日記「今日見た映画 2019」11『ブラック・クランズマン』 | やりすぎ限界映画入門

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■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ブラック・クランズマン』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2018年/アメリカ映画/128分
監督:スパイク・リー
出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン/アダム・ドライヴァー/ローラ・ハリアー/トファー・グレイス/コーリー・ホーキンズ/ライアン・エッゴールド/ヤスペル・ペーコネン/アシュリー・アトキンソン/ポール・ウォルター・ハウザー/ロバート・ジョン・バーク/ケン・ガリート/フレデリック・ウェラー/ニコラス・タートゥーロ/イザイア・ウィットロック・Jr/ハリー・ベラフォンテ/アレック・ボールドウィン

■2019年 劇場公開作品 11本目

「我が生涯」「人生」で「初めて」「スパイク・リー監督」の映画を見た。

「鶏全盛期時代」、「スパイク・リー監督」は「最も脅威の存在」。映画少年となって入門したばかりの時代、「評論家」に「大絶賛」されてた監督だったが、完全 “本物” の「アル中」と化す前の「子供時代」から「勉強大嫌い」で、すでに「超てきとう」「超不真面目」「超いい加減」+「寝ぼけてた」「体調が悪かった」程度でしかなかったため、「政治」「歴史」を恐るべき極限のくそリアリズムで見せる「社会派」監督なんか「絶対NG」。「不安」「恐怖」「苦悶」に撃ち勝つ、「滝に撃たれる」「荒行」に挑んで「苦しみ」に耐える「覚悟」「精神力」なんかある訳なかった。「完全無意識スルー」を決め込みもはや「今日」まで、「逃げて逃げて逃げまくってきた」。

『ドゥ・ザ・ライト・シング』『モ'・ベター・ブルース』『 ジャングル・フィーバー』『マルコムX』が「超話題作」「超大ヒット」だったが、ポスター見た「だけ」で「ごめんなさい」で「逃げて逃げて逃げまくってきた」、「不安」「恐怖」「苦悶」の「トラウマ」が「今」も消えない。

「アラ50」になって「やっと」「冷静」になれた。「あれほど」「不安」「恐怖」「苦悶」に追い込まれた「スパイク・リー監督」を、「やっと」見る「勇気」が僕の中に生まれた。「約30年間」の時を超え「スパイク・リー監督」を「初めて」見た。

「KKK」のこと「どかまで知ってるか?」質問されたら、「今」じゃ「いつも」完全 “本物” の「アル中」+「超てきとう」「超不真面目」「超いい加減」+「さらに」「酔っ払ってた」「寝ぼけてた」「体調が悪かった」程度でしか生きてないから、「超無関心」「完全無意識スルー」。本当は「何となく」「うっすら」しか解かってない。

「また」「歴史の勉強」しかなかった。「当然」だろう。人間は「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」。「スパイク・リー監督」から「約30年間」「逃げて逃げて逃げまくってきた」「ツケ」が、「一気」に堕ちてきた。

見終わって調べ「実話を基にした創作」だった。「差別主義者」は実在する。「一体どんな人間なのか?」、僕は「初めて」「スパイク・リー監督」の映画を見たが、「スパイク・リー監督」は「約30年間」「以上」、「差別主義者」と闘い続けてきたのだろうと想像し、「逃げて逃げて逃げまくってきた」こと「反省」「懺悔」「償い」。「ごめんなさい」「本当に申し訳ありませんでした」「心から謝罪致します」。

「差別主義者」との闘いを「止めてはいけない」ことを思い知らされた。「残虐」「非道」「人間が絶対やっちゃいけないこと」が何かを「これでもか」と思い知らされる。

『グリーンブック』もだが、この世から「差別主義者」が「絶対消えない」「現実」、「こんな酷ぇことできる人間」「誰かを見下さないと生きれない人間」が「絶対消えない」「現実」を見て、「哀しみ」で心痛む。見てて苦しくなった。少しでもいじめられた経験があるなら、やられてどれほど「苦しい」か「辛い」か想像できるはずなのに、それを他人にできてしまう奴がいることが許せない。

「最期」「差別主義者」の「最も酷ぇ奴」「3人」、「爆死」したが、「実話を基にした創作」だから「全部実話」じゃないはず。「こんなうまく行かねぇだろ」に見えた。一身上の都合でサボって「逃げた」ので「ちゃんと」「調べなかった」の「反省」「懺悔」「償い」だが、本当は死んでないのかもしれない。だが「こんな酷ぇことできる人間」「誰かを見下さないと生きれない人間」がどれほど「最も酷ぇ奴」だったかには、恐るべき極限のくそリアリズムがあるように見える。「最も酷ぇ奴」「3人」「以上」の「最も酷ぇ奴」が、どれほど多く実在してたか、また「今」も本当は「実在」し続けてること想像すると、「絶対許せない」「不安」「恐怖」「苦悶」に追い込まれた。

「トランプ大統領」が映された「理由」「真実」を「スパイク・リー監督」に思い知らされた。「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」。

どの「国」にも「人間」にも「陰と陽」、「光」と「闇」がある。「日本」にも「僕自身」にも「陰と陽」、「光」と「闇」はある。「アメリカ」のことだけじゃない、「他人事」じゃない話だと思った。自分の中で「正しいと思うこと」を「見極めねばならない」という「スパイク・リー監督」の「教え」を、「今頃」「初めて」「これでもか」と思い知らされた。




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画像 2022年 11月