回顧録「いつか見た映画 1981」1『マッドマックス2』 | やりすぎ限界映画入門

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■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『マッドマックス2』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

1981年/オーストラリア映画/96分
監督:ジョージ・ミラー
出演:メル・ギブソン/エミル・ミンティ/ヴァーノン・ウェルズ/ヴァージニア・ヘイ/アーキー・J・ホワイトリー/ブルース・スペンス/マイケル・プレストン/ケル・ニルソン

■1981年 劇場公開作品 1本目「今日見た映画」回顧録

■第2稿 2019年 10月5日 版

[「おれが運転する」]



■「よかったら-
  おれが運転する」
 「今さら取り引きには応じない」
 「取り引きじゃない」
 「何で気が変わったんだ?」
 「役に立ててくれ」
 「その体でか?
  車イスも運転できまい」
 「そうだよ とても無理だ」
 「ぐずぐず言うな
  おれの腕を信じろ」



「おれが運転する」。僕は人生でこのシーンを何回繰り返し見たか数え切れない。『マッドマックス2』の「全て」が、「おれが運転する」の台詞に収斂される。1979年から2015年までの「36年間」、『マッドマックス』シリーズが「4部作」まで語り継がれなければならなかった理由。『道の武人』と呼ばれた「強い男」、「マックス」こそが、“本物” の「英雄」だから。「今」の視点で、“本物” の「英雄」が何かを思い知らせる。

[「他人のことを考える人間」「正義は消えない」]



ヒューマンガスのような「悪人」が実在の人間なら、キリストのような「善人」も実在の人間。「2作目」を見た者が「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」するのは、「1作目」と「真逆」の話だから。「警察が消えた世界」「暴力が支配する世界」に堕ちても、この世から「他人のことを考える人間」は消えない。絶対「正義は消えない」人間の普遍性を『マッドマックス2』は見せた。



もし本当に「警察が消えた世界」「暴力が支配する世界」となったら、必ず暴力に立ち向かう人間も現れるはず。『マッドマックス2』「狂気の世界観」の極限のくそリアリズムがここに存在した。どんな状況に置かれても人間は絶対「希望」を失わない。パッパガーロや女戦士(ヴァージニア・ヘイ)達の生き様が、「一瞬にすべてを失った」マックス(メル・ギブソン)に、自分が「元警察官」だったことを思い出させる。

[ “THE ROAD WARRIOR” =『道の武人』]



■「あのマックスも-
  一瞬にすべてを失った
  彼は偏屈になり-
  過去の亡霊に
  追われたかのように-
  1人で荒野へ
  さまよい込んだ
  そして そこに
  生を見い出したのである」






『マッドマックス2』の原題 “THE ROAD WARRIOR” は、日本語に直訳すると『道の武人』。「道」の「武人」とは一体どんな人間なのか?



「続編映画」が「前作を超える」例は圧倒的に少ない。映画史において、実際に超えた「続編映画」は「頭に思い浮かぶほどしかない」。だからこそ「前作を超える」「続編映画」は「伝説」となる。映画史を震撼させた「前作を超える」「続編映画」が何か、その「伝説」となった真実を、『マッドマックス2』が見せたと言って大袈裟ではない。




「元警察官」だった時、マックスの「運転技術」は『ベイビー・ドライバー』を超えてたかもしれない。警察最高の「腕」「反射神経」を持つ最強のドライバーだった。



だが「妻」と「子供」を「惨殺」され、絶望に堕ちて生きる希望を失った。荒野を彷徨うしかなかった「警察が消えた世界」「暴力が支配する世界」で、最強のドライバーは他人に「評価される」「役立つ」機会を失った。「社会」「文明」が崩壊した。



だがマックスは助けを求められる。最強の「運転技術」が、「元警察官」だった「犠牲心」が、「他人のことを考える人間」達を救うため「極限領域」で爆発する。




今まで見た「20世紀の映画」の中で、僕はこれ以上「ヤバい」「カーチェイス」を見たことがない。『マッドマックス2』は「20世紀最強のカーチェイス」かもしれない。「CG」がない時代、「本当にやるしかない」「20世紀最強のカーチェイス」は、「映画が、文章で書けないものを持っている」「衝撃」が何かを思い知らせた。




「今」の視点で、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を超える「20世紀最強のカーチェイス」が、「道」の「武人」が「どんな人間」かを全世界に思い知らせた。『マッドマックス』シリーズが「4部作」まで語り継がれなければならなかった理由。『道の武人』が “本物” の「英雄」である「伝説」を思い知る以外、もはや誰にもなす術はない。

[「ヤバ男」の条件 “子供に好かれる” ]



マックスが映画史に刻まれる「ヤバ男」であるもう一つの理由。「ヤバ男」の条件に “女が殺される” はかなり大道だが、“子供に好かれる” はかなり「危険」。子供はなぜか理論で説明できない本能で「良い大人」「悪い大人」を見分ける。『七人の侍』の菊千代から『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』のジョーンズ博士まで、“子供に好かれる” 「ヤバ男」はかなり多い。

[オルゴールの音色「俺も一緒に行くぜ」]



何が子供(エミル・ミンティ)を「タンクローリー」に走らせたのか? 子供をタンクローリーへ駆り立てたのは「強い男」への「憧れ」。出逢った時から子供は、誰が “本物” の「英雄」かを一瞬で見抜いた。




マックスが反対を押し切って出てく時、「V8」のドアを開けると佇んでる子供。言葉を喋れない子供が鳴らすオルゴールの音色が、「俺も一緒に行くぜ」という子供の「心の声」に聞こえる。子供でありながら「男気」が何かを悟ってるダンディズム。圧倒された。“子供に好かれる” 「ヤバさ」が、『道の武人』が “本物” の「強い男」であることを見せた。

[『マッドマックス2』「圧倒的美術」「狂気の世界観」]




「ジョージ・ミラー監督」が創造した『マッドマックス2』「圧倒的美術」「狂気の世界観」は、「1作目」を「100乗」で超えたと言って大袈裟ではない。「警察が消えた世界」「暴力が支配する世界」の恐るべき極限のくそリアリズムが、『北斗の拳』にどれほど大きな影響を与えたかは計り知れない。映画史を震撼させた「極限の美」が何かを思い知るしかない。




文明が崩壊し、人間は「銃」どころか、「火薬」さえ作れなくなった。「衣装」「自動車」「バイク」「建物」………………、まで「全てのデザイン」が、「本当にそう見える」「泥沼」の「汚さ」、極限のくそリアリズムの “棲息速度域” だった。もはや「ジョージ・ミラー監督」の「想像力」に、「天才」という言葉以外思いつけない。初めて僕が、「機関車の装甲」をつけたタンクローリーの、砦の包囲網「突破」を見た時、瞬間で大きい方を漏らした。あまりの「怖さ」に、涙を流しながら笑う以外なす術がなかった。




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画像 2019年 10月