■『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]
2019年/アメリカ映画/142分
監督:J・J・エイブラムス
出演:デイジー・リドリー/アダム・ドライヴァー/ジョン・ボイエガ/オスカー・アイザック/マーク・ハミル/キャリー・フィッシャー/ビリー・ディー・ウィリアムズ/ルピタ・ニョンゴ/ドーナル・グリーソン/ケリー・マリー・トラン/ヨーナス・スオタモ/アンソニー・ダニエルズ/ビリー・ラード/ケリー・ラッセル/ナオミ・アッキー/リチャード・E・グラント/イアン・マクダーミド/グレッグ・グランバーグ/ドミニク・モナハン/シャーリー・ヘンダーソン/ワーウィック・デイヴィス/デニス・ローソン/ケイリー・フレミング/ジョディ・カマー/ビリー・ハウル/ハリソン・フォード/ジェームズ・アール・ジョーンズ/ヘイデン・クリステンセン/ユアン・マクレガー/フランク・オズ/リーアム・ニーソン/サミュエル・L・ジャクソン/アンディ・サーキス/アシュリー・エクスタイン/フレディ・プリンゼ・Jr/J・J・エイブラムス
■2019年 劇場公開作品 1本目
■第2稿 2021年 2月2日 版
「とんでもない」「やりすぎ限界映画」。「続3部作」を「完全新シリーズ」と勘違いし、「アナキン」「ルーク」のエピソードは「ちょっと」出てくる程度だと、勝手な「偏見」「先入観」「思い込み」を抱いた。「完全謝罪」。「これでもか」までの恐るべき「やりすぎ」「泣かし」に、「ごめんなさい」「本当に申し訳ありませんでした」「心から謝罪致します」以外「選択肢」はない。「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。
現代の映画「続3部作」は、「今」の世代の若者向けに作られた映画なのだと、勝手に「偏見」「先入観」「思い込み」した。「とんでもない」。「創始者」「ジョージ・ルーカス監督」の「オリジナル」、「1977年劇場公開版」からのファン、まさに「リアルタイム世代」だった「僕と同世代の人間」のために作られたことを「これでもか」と思い知らされた。
まず「エピソード7」「エピソード8」の「スノーク」が「超」気に喰わなかった。「皇帝」「ダース・シディアス」「イアン・マクダーミド」級の恐るべき「最強」「悪」に見えない。「こんな奴がラスボスかよ……」と、見てて「超」気に喰わなかった。ところが、「皇帝」が、……「生きてた」。「死んでなかった」。「皇帝」が生きててビビッて「泣きながら」、「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。『スター・ウォーズ』9部作の「最強」「悪」が、最初から最期まで、「皇帝」だった恐るべき話に、ビビッて「泣きながら」「アナキン・スカイウォーカー」となって跪くしかなかった。
「エピソード9」から「36年前」、「1983年劇場公開版」で「皇帝が弱過ぎる」ことが、当時「子供達」の会話でも「超話題」となった。「皇帝が弱過ぎる」ことが「超話題」となってしまった「ジョージ・ルーカス監督」の「悔しさ」が、「エピソード3」の「ヨーダ」対「皇帝」の「対決」で「爆発」したように見えた…………。今「勝手な想像」をすると、「ジョージ・ルーカス監督」は「焦った」のかもしれない。「エピソード7」「エピソード8」「エピソード9」「続3部作」は「作れないかもしれない」と思ったから、「エピソード3」で、「皇帝」が「最強」「悪」、「皇帝が弱過ぎる」では絶対なかったことを「証明」しようとしたのかもしれない。
「36年間の誤解」が「2019年」、『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』で、完全に覆されてしまった。「皇帝が弱過ぎる」「ではなかった」。「本当に穴に落ちただけだった」! 「エピソード9」まで出てくるから、「本当に穴に落ちただけだった」のだ! とうとう「ジョージ・ルーカス監督」は約「40年間」を掛けて、「皇帝」が「最強」「悪」、「無敵」の「強さ」だったことを「証明」した。「涙が止まらなかった」。僕だけではなく「全世界」が、「ごめんなさい」「本当に申し訳ありませんでした」「心から謝罪致します」以外「選択肢」はない、「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」に違いない。
恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「デイジー・リドリー」「レイ」の「姓」「名字」がない。この恐るべき「正体」、「レイ・パルパティーン」に「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」。「怖さ」にビビって震え上がり「泣きながら」大きい方を漏らしたあげく、「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。「全く予測不可能」だった。
「全9部作」に渡って「スカイウォーカー家」を追い込んできた「パルパティーン家」。「パルパティーン家」が「スカイウォーカー家」を「暗黒面」に陥れるなら、「スカイウォーカー家」が「パルパティーン家」を「ジェダイ」に陥れることも「人間」。「因果応報」。人間は絶対「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」。「皇帝がスカイウォーカー家にしたことは、いずれ全部皇帝に返ってくる」時がきた。
この世には「良い人間」「悪い人間」が混在する。「良い親」「悪い親」がいる。「悪い親」から生まれた子は、「遺伝」で「悪人」にしかならないのか? これは『ヒミズ』『万引き家族』『マレフィセント』…………と「同じ」、「人間」の恐るべき「真実」、極限のくそリアリズムだと思う。ヤクザの子供が絶対ヤクザになるとは現実で「絶対ありえない」のが「人間」。また「殺人犯」が刑期を終えて「牧師」になるのも「人間」。「他人のことを考える人間」と「他人のことを考えない人間」の「人間の本質」は、その個人が持って生きる「信念」「価値観」「倫理観」によって決まる。
「ジョージ・ルーカス監督」が「何でエピソード9まで考えたか?」、エピソードが「9つ」必要だった「理由」。「アナキン・スカイウォーカー」「ダース・ベイダー」と「ベン・ソロ」「カイロ・レン」、「レイ・パルパティーン」の「性善説」「性悪説」に見える話が「最期」、「この世の全ての悪が正義に変わる可能性」、「悪は絶対滅ぶ」という、「ジョージ・ルーカス監督」の「恐るべき理想」「恐るべききれい事」だったことを、「泣きながら」「これでもか」と思い知らされるしかなかった。「フォースは ジェダイのものではない ジェダイが死ねば消えるなど ただの うぬぼれ」の台詞は、「皇帝」までもが「ジェダイに変わる可能性」を意味する言葉と理解した。
散々「善」が「悪」に堕ちる話を見せてきた「9本で1本の話」の「最期」、「悪」が「善」に昇る「恐るべきオチ」でなければ「この物語は終われない」というまで、「ジョージ・ルーカス監督」の魂の叫びに見えた。「恐るべきオチ」で「悪」が「善」に引っ繰り返ったの見て、僕の中の「続3部作」への想いも「天地が引っ繰り返った」。
「スノーク」の話に見せかけ、「エピソード7」「エピソード8」でファンを「不安」に追い込んだ。想像を絶する恐るべき「大どんでん返し」。「エピソード7」「エピソード8」で「誤解」を溜めに溜め、「エピソード9」で「誤解」を「全部」解き、「これでもか」「これでもか」「これでもか」「これでもか」…………まで、『ハナ 奇跡の46日間』級に「全世界」を追い込む、恐るべき「泣かし」のオンパレード。
「エピソード7」で「逃げる」ことしか考えなかった「フィン」の「豹変」、「やりすぎ」。「エピソード8」の「命令違反」であんなに人を死なせた「ポー・ダメロン」の「豹変」、「やりすぎ」。「全部」「やりすぎ」「豹変」のために、「全部」「ダメダメ」だった仕組まれた「罠」。「完全にだまされた」。
「ランド・カルリジアン」も「かなり」「やりすぎ」だったが、「ハン・ソロ」の「説得」「お前の思い出だ」が「かなり」「やりすぎ」。「エピソード7」で「死んだ」のは「最初から」、「エピソード9」で、「これでもか」まで「説得」をするためだった! もう「病気」かもしれない。とにかく、「全9部作」を見終わった「今」、「エピソード7」「エピソード8」「エピソード9」を見直すと、“The Force theme” が流れるシーン「全部」、「涙」が出るようになってしまった!
「エピソード8」でルークが死ぬのは、「青い霊体」になるため「だけ」「しか」ない。レイが炎の中に投げ捨てた「ライトセーバー」を受け止める、あまりに「ど派手」、溜めに溜めて “The Force theme” と共に現れた「青い霊体」、もう「これでもか」まで「やりすぎ」。「泣きながら」「大きい方垂れ流し」て笑うしかなかった。
もう「やりすぎ」に「歯止めが効かない」。「レイアのセーバー」とか「反則」。「エピソード7」「エピソード8」が、もはやルークが、「必要なものは揃っている」と言うためだけの「前置き」にしか見えなくなってしまった。海から、「旧3部作」のルークの「愛機」「Xウイング」が現れたの見て「泣きながら」「大きい方垂れ流し」。“Yoda’s Theme” 「やりすぎ」。あまりの「ショック」「衝撃」で「失神」「気絶」まで追い込まれ、もはや『マッドマックス2』の「子供」。「これじゃ『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』のヨーダじゃねぇか!」 もう若者には解かんねぇだろ!
……だが「最期」は、「最強」「悪」、「皇帝」が、恐るべき「泣かし」に止めを刺す。「スノーク」の話だと「完全にだまされた」「全世界」が、「2005年」以来「14年間」ぶり、“本物” の “Good.” の声を聞いて、「どうすることもできないエクスタシー」に「泣きながら」、「大きい方垂れ流し」になったのは、「絶対」僕だけではないはず。
見てて僕は「さらに」「病気」なんじゃないかと思った。「エピソード6」でルークを追い込み、「エピソード3」でヨーダを追い込んだ「皇帝」「イアン・マクダーミド」が、「お前の その憎しみ お前の その怒り 余を殺したがっておる」とか、「共に立つならば 共に死ぬがよい」とか、「奴らの貧弱な攻撃など 恐れるでない」とか、あの「声」「口調」「笑い」を聞いた「だけ」で、「涙」が出るようになってしまった!
……そしてとうとう、「手から青い稲妻」。「シリーズ最強」。ここまで「激しい」「手から青い稲妻」が、「どうすることもできないエクスタシー」にファンの「心の弱い部分」を「攻撃」「刺激」に追い込む。「シリーズ最強」「手から青い稲妻」「泣きながら」「大きい方垂れ流し」。「旧3部作」からのファンはあまりの「大サービス」に「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」に違いない。「皇帝が弱過ぎる」ではなかった、「本当に穴に落ちただけだった」「最強」「悪」、「無敵」の「強さ」をとうとう「全世界」に「証明」した。
「シリーズ最強」「大サービス」「手から青い稲妻」、「最強」「悪」、「無敵」の「強さ」を「証明」した「皇帝」に、「本当に穴に落ちただけだった」程度で絶対「勝てる訳がない」。「共にあれ 共にあれ」……………。見ててレイが立ち上がる時、「声」だけでなく、「全員」の「青い霊体」が現れてくれないかと願ってしまった。「ルークのセイバー」と「レイアのセーバー」、「十字」、…………「やりすぎ」。ここまでやらなきゃ、絶対「皇帝」は倒せなかった!
……見終わって「絶句」「放心」。「40年間」掛けて成し遂げた「ジョージ・ルーカス監督」の「偉業」「執念」に「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」。心から「敬意」「賞賛」「崇拝」する。もはや『スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』『スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐』だけでなく、「今」は『スター・ウォーズ』シリーズ「全9部作」が僕の生涯の映画となった。
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画像 2021年 1月