『ダイ・ハード2』 | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ダイ・ハード2』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

1990年/アメリカ映画/124分
監督:レニー・ハーリン
出演:ブルース・ウィリス/ボニー・ベデリア/ウィリアム・サドラー/ジョン・エイモス/フランコ・ネロ/アート・エヴァンス/デニス・フランツ/ウィリアム・アザートン/レジナルド・ヴェルジョンソン/フレッド・ダルトン・トンプソン/ロバート・パトリック/ヴォンディ・カーティス=ホール/コルム・ミーニイ/ジョン・レグイザモ/トム・バウアー/シーラ・マッカーシー/ドン・ハーヴェイ

D.B.G.生涯の映画ベスト10
第13位:『ダイ・ハード2』
(『ダイ・ハード』『ダイ・ハード3』『ダイ・ハード4.0』『ダイ・ハード ラスト・デイ』の全5部作を含めて)



[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:ブルース・ウィリス


やりすぎ限界女優賞:ボニー・ベデリア


やりすぎ限界女優賞:シーラ・マッカーシー


■第3稿 2021年 1月1日 版

[「1作目を超える」]



「偶然」が2回起きたらもう「偶然」じゃない。「2作目」が「1作目を超える」ハードルは、「レニー・ハーリン監督」にとって想像を絶するプレッシャーだったに違いない。



「続編映画」が「前作を超える」例は圧倒的に少ない。映画史において、実際に超えた「続編映画」は「頭に思い浮かぶほどしかない」。だからこそ「前作を超える」「続編映画」は「伝説」となる。「1986年」『エイリアン2』が成し遂げた革命、「続編映画は違う監督に違うカラーの映画を撮らせる」。『エイリアン』『ミッション:インポッシブル』シリーズなどに適用された製作方式が、『ダイ・ハード』5部作にも適用された。




「レニー・ハーリン監督」が「1作目」の「偶然」と対峙し、「成立」させた「続編映画」の「ショック」「衝撃」に「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」。当時映画館で「初めて」『ダイ・ハード2』を見た「瞬間」、「泣きながら」大きい方漏らす以外なす術はなかった。

[「世界一ツイてない男」の「完成」]




『ダイ・ハード』5部作の “核” となる「方向性」、「世界一ツイてない男」。「運の悪い奴」「ツイてない男」の惹句は『ダイ・ハード2』で「完成」した。現実で「偶然」が「2回」起きないことを、「レニー・ハーリン監督」は「大スペクタクル・コント」=「極限のバカ映画」で「成立」させた。シリーズが「25年間」続いた土台は「レニー・ハーリン監督」が築いた偉業と「言い切って」大袈裟ではない。



悪人にぶつける、「不正」「理不尽」に絶対屈しない「意思」「精神」、「心」の「抵抗」「因果応報」の想いを表現する「イメージ映像」。この世の全ての人間が「絶対真似できない」、「ドリフのコント」「ハード版爆発オチ」だと「一目瞭然」な「非現実」映像。『ダイ・ハード』5部作「花火」の「美しさ」が、「真面目な人間」「弱者」が「肩で風を切って歩く」ことができる、「大爆笑」して見ていい「爆発」の「芸術」であることを、「世界一ツイてない男」の話として、「決定的」に「確立」させたのが「レニー・ハーリン監督」だった。

[「極限のバカ映画」への挑戦「ジェット燃料引火」]




「大スペクタクル・コント」とは「絶対ありえない」ということ。『ダイ・ハード2』は開き直った「極限のバカ映画」。「絶対ありえない」ことのオンパレード。「エスペランザ将軍護送」「クリスマス・イブ」「リチャード・ソーンバーグ再登場」が重なる偶然、誰も疑わない「テロ対策部隊」、そして「不死身のマクレーン」…………。だが虚仮威し程度の「絶対ありえない」ことで「1作目を超える」ことはできない。




……「ジェット燃料引火」。当時の「ジェット燃料」が何を使用してたかまで調べられなかったが、現在一般的と言われる「JET A-1」の引火点は摂氏「37.8℃」らしい。僕の高校生の時の親友「T君」が「なぜか」 “本物” の航空整備士で、『ダイ・ハード2』公開時のリアルタイム、「大嘘」だと叫ぶ「T君」から「誰よりも先に」話を聞いて大きい方を漏らした。もはや「うっすら」しか覚えてないが、他にも「ジェット燃料」に引火するには、引火させるための状況を整えないと引火しにくい話も聞いた。

[ “本物” の「天才」]



また「射出座席」さえない「軍用機」で「脱出」「極限爆発」を考えたのは、「ドアから逃げる」はずだった脚本に、「こんなの全然ダメだ」と思ったと「レニー・ハーリン監督」は言う。「1作目」が極限のくそリアリズムだった「偶然」に対し、リアリズムを「大胆になくすこと」を心掛けたらしい。「ジェット燃料引火」も「射出座席」も最初から「確信犯」の「大嘘」。「1作目」を超える方法を「どこまでバカになれるか?」で「勝負」したのだろう。堂々と開き直った「嘘」をやってのけた、「大胆不敵」な「度胸」に、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」。大きい方を漏らして「泣く」以外もはやなす術はない。






「レニー・ハーリン監督」は最近のインタビューで、「観客が可能と思う模写なら やってもいいと思っている」「でも節度を持たなければならない」と話してる。映画の中には「絶対ありえない」ことが「度」を越え過ぎ、見てて「怖さ」「痛さ」を感じられず「共感」「感情移入」できないものも多い。だが『ダイ・ハード2』が「偉大」な名作である理由は、「ジェット燃料引火」「射出座席」…………、などが「大嘘」でも、「節度を持たなければならない」部分で、マクレーンが「痛み」を感じる「人間性」の部分を、極限のくそリアリズムで「キープ」してたからだろう。「極限のバカ映画」でありながら、「節度」を「キープ」した作風が『ダイ・ハード2』を「伝説」にした。この「さじ加減」のバランスを見て、「レニー・ハーリン監督」が “本物” の「天才」であることを改めて思い知るしかなかった。

[「アンディ・シダリス監督」への挑戦「ジャンボジェット」「極限爆発」]




「花火」の「美しさ」で、これほどまでの「輝き」は滅多に見ることができない。「レニー・ハーリン監督」が生み出した「ジャンボジェット」「極限爆発」は、映画史において「爆発のあり方」を指し示す「偉業」を成し遂げた。




「レニー・ハーリン監督」が出した「1作目を超える」「答え」。それは「アンディ・シダリス監督」の「ヘリコプター爆発」への挑戦だった。……「1作目の極限爆発を超えるにはアンディ・シダリスに正面から挑むしかない」。「レニー・ハーリン監督」は『ダイ・ハード2』の「全て」を「この1点」に収斂したように見える。



「2作目」だけ唯一「ヘリコプター爆発」が存在しない理由。「ヘリコプター爆発」を超える「ジャンボジェット」「極限爆発」こそ、「レニー・ハーリン監督」が「命」の全てを懸けた「答え」。『ダイ・ハード』ブランドの「極限爆発」を、全世界に信頼される「高級ブランド」まで「決定的」に到達させたのが、「ジャンボジェット」「極限爆発」だった。

[「不死身のマクレーン」]



“荒手” の「ギャグ」と「さらに」化した、「2作目」の「偶然」を成立させたのは、「普通の警察官」から「不死身のマクレーン」への「変貌」だった。「何をしても死なない」。この「変貌」がシリーズを「25年間」の成功へ導いた。



「2作目」のアクションがもし「現実」なら、マクレーンは何度死んだか解からない。「手荷物泥棒」の銃撃戦から生きてることなど「絶対ありえない」。特に「4作目」は「何をしても死なない」が、「海軍特殊部隊SEAL」級の極限領域へ到達。「極限のバカ映画」が何かを見せた。



「現実」は生きてて辛いことばかり。「苦しみ」に負けてあきらめそうになった時「不死身のマクレーン」の「ど根性」と「男気」を思い出したい。「現実」こそ、マクレーンが体験する「極限爆発」ほどの「苦しみ」など「絶対ありえない」。自分の「苦しみ」がマクレーンの「極限爆発」ほど苦しいか「冷静」に比較したい。「何をしても死なない」マクレーンの姿を思い出せば、人間何事も大抵のことは我慢できるかもしれない。

[第2作目『ダイ・ハード2』「また、戦場へ来てしまった運の悪い奴!」]




「また、戦場へ来てしまった運の悪い奴!」。

「クリスマス・イブ」。ナカトミ・ビル事件で夫婦の絆を取り戻したマクレーン(ブルース・ウィリス)は家族の住むロス市警に転勤。クリスマス休暇でワシントンに里帰りする「妻」ホリー(ボニー・ベデリア)迎えにダレス国際空港にいた。そこへ「バルベルデ共和国」から「麻薬密輸の黒幕」エスペランザ将軍が「アメリカに護送」される。その場に「偶然」居合わせたマクレーンは、ハイジャックされた妻の乗る旅客機を救う戦いを始める。「またエレベーターと 地下室だ 何で俺ばっかり」。一人呟くマクレーン。伝説の「世界一ツイてない男」の「絶対ありえない」2回目の「偶然」がここに始まる。

[家族への「関係修復」]




■「君が着陸したら
  ホテルに行こう
  子供は家に置いといて
  たまに僕たちだけで
  ゆっくり しないか?」
 「いいわ」
 「待ってるよ 愛してる」


「2作目」は『ダイ・ハード』5部作でマクレーンの家族が「一番幸せ」な時期だった。「2作目」を最期に再び「家庭崩壊」する。「3作目」の「別居」から「4作目」の「離婚」へ。『ダイ・ハード』5部作はマクレーンが、これだけ「幸せだった日々」を命懸けで取り戻そうと挑む物語。シリーズ「唯一」の「妻」と「幸せ」な時期の姿に、全世界が「泣かし」に追い込まれた。




■「あとで ご一緒にお酒でも…」
 「これだけで結構」


当時「20歳」だった「鶏」は、「結婚指輪」を見せるマクレーンに「死ぬほど」、「俺もこうなりたい」と、「心から憧れた」。「絶対」「浮気しない」。逆ナンを指輪を見せてかわす姿は、「震えるような幸せ」を手に入れた男にしかできない「輝き」に見えた。この「結婚指輪」が、「今」でも、僕の中で「生きる目標」「幸せの象徴」と化してる。




■「まずい 早くやれ!」
 「前は無理だ」
 「じゃ 上に行け」


「降りられない飛行機に 女房が乗ってんだ」。マクレーンの「真似」など、この世の殆どの人間誰にもできないが、せめて「志」だけでも、こうでありたいと思う。

「妻を助ける」。「自分が女だったらどんな男を好きになるか?」 マクレーンほど真剣に “本気” で、「真面目」「一生懸命」「絶対あきらめない」想いをぶつければ、「情熱」は相手に「必ず伝わる」と今は思う。「極限爆発」には挑めないが、女性の前ではこうでいなければならない「教え」を、僕はマクレーンから思い知らされた。

[『ダイ・ハード2』極限台詞集]



■「またエレベーターと
  地下室だ
  何で俺ばっかり」




■「普通のクリスマスなら…
  たいてい…
  クリスマス・ツリーに
  七面鳥…
  なのに俺は パイプの中を
  はいずり回ってる」


映画館は「大笑い」だった。「愚痴を言う」「等身大のヒーロー」。「絶対ありえない」「2回目」の「偶然」を「成立」させた「レニー・ハーリン監督」に跪いた。

一歩間違えたら “本物” の「ドリフのコント」だった「2回目」の「愚痴」「悲痛な叫び」を、全世界の観客に「大笑い」で「完全共感」させた。絶妙なバランスで「嘘」と「リアリズム」をやってのけた「レニー・ハーリン監督」「ブルース・ウィリス」の「偉大」さに、「今」の視点で「絶句」する。




■「手榴弾は?」
 「あります」
 「使え」
 「悪運の強い奴」







「こんなの全然ダメだ」と思った、「レニー・ハーリン監督」の「判断」は「正しかった」。「境」が見えた「SFX」時代、「手榴弾」が床に落ちる「バカバカしい」「間」を「初めて」見た「瞬間」「おしっこ垂れ流し」。映画館で起きた「大爆笑」の記憶が「今」も消えない。




■「無茶しないでよ!」
 「もう少し下げろ
  もっと
  本当に無茶だよな」





……「本当に無茶だよな」。「初めて」聞いた「瞬間」漏らした。極限の「緊迫状況」でカマす想像を絶した “荒手” の「ギャグ」にぶっ飛べ! 「1作目」に全然負けない “荒手” の「ギャグ」に全世界が「震撼」「驚愕」「絶句」! 恐るべき「レニー・ハーリン監督」「ブルース・ウィリス」の研ぎ澄まされた「感覚」に映画館が「大爆笑」となった!




■「おかしい
  補助翼が動かん
  クソ! また マクレーンだ」





「レニー・ハーリン監督」は “本気” だ! 「1作目を超える」。誰にも予測できない「2連続」でカマす想像を絶した “荒手” の「ギャグ」! さらに「大爆笑」だった! 観客は全員『ダイ・ハード』シリーズが映画史に刻まれる偉大なシリーズになることを「確信」。もはやおしっこは全部出尽くしてた。だがこの「台詞」でさえ、「レニー・ハーリン監督」が「命」の全てを懸けた「答え」の「始まり」でしかなかった!

[「決め台詞」 “Yippee-ki-yay, Motherfucker” ]




■「 “Yippee-ki-yay, Motherfucker” 」
 (くたばれ!)





「運の悪い奴」の「創始者」。「偶然」の「成立」。『ダイ・ハード』ブランドの「極限爆発」の確立。「不死身のマクレーン」。「2作目」を成功させ、『ダイ・ハード』5部作の決定的な土台を築いた「レニー・ハーリン監督」の功績は賞賛に値する。だが「レニー・ハーリン監督」が、『ダイハード2』で成し遂げた本当の偉業の「真実」は「もう1点」ある。




“Yippee-ki-yay, Motherfucker”。「1作目」の「偶然」では「ただの台詞」でしかなかった言葉を、『ダイ・ハード』5部作の「決め台詞」に変えたのが「レニー・ハーリン監督」だった!






当時「LD」全盛期時代、何回も『ダイ・ハード』の復習をしてから映画館に行った僕は、「一瞬」で “Yippee-ki-yay, Motherfucker” を聞き取った。「はうあ!!!」。………「全く予想できなかった」。溜めに溜めたラストで「炸裂」した「決め台詞」に、「瞬間」で大きい方を「泣きながら」漏らす「エクスタシー」まで到達! 「ここでカマすのかっ!」 魂が震えた「衝撃」を今も忘れない。「これは『ダイ・ハード』だ!」「これが『ダイ・ハード』だ!」。




「1作目」と「2作目」を繋ぐ “Yippee-ki-yay, Motherfucker” で「ジェット燃料引火」! 「花火」の「美しさ」が、「大爆笑」して見ていい「爆発」の「芸術」であること、「ドリフのコント」「ハード版爆発オチ」であること、『ダイ・ハード』ブランドの「極限爆発」が何かを、「アンディ・シダリス監督」に正面から挑んだ「ジャンボジェット」「極限爆発」で「全世界」に「証明」した。 見よ! 「これが『ダイ・ハード2』だ!」




『ダイ・ハード』
『ダイ・ハード2』
『ダイ・ハード3』
『ダイ・ハード4.0』
『ダイ・ハード ラスト・デイ』[前][後]

画像 2021年 1月