回顧録「いつか見た映画 1986」2『エイリアン2』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『エイリアン2』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

1986年/アメリカ映画/137分
監督:ジェームズ・キャメロン
出演:シガニー・ウィーバー/マイケル・ビーン/キャリー・ヘン/ランス・ヘンリクセン/ポール・ライザー/ジャネット・ゴールドスタイン/ビル・パクストン/ウィリアム・ホープ/アル・マシューズ/マーク・ロルストン/リッコ・ロス/コレット・ヒラー/ダニエル・カッシュ/シンシア・スコット/ティップ・ティッピング/トレヴァー・スティードマン/ポール・マクスウェル

■1986年 劇場公開作品 2本目

僕が今まで生涯で見た映画は「約3000本」くらい。『D.B.G.生涯の映画ベスト10』で「5位」にした『エイリアン2』のことを “本気” で書いたら、「命」「寿命」が縮まる「命懸け」の作業になる。書くには「かなり」「覚悟」が必要。できることなら逃げたいと思ってきた。

「5位」って、大きい方を漏らしたあげく、「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」レベル。「生涯」でここまで漏らした経験は僕自信の中でも数少ない。「初めて」見た時あまりの「ショック」「衝撃」で、「失神」「気絶」まで追い込まれ「泣きながら」、「こんな怖いもの生涯で一度も見たことがない」ほど、「怖さ」にビビって震え上がった。

その「怖さ」は、「ホラー映画」「スプラッター映画」の「怖さ」ではない。人間に、ここまで考える、思いつく「想像力」があることが「信じられない」「怖さ」だった。

「エイリアン」の、「化け物」自体の「デザイン」「グロテスク」さに、僕が『寄生獣』で同じく感じた「偏見」「先入観」から、「苦手」と思う人は多いだろう。だがここまで僕が、「化け物」自体の「デザイン」「グロテスク」さを「賞賛」する理由は、絶対に「下品」でチープな「デザイン」「グロテスク」さではないから。「H・R・ギーガー」が生み出した「デザイン」「グロテスク」さは、今まで「誰も見たことがない」「新しいもの」で、恐るべき極限のくそリアリズムな、「生きてる」 “本物” にしか見えない、もし本当に「エイリアン」がいたら「本当そう見える」、「丁寧」「繊細」「上品」な「デザイン」「グロテスク」さだったからビビって震え上がった。

さらに「2作目」『エイリアン2』では、「エイリアンクイーン」の「デザイン」をしたのが「ジェームズ・キャメロン監督」と特殊効果の「スタン・ウィンストン」だった。「1作目」『エイリアン』を「10乗」で超えた「デザイン」、「生きてる」 “本物” 「本当そう見える」、「丁寧」「繊細」「上品」さに、さらにビビって漏らすしかなかった。

「CG」がない時代、「今」見ても少し見劣りするぐらいのレベル、「生きてる」 “本物” 「本当そう見える」「丁寧」「繊細」「上品」さ、恐るべき極限のくそリアリズムがどれほど「凄かった」かは、「1979年」から「1986年」当時日本の、「ゴジラ」や「ウルトラマン」などの「特撮」と比較して見れば解かる。

特殊効果の「スタン・ウィンストン」は、『エイリアン2』で「1987年」「第59回アカデミー賞視覚効果賞」を受賞、その後『ジュラシック・パーク』でも「1994年」「第66回アカデミー賞視覚効果賞」を受賞する。

『スクリーン』の「1986年執筆者選出ベストテン」で「9位」、「ベスト女優」「シガニー・ウィーバー」。「第59回アカデミー賞」で「視覚効果賞」「音響効果編集賞」受賞。『淀川長治映画の部屋』放映。「双葉十三郎」が「☆☆☆☆」の「衝撃」。「鶏」は「こんな怖いもの生涯で一度も見たことがない」あまりの「怖さ」に、ビビって震え上がる以外何もできなかった。

「書いたら切りがない」。「回顧録」なので、ほどほどを心がけたい。僕は「映画監督」に憧れ、「なりたい」などと、「妄想」「白昼夢」を見てた「鶏」時代から、『エイリアン2』を「映画の作り方の教科書」だと「崇拝」してる。「今」でも「映画の作り方の教科書」だと「崇拝」する「信念」「価値観」「倫理観」に迷いはない。

「映画ヲタ」には超有名な話だが、「1979年」「1作目」『エイリアン』から「1986年」「2作目」『エイリアン2』が完成するまで「7年間」掛かった。「7年間」に何があったのか?

「大ヒット」して「超有名」となった「1作目」の功績で、シリーズ化された「続編映画」は「星の数」ほどある。だが「2作目」「3作目」と続く過程で話が「マンネリ化」し、「1作目」の功績も薄れ「B級映画」化し、「何作続いたか解からない」うちに「噂」さえされなくなったシリーズを数多く見てきた。

『エイリアン』シリーズも、「2作目」「3作目」と続く過程で話が「マンネリ化」し、「1作目」の功績も薄れ「B級映画」化し、「何作続いたか解からない」うちに「噂」さえされなくなったシリーズとなる「可能性」は、「かなり」「高かった」。

この「可能性」を阻止したのが製作総指揮の「デヴィッド・ガイラー」と「ウォルター・ヒル」。「デヴィッド・ガイラー」「ウォルター・ヒル」は「7年間」、「2作目」『エイリアン2』の「面白い話」「脚本」を考えられる人間を探し続けた。見つかるまで「7年間」掛かった。

「エイリアン」という言葉が「宇宙人」を意味する言葉として、現代社会で「全世界」「共通認識」となる言葉にまで到達させた「1作目」の功績で、「2作目」を作る「だけ」で、「絶対」「全世界」「大ヒット」することは解かり切ってた。だが「2作目」から「つまんない映画」と化したシリーズが「星の数」ほどある中で、「1作目」の功績に縋って、「2作目か3作目ぐらいまで儲かればいい」で終わらせるか、「映画史」に君臨する「伝説」を目指すか、「志」を試された。

「普通の人」、「もしも」「仮に」自分が、「リドリー・スコット監督」の「1作目」『エイリアン』を見せられ、「この続編で面白い話を考えてくれ」と依頼されたら、どんな話を思いつけるだろう? 「普通の人」には、「マンネリ化」する話しか思いつけないように思える。

「1984年」『ターミネーター』で衝撃のデビューをした「ジェームズ・キャメロン監督」が、「1985年」『ランボー 怒りの脱出』の「脚本」を書いて、「2本連続」「全世界」「大ヒット」。「デヴィッド・ガイラー」と「ウォルター・ヒル」は、「もうこいつしかいない」と「依頼」する人間を「決断」した。

「今」「現在」も「伝説」となった「偉業」が消えてない。「前作を超える」「続編映画」が「伝説」となる「ショック」「衝撃」を、「失神」「気絶」まで追い込まれ「泣きながら」、「ジェームズ・キャメロン監督」に思い知らされた。『エイリアン2』の成功が、『ダイ・ハード』シリーズや『ミッション:インポッシブル』シリーズなど、「全世界」の「続編映画」の作り方に影響を与えた。

まず「エイリアンクイーン」とか「パワーローダー」とか、「気が狂ってないと思いつけない」ように思える。「ジェームズ・キャメロン監督」の「脳みそ」がどうなってるのか? もはや「天才」という言葉しか、凡人には表現できない。

「今日はここまで」なのは、「全シーン解説」まで書いたら、読む人も「命」「寿命」が縮まる「命懸け」の作業になるから。「完全版」は「もっと」「ヤバい」。

だがこうして『エイリアン』シリーズは、「40年」経った今も『エイリアン コヴェナント』が作られるまで「伝説」のシリーズとなった。「ジェームズ・キャメロン監督」の『エイリアン2』を、「映画の作り方の教科書」だと「崇拝」してる人間は僕だけでなく「全世界」にいる。「もしも」「仮に」自分が、「この続編で面白い話を考えてくれ」と依頼されたら、どんな話を思いつけるだろう? 人間に、ここまで考える、思いつく「想像力」があることが「信じられない」「怖さ」を、「鶏」は「16歳」の時思い知らされた。




「いつか見た映画 1979」1『エイリアン』
「いつか見た映画 1986」2『エイリアン2』
「いつか見た映画 1992」1『エイリアン³』
「いつか見た映画 1998」1『エイリアン4』
日記「今日見た映画 2012」2『プロメテウス』
日記「今日見た映画 2017」44『エイリアン コヴェナント』

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画像 2020年 2月