というのは
これをチャネリングしたものなのでは
ないかな・・・と思っています。
とにかく
何も消えない。
「走馬燈」をみた事がある人は
この感覚を掴みやすいかも
しれません。
あなたが見たその走馬燈の数々は
ずっとあり続けるワンシーン達です。
「お盆」という事で
死後の世界について
徒然なるままにお話したら
本当に徒然なるままになった&
なかなかうまく言葉にできませんでしたが
とにかく
私達が習ってきた「死」は
実際とは大幅にズレています。
このズレを
どこまで調整できるかが
今世の課題の一つだな・・・
と(私は)思っています。
なぜならば
「死」の概念が変わる事で
「生」の概念が変わり
生き方が変わるからです。
大雑把に言えば
世界から
「争い・窮屈・支配・孤独」
等々が完全に消えます。
「そういうことじゃない」
という事が分かるからです。
だから
これからどんどん
このことが分かる人や
この記憶を持つ人が
増えて行くと思います。
なぜならば
「そういう時期だから」
です。
ただし
二極化が進んでいる
という事も覚えていて下さい。
・そういう人が増えていく地球
・そういう人が消えて行く地球
二極に分かれて行きます。
「生」と「死」は
遠く離れたものではありません。
「生」とは
「死の状態変化」です。
*水と氷のようなもの
今この場所は
「地球」であり「天国」です。
念押しになりますが
死は恐れる対象ではないし
死は最高に幸福な状態ですが
私達は寿命まで生きるために
ここにいます。
そして
自分が死んだ際には
一切のネガティブなものは消えます
恨みや後悔や心配や恋しさは
全くありません。
だから
死は恐れる対象ではありません。
でも
自分が生きている間は
亡くした人を想って
様々な気持ちになります。
(死の概念によって個人差があります)
悲しいものは悲しい。
苦しいものは苦しい。
「死は天国なんだから悲しむな」
「ここは天国なのだから寂しがるな」
という話ではないんです。
感じる気持ちを感じましょう。
ただ・・・
死は、天国です。
どんな内容であれ
質問をしたくなったあなたへ
大事な記事