『やりすぎ限界映画』とは?[定義③] | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

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■第3稿 2018年 4月27日 版

[ “ヤバ男” (危険男) “ヤバ女” (危険女)とは?]

※読み方…ヤバ男(やばおとこ)ヤバ女(やばおんな)

『北斗の拳』で描かれた通り、普通の人間は生きてるうちに自分の潜在能力の30%しか使用できない。“ヤバ男” (危険男) “ヤバ女” (危険女)とは、その残りの70%、あるいはそれ以上の能力を、限界まで出し切って生きようとした人間達のこと。この世には「人から尊敬される美しい人間」と「人から軽蔑される醜い人間」がいる。“ヤバ男” “ヤバ女” とは、やりすぎ限界映画において、美しくも醜くも、良くも悪くも、潜在能力を極限まで出し切る生き方を見せた登場人物に対し、僕が敬意を表して贈った「称号」「呼び名」である。

[ “ヤバ男” ]

・俺が心の底から尊敬した男。
・俺が心の底から格好良いと憧れた男。
・俺が心の底からもし女だったら結婚したいと思った男。
・俺が心の底から二度と会いたくないと思った男。
・俺が心の底から絶対に関わり合いたくないと思った男。

[ “ヤバ女” ]

・俺が心の底から結婚したいと思った女。
・俺の心の底の弱い部分を攻撃してきた女。
・俺が心の底から尊敬した女。
・俺が心の底から格好良いと憧れた女。
・俺が心の底から二度と会いたくないと思った女。
・俺が心の底から絶対に関わり合いたくないと思った女。

[「やりすぎ限界男優賞」「やりすぎ限界女優賞」とは?]

■ “ヤバ男” =「やりすぎ限界男優賞」は極限の「危険さ」
■ “ヤバ女” =「やりすぎ限界女優賞」は極限の「美しさ」
※「男」「女」の潜在能力で「対極」の「極限」が問われる。


“ヤバ男” “ヤバ女” が審査基準となり、やりすぎ限界映画祭での「やりすぎ限界男優賞」「やりすぎ限界女優賞」の選考が行われる。そして『やりすぎ限界映画』とは?[定義②]『裏・ぼくの採点表』の審査基準と合わせ、やりすぎ限界パルムドール以下の受賞の選考が行われる。だがやりすぎ限界映画祭はカンヌ国際映画祭と違い「ただの僕の白昼夢」。だから選考は甘いかもしれない。「多人数受賞」が珍しいことではない。

たった一度しかない人生で「最高の幸せ」を実感するために、人間はどう生きるべきなのか? 今の自分が本当に限界の力を出しきって生きてるかどうかは、“ヤバ男” “ヤバ女” 達の生き方が教えてくれる。オリンピック選手より速く走ったり飛んだりはできなくとも、人間は “本気” で物事に打ち込めばそれなりの結果が出るようにできてる。ある時は「尊敬すべき人生の目標」として、ある時は「軽蔑すべき人生の反面教師」として、“ヤバ男” “ヤバ女” 達の極限に到達した生き方から、「何かを感じたい」と思い、僕は映画を見続けるのだと思う。


『やりすぎ限界映画』とは?[定義①]
『やりすぎ限界映画』とは?[定義②]
『やりすぎ限界映画』とは?[定義③]
『やりすぎ限界映画』とは?[定義④]
『やりすぎ限界映画』とは?[定義⑤]

画像 2012年 8月