日記「今日見た映画 2014」21『アデル、ブルーは熱い色』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『アデル、ブルーは熱い色』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2013年/フランス映画/179分
監督:アブデラティフ・ケシシュ
出演:アデル・エグザルコプロス/レア・セドゥ/サリム・ケシュシュ/モナ・ヴァルラヴェン/ジェレミー・ラウールト/アルマ・ホドロフスキー/バンジャマン・シクスー

■2014年 劇場公開作品 21本目

■第3稿 2020年 8月1日 版

「3年前」、「かなり」「重症」の “本物” の「アル中」だったんじゃないかと「最近」振り返る日々。初めて見た時、「完全」に「酔っ払ってた」「寝ぼけてた」「体調が悪かった」程度じゃなかったことを、『アデル、ブルーは熱い色』でも思い知った。

僕の「勝手な想像」だが、『ムーンライト』が「第89回アカデミー賞作品賞受賞」となった背景に、『アデル、ブルーは熱い色』の「第66回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞」があったのではないかという「流れ」に、「今頃」気づいた。「かなり」、「反省」「懺悔」「償い」まで追い込まれた。

「3年前」何か「よほど辛いことがあった」(思い当たることはあるが)から、「酔っ払ってた」「寝ぼけてた」「体調が悪かった」程度でしか見れてなかったから、「正直」「好み」ではなかった、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「アデル・エグザルコプロス」「レア・セドゥ」に一歩引いてしまい、のめり込めなかったのだろう。見直して、恐るべき「話」「芝居」のせいで、「アデル・エグザルコプロス」と「レア・セドゥ」が、「極限の美」の恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” に見えてしまった。

また恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「アデル・エグザルコプロス」と「レア・セドゥ」の、恐れを知らぬ「全裸」、「極限の美」にも「ガン見」。「ちゃんと」見てなかったことに、「かなり」、「反省」「懺悔」「償い」まで追い込まれた。

「LGBT問題」はもはや現代の「常識」。「アデル」「アデル・エグザルコプロス」が、「レズビアン」であることを同級生からからかわれる「ナンセンス」、「差別」「偏見」「先入観」でしか見れなかった時代など、もはや「時代遅れ」に見えることを、『アデル、ブルーは熱い色』が見せたように見えた。

「アデル・エグザルコプロス」の高校生時代、「超イケメン」の同級生男子と寝てみるがなぜか「哀しい」。みんなとは違うことを感じながらも、「本当の自分」を言い出せない。恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「アルマ・ホドロフスキー」に「キス」されて「かわいい」と言わた時の「喜び」を見て涙が出た。「本当の自分」に「目覚める」「瞬間」を見せた「アブデラティフ・ケシシュ監督」に「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」。「アデル・エグザルコプロス」の「喜び」に「ガン見」だった。

また恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「レア・セドゥ」が「男」に見えた。僕には想像しかできないが、「レズビアン」「ゲイ」にも「男の役割」「女の役割」があってカップルが成立してるのを感じた。「男の役割」になる人は、「女性」「男性」に関わらず、「男」の性質を持ち合わせた人がなるのだろうと、『アデル、ブルーは熱い色』を見て感じた。

「女性」の「レア・セドゥ」が、僕自身「男の視点」で、「男そのもの」に見えて「震撼」「驚愕」「絶句」。男の僕が「考え方」、「信念」「価値観」「倫理観」に「共感」してしまった。「こいつは完全に男だ」と、見てておしっこ垂れ流し。男が社会で「地位」「名誉」が欲しいのは、「家族を養うため」に必要だからで、「家庭を顧みず」と言われるが、収入なくしていい生活はできない。ギャラリーの成功で「頭が一杯」、「仕事」に命を懸ける「レア・セドゥ」の姿が「男そのもの」にしか見えない。僕自身が「同じ考え方」をするから。

殆ど「妻」の「アデル・エグザルコプロス」は、ギャラリーに、「夫」「レア・セドゥ」の「仕事」に、殆ど関心がない。「夫」が、仕事が忙しくて自分に構ってくれなくなった寂しさから「浮気」をしてしまう。僕自身「レズビアン」の映画を何本かは見たはずだが、ここまで生々しく、「熱愛」から「破局」までを見せた映画を思い出そうとしても、印象に残ってる映画がない。「かなり」「強烈」に見えた。

僕自身が「夫」「レア・セドゥ」に「共感」してしまった。「離婚」の原因は「充分」に見えた。

若い頃は「かわいい」「イケメン」で楽しければいいかもしれないが、「生活」「将来」「やりたいこと」など絡んでくると、「この相手」では、うまくいかなくなる現実を思い知る。あれだけ「アデル・エグザルコプロス」が泣いて謝ってるのに、「復縁」しなかった「レア・セドゥ」に「震撼」「驚愕」「絶句」。「大人」になってしまった「レア・セドゥ」。二人の「生き方」、「信念」「価値観」「倫理観」の「違い」に、「決定的」に「目覚める」時がきてしまった。

自分の本当の「理解者」、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「モナ・ヴァルラヴェン」は再婚した「妻」なのかもしれない。ギャラリーは、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「モナ・ヴァルラヴェン」がいなければ成功できなかった。

「衝撃の愛の “7分間” 」、「もう戻れない」、人間の「生き方」、「信念」「価値観」「倫理観」の「違い」を思い知るしかなかった。「出逢い」から、「恋愛」「結婚」「離婚」までを見せた、ある「レズビアン」カップルの「恋愛映画」、その恐るべき極限のくそリアリズムに大きい方を漏らして「泣きながら」「ガン見」になるしか、なす術はなかった。。




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