回顧録「いつか見た映画 1978」1『スター・ウォーズ』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『スター・ウォーズ』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

1977年/アメリカ映画/121分
監督:ジョージ・ルーカス
出演:マーク・ハミル/ハリソン・フォード/キャリー・フィッシャー/アレック・ギネス/ピーター・カッシング/アンソニー・ダニエルズ/ケニー・ベイカー/ピーター・メイヒュー/デヴィッド・プラウズ/フィル・ブラウン/ドリュー・ヘンリー/アンガス・マッキネス/デニス・ローソン/ジェームズ・アール・ジョーンズ

■1978年 劇場公開作品 1本目

「1977年」「ジョージ・ルーカス監督」が「エピソード9」まで書いたと言われた「9作目」、『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』が、「まだ見てない」が、とうとう「2019年」に公開された。「今」、当初の予定も超え「エピソード10」も作られそうな勢いで「震撼」「驚愕」「圧倒」「絶句」。大きい方を漏らして『スター・ウォーズ』シリーズにビビッて震え上がり大きい方を漏らす以外なす術はない。

『ターミネーター』『エイリアン』シリーズと同じく、「スター・ウォーズ」という言葉を知らない人間がこの世にいないまで、「映画史」だけでなく、人間の「歴史」に「スター・ウォーズ」という言葉を残した偉大なシリーズには、「映画ファン」ではなく、「スター・ウォーズファン」という「狂信者」がいるほどで、「その道の人」ほど徹底的に『スター・ウォーズ』シリーズについて、僕は裏エピソードまで詳しくは知らない。

だが僕自身『スター・ウォーズ』シリーズを、世代的にも「リアルタイム」で見てきたので、「各作品」を見た時の思い出が多い。「スター・ウォーズファン」ではなく「映画ファン」の視点で、知ってることを書くしかない。

今回何年かぶりで見直したが、わざと「CG加工」前の「特別編」ではない “本物”、「オリジナル」「無加工」の「1977年劇場公開版」を見直した。あまりに「狂ってる」、その狂気の領域までの「全シーン」 “本気” に、「涙」が出てしまった。

散々「1977年」『スター・ウォーズ』、「1977年」『未知との遭遇』、「1979年」『エイリアン』の「3本」がアメリカ映画の特殊撮影技術の基礎を作ったと書いてきた。『ターミネーター2』の「神への冒涜」「CG」は、この「3本」がなければ生まれなかった。

実際「1977年」の、全世界の映像技術がどんな状態だったかを知らなければ、何が「狂ってる」か実感することはできない。日本の特撮で比較するなら、『ウルトラマンレオ』「1974年-1975年」、『仮面ライダーストロンガー』「1975年」、『メカゴジラの逆襲』「1975年」、と比較できる。見直して、「CG加工」前の「オリジナル」「無加工」状態が、すでに「今」の視点で「違和感がない」のに、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」。「怖さ」にビビって震え上がり「泣きながら」大きい方を漏らすしかなかった。

「1968年」『2001年宇宙の旅』で本格的に始まった「SFX」を、「1977年」『スター・ウォーズ』は「数10乗」で超えてるように見える。逆に「CGがないのにどうやった」と、見てて「怖さ」 “本気” に震え上がった。

まず「宇宙空間」で連想するものが「円盤」「ロケット」「スペースコロニー」ぐらいだった時代に、「Xウイング」「ミレニアム・ファルコン号」「デス・スター」「ライトセーバー」「R2-D2」「C-3PO」…………、を「宇宙空間」に飛ばせた、「ジョージ・ルーカス監督」の「狂ってる」「発想」「想像力」の「狂気」は、「ジェームズ・キャメロン監督」『エイリアン2』の「エイリアンクイーン」「パワーローダー」、「気が狂ってないと思いつけない」「狂気」と「同格」。逆に『エイリアン2』は、『スター・ウォーズ』がなければこの世に生まれてない。

「SFオペラ」と言われた「ファンタジー性」の強い話であるが、「約40年前」にして、「細部」の恐るべき極限のくそリズムにビビって震え上がるしかない。まず「R2-D2」に入力した情報がデス・スターの「設計図」である話が、「今」見て「納得」「説得」させられてしまう。また「Xウイング」「ミレニアム・ファルコン号」「デス・スター」「ライトセーバー」「R2-D2」「C-3PO」…………の、「実在」しそうにまで見える「デザイン」の「ショック」「衝撃」に「震撼」「驚愕」「絶句」、大きい方を漏らす以外なす術はない。



「鶏」だった時代リアルタイムで『スター・ウォーズ』を見て、☆☆☆☆★★[90]と思ってた。『エイリアン2』が僕の「信念」「価値観」「倫理観」を覆してしまったからだった。

ところが映画学校に行く決意をした、「日本映画なんか絶対見ない」と思ってた時代、「淀川長治」「北野武監督」達の影響で「黒澤明監督」の存在が視界に入ってくると、「鶏」は、今まで生きてきた「全人生」を「反省」「懺悔」「償い」、『スター・ウォーズ』の「真実」「怖さ」に、「泣きながら」大きい方を漏らすまで追い込まれた。

「ジョージ・ルーカス監督」が『スター・ウォーズ』を生み出すまで、学生時代に影響を受けた映画監督は「黒澤明監督」。『影武者』の「外国版プロデューサー」であることを「初めて」思い知った時、「黒澤明監督」「日本映画」の「怖さ」も同時に思い知った。

「R2-D2」「C-3PO」は『隠し砦の三悪人』の「又七」「太平」だった。「ライトセーバー」は「侍」なのかもしれない、「ジェダイ」という言葉が「黒澤明監督」の「時代劇」が語源だと言われてること、「オビ=ワン・ケノービ」役は最初「三船敏郎」にオファーされたが「断られた」「真実」を知った時、「怖さ」に「血の気が引いた」。

「日本映画なんか絶対見ない」「ハリウッドで映画監督になる」など、「妄想」「白昼夢」を抱いてた「鶏」は、『スター・ウォーズ』が「日本映画」に影響を受けて生まれた「真実」を思い知って「天地が引っ繰り返った」。「全人生」を、いくら「反省」「懺悔」「償い」してももう追いつけない。「日本人」でありながら「日本映画を全く知らない」「無知」「愚かさ」に、「血のしょんべん」が出る心境だった。

「今」、「1977年劇場公開版」を見直して、何度見直しても一番「涙が出る」のは、「約40年間」に推定で「数10回」から「100回」くらい見てるが、「最期」デス・スターでオビ=ワンの声が聞こえ “理力を使え ルーク” “機械に頼るな” で、“The Force theme” が響くと「体」が、「約40年間」の間に「無意識」に「涙が出る」ように反応することを自分自身で思い知った。「約40年間」やってきたことを思い出すからかもしれない。「ハン・ソロ」「ハリソン・フォード」が “Yee-haw!” と突っ込んでくる「ど派手」「超カッコいい」のは「もっと」「泣かし」。「やりすぎ」とは何かを思い知るしかない。




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画像 2020年 2月