日記「今日見た映画 2018」16『パッドマン 5億人の女性を救った男』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

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■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『パッドマン 5億人の女性を救った男』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2018年/インド映画/137分
監督:R・バールキ
出演:アクシャイ・クマール/ソーナム・カプール/ラーディカー・アープテー/ジョーティ・スバーシュ/リヴァ・ブッバル/ウルミラ・マハンタ/アビマニュ・サルカール/スニール・シンハ/アミターブ・バッチャン

■2018年 劇場公開作品 16本目

恐るべき「やりすぎ限界映画」。

「最期」「手前」まで、「俺もこうなりたい」、「もの凄く」「うらやましい」、「俺もパッドマンになりたい」と「死ぬほど」、「心から憧れる」まで、「2018年」「1位」なんじゃないか級「これでもか」の恐るべき「泣かし」に追い込まれたが、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ラーディカー・アープテー」「妻」「ガヤトリ」の「電話」が鳴って、事態は「豹変」した。

インドで「2ルピー」の「生理用ナプキン」を発明した実在の人物「アルナーチャラム・ムルガナンダム」の恐るべき「衝撃」殆ど「実話」。何かを「成し遂げる」ためにあらゆる「誹謗」「中傷」に屈することなく、己の「信念」「価値観」「倫理観」を最期まで貫いた「アクシャイ・クマール」「ラクシュミ」の「生き様」には「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」以外「選択肢」はない。だが僕にとって『パッドマン 5億人の女性を救った男』は、偉大な「伝記映画」ではなく恐るべき「恋愛映画」。

僕は「インド人」じゃないから、「インド人」の持つ「信念」「価値観」「倫理観」を完全に理解することはできない。育った「環境」、「宗教」や「文化」の違いで、自分が「一番大切」と思える「信念」「価値観」「倫理観」は変わる。こんな風に思うこと事態すでにズレてて、本当は「インド人」「日本人」さえ関係ないのかもしれない。僕が「もしもラクシュミだったら?」、「最期」、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ラーディカー・アープテー」「妻」「ガヤトリ」ではなく、「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ソーナム・カプール」「パリー」を選んだかもしれない。

「不潔な物」「穢らわしい物」「恥」「病気」…………と、もうこれ以上ないまで酷い言葉で「罵倒」「誹謗」「侮蔑」された人間が「全て」の誤解を覆し、「デリー工科大」で「大統領賞」を受賞して「パッドマン」「英雄」となることができたのは「全部」、「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ソーナム・カプール」「パリー」のお陰。

そもそも「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ソーナム・カプール」「パリー」がいなきゃ、「不潔な物」「穢らわしい物」「恥」「病気」…………と、もうこれ以上ないまで「罵倒」「誹謗」「侮蔑」されたまま、「妻」「ガヤトリ」の元になんか「最初から」「もう帰れなかった」。

本当なら「最初から」「もう帰れなかった」時点で、「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ソーナム・カプール」「パリー」を、「絶対裏切ってはいけない」としか思えてならない。

そもそも恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ラーディカー・アープテー」「妻」「ガヤトリ」が、「別居」、「英雄」になるまでの間「世間」と一緒になって「不潔な物」「穢らわしい物」「恥」「病気」…………と、「夫」を「避けた」のは「最初から」、「信念」「価値観」「倫理観」が「喰い違ってた」からだろう。『アデル、ブルーは熱い色』の恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「レア・セドゥ」を思い出してしまった。「アクシャイ・クマール」「ラクシュミ」が生涯を共にするべき女は「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ソーナム・カプール」「パリー」なんじゃないのか?

「アクシャイ・クマール」「ラクシュミ」も最初は「妻のため」だったが、「義父」から「離婚届を送るからな」と「絶縁状」突きつけられた時点で、もう「妻のため」の度を越してた。「本当」に「妻のため」「だけ」なら、「進行」か「後退」か、「決断」しなければならなかった。「進行」を「決断」した時点で「妻のため」「だけ」を考えてたようには思えない。「自己実現」的思想で、「インドのため」まで行ってしまってたように見える。本人の言分がそうでも第三者からは「妻のため」「だけ」の行動とは判断が難しい。

「離婚届を送るからな」の「先」が実際どうなったかのシーンがない。「最期」から想像すると「離婚」しなかったのだろう。どれほど「深い絆」かまでは「想像」しかできないから、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ラーディカー・アープテー」「妻」「ガヤトリ」の元に帰ったことが「正しいこと」にも見える。

だが「もしも英雄にならなかったら?」 恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ラーディカー・アープテー」「妻」「ガヤトリ」の「夫」への「対応」は、どうなってただろうか? 「不潔な物」「穢らわしい物」「恥」…………のままで、「復縁」なんかできたのか? 何が「正しいこと」か「疑問」「不安」が消えない。




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画像 2021年 8月