『ダイ・ハード』 | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ダイ・ハード』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

1988年/アメリカ映画/131分
監督:ジョン・マクティアナン
出演:ブルース・ウィリス/アラン・リックマン/ボニー・ベデリア/アレクサンダー・ゴドノフ/レジナルド・ヴェルジョンソン/ポール・グリーソン/ウィリアム・アザートン/ハート・ボックナー/ジェームズ繁田/アル・レオン/デヴロー・ホワイト/グランド・L・ブッシュ/ロバート・ダヴィ/クラレンス・ギルヤード・Jr/ブルーノ・ドワイヨン/アンドレアス・ウィズニュースキー/ロレンツォ・カッチアランザ

D.B.G.生涯の映画ベスト10
第13位:『ダイ・ハード』
(『ダイ・ハード2』『ダイ・ハード3』『ダイ・ハード4.0』『ダイ・ハード ラスト・デイ』の全5部作を含めて)



[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:ブルース・ウィリス


やりすぎ限界男優賞:アラン・リックマン


■第4稿 2020年 12月19日 版

[『ダイ・ハード』5部作「圧倒的魅力」]



「1988年」から「2013年」まで「25年間」製作された『ダイ・ハード』5部作が何で「凄かった」か、今の視点で振り返ると、「ジョン・マクレーン」=「ブルース・ウィリス」の偉大さと、爆発の「高級ブランド」まで到達した「極限爆発」、大きな2つの「圧倒的魅力」だと確信する。



もし「ジョン・マクレーン」が「ブルース・ウィリス」ではなく他の俳優だったら、全世界からここまで「賞賛」「崇拝」されるシリーズにはならなかった。



また「真実」と「嘘」の「境」が見えた「SFX時代」、「1988年」『ダイ・ハード』から「1995年」『ダイ・ハード3』までの「3部作」が、「アクション映画」の「爆発のあり方」、現代に繋がる爆発の技術を確立したように見える。「3部作」は90年代、全世界のアクション映画の「最先端」を突っ走った。殆どのアクション映画が『ダイ・ハード』ブランドの「極限爆発」を、「爆発のあり方」として追いかけ模索した。



「2013年」『ダイ・ハード ラスト・デイ』で『ダイ・ハード』5部作「25周年記念」。「ジョン・マクレ-ン」=「ブルース・ウィリス」、『ダイ・ハード』ブランドの「極限爆発」、2つの「圧倒的魅力」が何かを見つめ直したい。

[「アクション映画」]



「アクション映画」の定義は難しい。そもそも「動く」ことが「アクション」の意味で、アクション映画のジャンルは数多い。「西部劇」から、「SF映画」「恋愛映画」にもアクション映画の要素の強い映画がある。また『ダイ・ハード』シリーズや「ジャッキー・チェン」のような「明るい話」ばかりでなく、昔は「バイオレンス映画」と言われた「バッドエンド」な「暗い話」もアクション映画。数多いジャンルの中で『ダイ・ハード』5部作は、「人間が死ぬの見て笑って喜ぶなど言語道断」な、「明るい話」に位置する。



なぜ人間は「アクション映画」を見たいのか? 。「何て残虐」「何て教育に悪い」。「見た人間が本当に真似して人を殺したらどうすんだ?」 「人間が死ぬの見て笑って喜ぶなど言語道断」な「アクション映画」など、「人間が絶対見てはいけないもの」なのではないだろうか?

[「ドリフのコント」「爆発オチ」]



この世に「ドリフのコント」「爆発オチ」を知らない人間はいない。「志村けん」や「加藤茶」が最期「爆発」してアフロヘアになり、真っ黒になって煙を吐く「爆発オチ」を、この世の全ての人間が「大爆笑」し、「賞賛」「崇拝」してきた。この「面白さ」「偉大さ」の「普遍性」は、「風刺」なのかもしれない。



「してはいけないことしたらこうなる」。人間を「大爆笑」させる「爆発オチ」の “核” は「風刺」の「イメージ映像」。「やってはいけないこと」を、「もしも本当にやったら」「絶対こうなる」、「ただでは済まない」ことを表現する「イメージ」に、恐るべき極限のくそリアリズムがあるから、全ての人間が「大爆笑」「完全共感」する。



だが「爆発オチ」を見て「本当に真似する人間」は一人もいないだろう。正常な「信念」「価値観」「倫理観」を持つ人間なら、「もしも本当にやったら」「ただでは済まない」ことが「判断」できるから。正常な「信念」「価値観」「倫理観」を持てない、「判断」ができない人間にしか、「本当に真似する」ことはできないだろう。

[「花火」の「美しさ」]



アクション映画の「爆発」は「花火」の「美しさ」。「ヘリコプター爆発」の「権威」「アンディ・シダリス監督」が、『売れる映画5つの誓い』で生涯に渡り拘り続けた「理論」の「答え」なのかもしれない。



そもそも人間は事故が起きないように生きてる。何かが爆発する事故が実際に「殆どありえない」から、アクション映画の爆発が「非現実」にしか見えなくて「安心」する。現実に『ダイ・ハード』5部作の「極限爆発」など「殆どありえない」。



「非現実」の「創作した炎」こそがアクション映画の爆発。まさに「創作した炎」=「花火」。「花火」は燃えれば燃えるほど「スターマイン」のごとく「美しさ」を増す。どこまで「極限の美」に輝く「ヘリコプター爆発」を見せるかが、「爆発」の「芸術」となる。「アンディ・シダリス監督」の「理論」の「答え」なのだろう。

[「心の中で殺す」「心」の「抵抗」]



どれほど凶悪な「悪人」「犯罪者」、「他人のことを考えない人間」に対しても、現実社会で「殺人」を犯すのは「絶対許されない」。「復讐」「仕返し」など、どんな正統な理由があろうと、「殺人」を犯せば「殺人犯」と同じ人間になってしまう。



一般市民、「真面目な人間」「弱者」に悪人を裁く力はない。「不正」「理不尽」の現実に撃ちのめされるばかり。「真面目な人間」「弱者」は「泣き寝入り」しかできないのか?



人間は絶対「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」。「人は善い行いをすれば善い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある」。「因果応報」を信じ仏様に裁きを託す、「真面目な人間」「弱者」にできる「抵抗」とは、「心の中で殺す」という「抵抗」のみ。



「心の中で殺す」とは、現実社会で絶対「殺人」をしない、絶対「復讐」「仕返し」をしない、絶対「犯罪者」にならない、「誓い」「そのもの」。悪人は「不正」「理不尽」を止めなければいずれどんな「最期」を迎えるか? 「不正」「理不尽」に絶対屈しない「意思」「精神」、「心」の「抵抗」「因果応報」の想いを、人は悪人にぶつける「イメージ映像」として、『ダイ・ハード』5部作のような「アクション映画」に託すのだろう。

[「爆発」の「芸術」]



「人間が死ぬの見て笑って喜ぶなど言語道断」、『ダイ・ハード』5部作の「極限爆発」を、「見た人間が本当に真似して人を殺したらどうすんだ?」



『ダイ・ハード』5部作の「極限爆発」が、今は「ドリフのコント」「ハード版爆発オチ」、「やってはいけないこと」したら「絶対こうなる」「風刺」に見える。



悪人にぶつける、「不正」「理不尽」に絶対屈しない「意思」「精神」、「心」の「抵抗」「因果応報」の想いを表現する、「心の中で殺す」「イメージ映像」には、一体どんな映像が「一番相応しい」のか? この世の全ての人間が「絶対真似できない」、「非現実」だと「一目瞭然」、「ドリフのコント」「ハード版爆発オチ」だと「一目瞭然」、な映像でなければならないのではないだろうか?



…………「花火」の「美しさ」。絶対「殺人」「復讐」「仕返し」をしないよう、「因果応報」の想いを仏様に託す、「ハード版爆発オチ」には、「非現実」が「一目瞭然」な、「花火」の「美しさ」こそが「一番相応しい」のではないだろうか?



『ダイ・ハード』5部作の「極限爆発」が他の追従を許さない「高級ブランド」となった「理由」。「人間が絶対見てはいけないもの」「ではない」、「風刺」、「真面目な人間」「弱者」が、「ドリフのコント」のように「大爆笑」して見ていい「ハード版爆発オチ」の、「イメージ映像」が、「爆発」の「芸術」であることを「全世界」に「証明」したから。見た「真面目な人間」「弱者」が、「肩で風を切って歩く」ことができるよう、『ダイ・ハード』5部作はこの世に在る。

[「愚痴を言う」「等身大のヒーロー」]



「1作目」「元西ドイツ民族解放組織」「ハンス・グル―バー」。「2作目」「麻薬密輸の黒幕」「エスペランザ将軍」。「3作目」「元東独陸軍大佐」「サイモン・ピーター・グル―バー」。「4作目」「元国防総省保安担当チーフ・プログラマー」「トーマス・ガブリエル」。「5作目」「元大富豪」「ユーリ・コマロフ」。「アメリカ」を「5回」もテロの脅威から救い、「5人」の「テロリスト」が率いる「軍隊」を壊滅させた。



だが「海軍特殊部隊SEAL」を超えるほどの「戦闘力」を持つ「英雄」の、一番の悩みは「家庭崩壊」。「全5部作」でマクレーンは「妻」「娘」「息子」との「関係修復」に、テロリストとの戦いよりも「苦戦」。「不死身のマクレーン」は「別居」してる妻に面と向かって「文句」さえ言えない。「家庭崩壊」「別居」の「普通の警察官」で、“荒手” の「ギャグ」、「愚痴を言う」「等身大のヒーロー」はいなかった。



「妻」との別居で、「やけくそ」な精神状態だったかもな状況で、「自分の命より人質の命を優先した」。「他人のことを考える人間」。「自分の感情を殺す」恐るべき「勇気」「正義感」「犠牲心」で「職務」を貫き、「捨て身」でハンスに挑んだ。「誰にも真似できない」。「全世界」を「大爆笑」で「完全共感」させた「英雄」「ジョン・マクレーン」を、「生身の人間」に変えたのが「ブルース・ウィリス」。『ダイ・ハード』5部作が「賞賛」「崇拝」される「圧倒的魅力」だと確信する。

[「1作目」『ダイ・ハード』]



「世界一ツイてない男」。この惹句は「1作目」になかった。リアリズムで起きた「偶然」の事件が、「まさか」「25年間」も続いて起きるとは誰にも想像できなかった。



「クリスマス・イブ」。「ニューヨーク」から「ロサンゼルス」へ、「別居」してる妻ホリー・ジェナロ(ボニー・ベデリア)と「娘」「息子」に会いにきたジョン・マクレーン(ブルース・ウィリス)。妻が務めるナカトミ・ビルのクリスマスパーティーに出席。そこへナカトミ・ビルの「6億4千万ドル」の「一覧払い債券」を狙う「西ドイツ民族解放組織」を除名されたハンス・グル―バー(アラン・リックマン)達が現れる。その場に「偶然」居合わせたマクレーンは、妻も含めた人質30人を救うたった一人の戦いを始める。「ついてないぜ」。ハンスに呟くマクレーン。伝説の「世界一ツイてない男」の「絶対ありえない」「1回目」の「偶然」がここに始まる。

[家族への「関係修復」]




■「すぐ戻るわ」
 「いいぞ ジョン
  よく言ってやった」


「いいぞ ジョン よく言ってやった」。妻に “本音” を言うことの「怖さ」に「ガン見」。だが、“本音” を言える「妻」がいることに、「死ぬほど」、「俺もこうなりたい」と憧れた。




■「俺は悪い亭主だったことが
  今やっと分かった
  女房に仕事のチャンスが
  来た時-
  応援してやらなかった
  理解が足りなかった
  伝えてくれ
  俺には過ぎた女房だったよ
  彼女に “愛してる” とは
  何度も言ったが-
  謝ったことはない
  だから君から伝えてくれ
  俺が謝ってたって」


僕が「今」「結婚」してないのは、「彼女に謝ったことは 何度もあったが- “愛してる” と言ったことはない」と「逆」だったから。「バカな人生」だった。「女性」との「恋愛」をあきらめ続けて生きた「鶏」は「愛してる」と、“本気” で言える人間関係を築くことを怠ってきた。本当に「幸せ」になりたいなら、“本気” で「関係修復」に挑まねばならない「教え」を、マクレーンから思い知らされた。

[『ダイ・ハード』極限台詞集]




■「このチャンネルは
  非常連絡用です」
 「出前を頼んでんじゃ
  ねぇぞ!」


「出前を頼んでんじゃ ねぇぞ!」 「等身大のヒーロー」の「悲痛な叫び」が “荒手” の「ギャグ」と化す、恐るべき “本音”。「愚痴」「悲痛な叫び」の「始まり」だった。




■「もう1発」
 「ハンス もう許してやれ」
 「君は優しいね
  もう1発だ」





ロスの高層ビル街で「対空ミサイル」など「まず」「絶対ありえない」。「初めて」、「装甲車」「極限爆発」を見た「瞬間」「おしっこ垂れ流し」。






■「こっちも やってやる
  これでも食らえ!」







さらに「連続」する爆薬「C-4」での「ナカトミ・ビル」「極限爆発」が、全世界に「初めて」、『ダイ・ハード』「ブランド」の「極限爆発」が何かを思い知らせた。「連続」する「装甲車」「極限爆発」「ナカトミ・ビル」「極限爆発」こそ、他の追従を許さない『ダイ・ハード』「ブランド」の「極限爆発」がこの世に生まれた「衝撃」の「瞬間」。大きい方を漏らして「泣く」以外もはやなす術はなかった。




■「俺としたことが…
  何で こんな目に
  あうんだ?」





「FBI」の銃撃を「壮絶スピード」でかわす「ど根性」。恐るべきクライマックスの「緊張」が高まる「絶頂」、マクレーンは「俺としたことが… 何で こんな目に あうんだ?」と、「愚痴」「悲痛な叫び」の「ギャグ」をぶっ飛ばす。「初めて」聞いた「瞬間」、「大きい方を漏らした」。




■「神さま
  もう高いビルには上りません
  どうか お助け下さい」





もはやこの「台詞」が、「1作目」『ダイ・ハード』の「全て」に見える。ハンスがナカトミ・ビルの「6億4千万ドル」「一覧払い債券」を奪いにきた「131分」の「全て」は、「ブルース・ウィリス」にこの「台詞」を言わせるためだけに存在した。「愚痴を言う」「等身大のヒーロー」が「極限緊迫状況」でカマす、想像を絶した “荒手” の「ギャグ」にぶっ飛べ!






消防ホースを巻いて「ダイビング」したと「同時」の「屋上」「極限爆発」。こんな「バカバカしい」正確な「タイミング」など「絶対ありえない」! 「連続」する、「アンディ・シダリス監督」も絶対「大きい方を漏らす」「ヘリコプター」「極限爆発」! 見よ! 「これが『ダイ・ハード』だ!」

[「決め台詞」 “Yippee-ki-yay, Motherfucker” ]




■「我々に勝てると思うか?」
 「 “Yippee-ki-yay, Motherfucker” 」
 (あったりめえよ)


『ダイ・ハード』5部作のラストに「止め」を刺すマクレーンの「決め台詞」 “Yippee-ki-yay, Motherfucker”。「決め台詞」 “Yippee-ki-yay, Motherfucker” こそ、「ジョン・マクレーン」『ダイ・ハード』5部作が、「風刺」、「真面目な人間」「弱者」が「ドリフのコント」のように「大爆笑」して見ていい「ハード版爆発オチ」、「花火」の「美しさ」が「爆発」の「芸術」であることを、「全世界」に思い知らせた。




『ダイ・ハード』
『ダイ・ハード2』
『ダイ・ハード3』
『ダイ・ハード4.0』
『ダイ・ハード ラスト・デイ』[前][後]

画像 2020年 12月