やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル
■やりすぎ限界映画工房

「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『大村市移住・定住推進PR動画』(ロングバージョン)

「私の心を離さない大村市」 #大村市なんて大嫌い

2019年/3分
監督:曽根隼人
出演:佐野瑞稀/むかい誠一/島田純子


■『岬の兄妹』

2018年/日本映画/89分
監督:片山慎三
出演:松浦祐也/和田光沙/北山雅康/中村祐太郎/岩谷健司/時任亜弓/ナガセケイ/風祭ゆき

テーマ:

■『ヒミズ』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2011年/日本映画/129分
監督:園子温
出演:染谷将太/二階堂ふみ/渡辺哲/諏訪太朗/川屋せっちん/吹越満/神楽坂恵/光石研/渡辺真起子/モト冬樹/黒沢あすか/堀部圭亮/でんでん/村上淳/窪塚洋介/吉高由里子/西島隆弘/鈴木杏

2012年 第28回 やりすぎ限界映画祭
2012年 ベスト10 第1位:『ヒミズ』
やりすぎ限界パルムドール/やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『ヒミズ』

D.B.G.生涯の映画ベスト10
第8位:『ヒミズ』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:染谷将太


やりすぎ限界女優賞:二階堂ふみ


やりすぎ限界男優賞:渡辺哲


やりすぎ限界男優賞:でんでん


やりすぎ限界男優賞:窪塚洋介


やりすぎ限界男優賞:光石研


■第2稿 2019年 4月22日 版

[「悪党を探しだす そして殺す」]



■「悪党を探しだす
  そして殺す」
 「で その悪党探しは
  いつまで続くの?
  仮にその目的を果たしたら
  そのあとはどうするつもり?
  全然 考えてなかった?」


住田(染谷将太)が父親(光石研)を殺害した後の「オマケ人生」で、「悪党を探しだす そして殺す」と茶沢景子(二階堂ふみ)に言い、自分も死のうとしてるのを見て、僕自身の子供の頃、中学生の頃を思い出した。



幼少期気管支炎喘息で体が弱かった僕は、小学校1年生の時「体育」は全部見学。通信簿の体育の欄は1学期から3学期まで斜線が引いてあった。



僕の「女性」への意識は5歳くらいからあった。仏様は残酷なもので、僕に人一倍強い性欲を与えた。虚弱体質で「カッコいい男」から程遠い僕なのに、「女性」への憧れは人一倍強い。「モテない男」の「苦しみ」を死ぬほど味わった。バレンタインデーやクリスマスを憎んだ。人間は「不公平」だとこの世を憎んだ。「カッコいい男」が、女と当然のようにつき合う姿を見て、どれだけ「モテる男」を憎んだか知れない。



体育が「斜線」の僕は女性から「男」と思われなかった。生涯「女とつき合えない」と思った。誰よりも性欲の強い男にして生涯女とつき合えないことを自覚し、「生涯我慢」しなければならないのだ。僕は子供の頃「気が狂ってた」。これでは生きてても自分の一番したいことが満たされないと思うと、「自殺」を考えるのは自然の成り行きだった。小学生の頃から「自殺」を考えてた記憶は消えない。「自殺」する人間がどうして自殺するのか、僕は今でも理解できる。僕が本当に自殺しようとしてたから。

[「最期は死ねばいいから何でもできる」]



「自殺」も “本気” で考えると、「どうせ死ぬなら何でもできる」という考えに到達する。「銀行強盗をして死のう」。「女をレイプして死のう」。「僕をバカにした女を殺して死のう」。「最期は死ねばいいから何でもできる」という考えに到達する。



『ヒミズ』に登場した「ボートハウス住田の男」「路上ライブの男」「バスの男」、3人の「通り魔」の、「最期は死ねばいいから何でもできる」という「思考」が僕には見える気がする。「最期は死ねばいいから何でもできる」思考に到達してなければ、「通り魔」はできない。この思考に到達するまで、あの3人には「生きてて心が満たされることが何一つない」「生きてて楽しいと思えることが何一つない」ほど、追い込まれてたのを感じる。僕も同じだったから。



僕の「自殺」に突き進む「絶望」を救ったのが映画だった。ジャッキー・チェンの『クレージーモンキー 笑拳』が、僕に「体を鍛えること」を教えた。負けるとわかってるのにあきらめずに立ち上がる『ロッキー』が、僕が「どれほど恥ずかしい男」かを教えた。「最期は死ねばいいから何でもできる」思考が、「女をレイプして死のう」から、「僕も映画を撮って自殺したい人間を救ってから死のう」に変わった。



住田が父親を殺害した時、「一生 普通に暮らすこと」「立派な大人になる」「決意」が砕けた。あの「瞬間」、「最期は死ねばいいから何でもできる」という思考が、住田の中で振り切ってしまったのだろう。



「最期は死ねばいいから何でもできる」という思考が振り切ってしまったのは、あの両親と「同じ血」が流れてると思う「絶望」だったのかもしれない。「一生 普通に暮らすこと」「立派な大人になる」志が、あの瞬間、「マイナス思考」に負けた。

[「人間の本質」]



僕が「女にモテない原因」は、「鶏」くらいしか想像力がなかったから。「考える」ことを怠り、「女にモテない原因」を「仏が僕に定めた運命」だと、勝手な「妄想」「思い込み」をした。体が弱くても「モテる男」がいる現実を、「何でモテるか考えなかった」「だけ」でしかなかった。



僕の母親は「他人のことを考える人間」。僕の父親は「他人のことを考えない人間」。二人の「同じ血」が僕の中に今も混在する。思春期の僕は父親に似た「他人のことを考えない人間」だった。「いじめられた原因」「女にモテない原因」を「父親」の「遺伝」のせいにしようとした。



「もし」仮に、両親が二人共「他人のことを考えない人間」でも、祖父祖母が「他人のことを考える人間」の場合もある。「他人のことを考える人間」「他人のことを考えない人間」となる「人間の本質」は、簡単な「遺伝」の組み合わせのせいにはできない。



ヤクザの子供が絶対ヤクザになるとは「現実」で「絶対ありえない」のが人間。また「殺人犯」が刑期を終えて「牧師」になるのも人間。「他人のことを考える人間」と「他人のことを考えない人間」の「人間の本質」は、その個人が持って生きる「信念」「価値観」「倫理観」によって決まる。「遺伝」や「家庭環境」での判断はできない。



あの父親と母親の「遺伝」が「人間の本質」の全てであるなら、住田は「自首」できない。またあの母親と父親に育てられても茶沢が歪んでない。歪んでたら住田に「共感」できない。「遺伝」や「家庭環境」が「人間の本質」の全てではない極限のくそリアリズムを見た。「他人のことを考える人間」として生きる道を選んだ住田と茶沢の「信念」「価値観」「倫理観」に「涙が出なくなるまで泣いた」。

[「俺も住田になりたい」]



僕が「女にモテない原因」は、「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」ことを知らなかったから。「愛される」には、自分が「愛する」しかないことを「知らなかった」だけだった。



あの両親と「同じ血」が流れてるから、住田は自分が「愛される人間」になれるなど、考えられなかったのかもしれない。自分が誰も愛せなかったように、自分も同じに、誰からも愛されることなどないと思い込んだのかもしれない。



愛されるには愛すればいいように、その逆もある。住田は茶沢に「愛される」ことで「愛する」ことができる自分を知った。「俺も住田になりたい」。僕は映画で救われたが、住田は茶沢に救われたから。「本当」は、僕も「女性」に救われたかった。茶沢の「愛する」ことが、住田を自殺から救った。本当に「うらやましくて」、「涙が出なくなるまで泣いた」。

[死ぬほど、「こんな恋愛がしたかった」]



■「ごめんね
  いつも心配ばかりかけて」


「ごめんね いつも心配ばかりかけて」。住田が茶沢にするキスに「死ぬほど憧れた」。「こんなキスがしたい」と、今でも思う。死ぬほど、「こんな恋愛がしたかった」。「ずっと住田のようになれることを夢見てた」。



■「《十字路へ行って、みんなにお辞儀をして、大地に接吻しなさい。だってあなたは大地に対しても罪を犯したんですもの、それから世間の人々に向かって大声で、〈わたしは人殺しです!〉と言いなさい》」
(新潮文庫 ドストエフスキー『罪と罰』より)

本を読まない僕が本を読んで涙が出た『罪と罰』。僕が最も憧れる恋愛小説。『ヒミズ』は「園子温監督」版『罪と罰』。「ソーニャ」が「ラスコーリニコフ」に、「大地に接吻しなさい」と言う台詞が聞こえた。「住田 頑張れ!」と叫ぶ茶沢の「愛」が、ソーニャの「愛」を超えて見えた。




画像 2019年 4月

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