日記「今日見た映画 2018」39『ガンジスに還る』 | やりすぎ限界映画入門

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■『ガンジスに還る』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2016年/インド映画/99分
監督:シュバシシュ・ブティアニ
出演:アディル・フセイン/ラリット・ベヘル/ギータンジャリ・クルカルニー/パロミ・ゴーシュ/ナヴニンドラ・ベヘル/アニル・ラストーギー

■2018年 劇場公開作品 39本目

最近「多少」「インド映画」を見るようにはなったが、まだまだ「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」ことばかり。「死に場所」を「ガンジス河」「バラナシ」に決めてわざわざ「解脱の家」に「死にに行く」、恐るべき「信念」「価値観」「倫理観」を見て「震撼」「驚愕」「絶句」。「日本人」だからか? 僕には「絶対信じられない」「宗教」や「文化」の違い「怖さ」にビビッて震え上がり「大きい方垂れ流し」。

「アディル・フセイン」「息子」「ラジーヴ」が、バリバリ「仕事人間」なの見ると、「今」のインドが、「死に場所」を「ガンジス河」に決めて「死にに行く」、「ラリット・ベヘル」「父親」「ダヤ」みたいな人だけじゃないことを思い知る。「世代」なのか? 「息子」「ラジーヴ」には「ガンジス河」に「死にに行く」気はないようだが、「今」まだ「ガンジス河」に「死にに行く」、「父親」「ダヤ」みたいな人が「かなり」多いの「大きい方垂れ流し」。

まずインドで「解脱」が「死」だったこと「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」。「今頃」思い知って「また」「反省」「懺悔」「償い」。「ガンジス河」「バラナシ」には「解脱の家」なんて「死にたい人専用」「宿泊施設」まであるの「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」。

「自殺なんじゃねぇのか?」と、見てて思ったが「自殺じゃない」。日本では考えられない「死」に対し「嘆くことはない 喜びなさい」と言う、恐るべき「信念」「価値観」「倫理観」の「怖さ」にビビッて震え上がった。

■「あなたが逝くと知らされて
  嫉妬してしまった」
 「嫉妬を?」
 「こんなに長い間
  バラナシで待っているのに
  来たばかりの あなたが…」
 「わしはまだ 死ぬには
  努力が足らんようです」

この会話に「大きい方垂れ流し」。「絶対信じられない」。僕は「自殺しない」「長生き」こそ「最強」「正しいこと」だと信じてたが、この世には想像を絶する「信念」「価値観」「倫理観」があることを思い知らされるしかなかった。

また「息子」「ラジーヴ」があんなに仕事休んで「平気」なの「大きい方垂れ流し」。「死を願う」考え方が「わりと普通」だから、『ガンジスに還る』のような「父」と「息子」の「別れ」の「インド映画」ができた。「遺書」で「笑い」を狙う「信念」「価値観」「倫理観」にも「大きい方垂れ流し」。世の中「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」ことばかり。インドのこと知るには今後も「インド映画」を見る以外なす術はない。




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画像 2021年 10月