回顧録「いつか見た映画 1979」3『マッドマックス』 | やりすぎ限界映画入門

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■『マッドマックス』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

1979年/オーストラリア映画/94分
監督:ジョージ・ミラー
出演:メル・ギブソン/ジョアンヌ・サミュエル/スティーヴ・ビズレー/ヒュー・キース=バーン/ティム・バーンズ/ロジャー・ウォード/ヴィンス・ギル/ジェフ・パリー/スティーヴ・ミリチャンプ/ジョン・リー/レッグ・エヴァンス/シーラ・フローランス/ジョナサン・ハーディ

■1979年 劇場公開作品 3本目

■第2稿 2019年 9月19日 版

[『マッドマックス』=『気狂い太郎』]

『マッドマックス』を初めて見たのは高校生の時。「2作目」「3作目」を合わせTV放映する度に、次の日は男子全員『マッドマックス』の話、までの「超話題作」だった。だが『マッドマックス』というタイトルは、日本語に直訳すると『気狂い太郎』。一度も見たことがなかった僕は、「一体『気狂い太郎』ってどんな映画?」と不安になった。初めて見た時、本当に「気狂い太郎」「そのもの」の内容に「震撼」「驚愕」「絶句」した。「旧3部作」におしっこを漏らしたトラウマが今も消えない。

[『マッドマックス』4部作「狂気の世界観」「圧倒的美術」]

「旧3部作」「3作目」『マッドマックス サンダードーム』から30年、2015年に新シリーズとして「4作目」『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が生まれた。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は2015年アカデミー賞で最多6部門を受賞。ジョージ・ミラー監督の「70歳」とは信じられないパワーに「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」するしかなかった。30年の時を経て完成した最新作が、30年前と「全く同じ」、揺るがない「世界観」を見せたことに漏らすしかなかった。

『マッドマックス』シリーズは「バイオレンス映画」であり「SF映画」。『スター・ウォーズ』だけが「未来」を空想する「SF映画」ではない。“棲息速度域” に到達した「ジョージ・ミラー監督」の想像力が、「警察が消えた世界」「暴力が支配する世界」という「狂気の世界観」を生み出した。



「1作目」『マッドマックス』のみ「警察」が存在するが、「2作目」から「石油戦争」によって「警察」はこの世から消える。「ジョージ・ミラー監督」が生み出した「狂気の世界観」が「怖すぎる」のは、もし本当に「警察が消えた世界」「暴力が支配する世界」があったらどうなるかが、「本当にそう見える」、恐るべき極限のくそリアリズムの “棲息速度域” だったから。




「1作目」の「警察」が無力な世界。「2作目」からの「警察が消えた世界」「暴力が支配する世界」の「本当にそう見える」、「泥沼」のような「汚さ」こそが、「圧倒的美術」「芸術」だった。「泥沼」のような「汚さ」の「極限の美」に絶句した。『北斗の拳』を始めとしたこの世のあらゆる創作物に、どれほど大きな影響を与えたか計り知れない。「ジョージ・ミラー監督」が生み出した『マッドマックス』4部作「狂気の世界観」「圧倒的美術」を見て、「天才」という言葉しか思いつけない。映画史に刻まれるまで偉大な「極限の美」だった。

[「一番」「怖すぎる」「1作目」]



実は最近まで「1作目」『マッドマックス』だけ数十年間見てなかった。最後に見たのは高校生の時。見れなかった理由は「怖すぎる」から。全4部作で「一番」「怖すぎる」のが「1作目」。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を見て確信した。

数十年ぶりで見た「1作目」を殆ど覚えてた自分に驚愕。忘れてた部分が少ないのは、どれほど「怖すぎる」かの証明。改めてその「怖さ」におしっこを漏らした。「1作目」は僕が生きてて「一番怖いと思うこと」。「妻」と「子供」が「暴力」によって惨殺される。救いのないバッドエンドが、忘れられないほどの「恐怖」を僕に植えつけた。「2回目見れない映画ベスト10」があったら間違いなく上位に入る。




もし「暴力が支配する世界」に「警察」が負けたら? 「他人のことを考える人間」は「他人のことを考えない人間」に惨殺されるだろう。「1作目」『マッドマックス』は「絶対あってはならない世界」の極限のくそリアリズムが、シリーズで「一番」「怖すぎる」ように見える。

[『気狂い太郎』となるしかなかった「苦しみ」「哀しみ」]

「他人のことを考える人間」と「他人のことを考えない人間」。この世にはキリストとトーカッター(ヒュー・キース=バーン)のような人間の両方が実在する。この世の全ての人間が良い人間ではない真実から目を背けられない。

「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」。今まで「復讐」は絶対いけないと言ってきた僕だが、妻ジェシー(ジョアンヌ・サミュエル)を惨殺されたマックス(メル・ギブソン)を見て追い込まれた。「もし僕がマックスだったら?」 トーカッターの「悪」は半端ではない。

「妻」と「子供」が惨殺された世界が、今の現代なら「復讐」は考えない。「警察」「裁判」に正義を委ねるだろう。だがもし、「妻」と「子供」が惨殺された世界が、「警察」も無力な「暴力が支配する世界」だったら? 僕は「きれい事」を言えるだろうか? 「警察」も無力な「暴力が支配する世界」で、マックスは「気狂い」になるしかなかった。「警官」の倫理感も消えた「復讐」に、『気狂い太郎』となるしかなかった「苦しみ」「哀しみ」を思い知るしかない。

[「絶対あってはならない世界」]



『スター・ウォーズ』や『レイダース 失われた聖櫃』の「SFX」時代。まだ「CG」と違い特殊撮影技術は「堺」が見えた。「嘘」の映像が「嘘」だと確認できた。だが『マッドマックス』旧3部作は違った。「ジョージ・ミラー監督」の「狂気の世界観」「圧倒的美術」は、「SFX」を使わなかった。

「CG」がない時代は「本当にやるしかない」。「1作目」の狂気のカーチェイスでスタントマンが2人死んだ。映画の中の世界だけでなく「1作目」『マッドマックス』は、「現実」で「絶対あってはならない世界」だった。



「1作目」の極限のくそリアリズムの背景に、今では絶対あってはならない事件があった。「ジョージ・ミラー監督」が『マッドマックス』シリーズで見せた「警察」が無力化し、「警察が消えた世界」「暴力が支配する世界」となる「泥沼」のような「汚さ」は、「絶対あってはならない世界」が何か、その「怖さ」を徹底的に見せたのだと思う。

[「奥さん一人で出かけるな!」]



トーカッターがうろうろしてんのに「奥さん一人で出かけるな!」 「アイスクリーム」買いにとか「海水浴」に一人で行くなよ! 「絶対ありえない」。ミラー監督「ホラー映画」より「怖い」ぜ! もはや「アイスクリーム」と「海水浴」はこの世界で「自殺」にしか見えない。

■初稿 2016年 6月16日 版




「いつか見た映画 1979」3『マッドマックス』
「いつか見た映画 1981」1『マッドマックス2』
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日記「今日見た映画 2015」6『マッドマックス 怒りのデ…』

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画像 2019年 9月