「やりすぎ限界映画」とは?[定義④]① | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」




■第3稿 2018年 4月28日 版

[『「続編映画」の正しい見方』①]

[「続編映画は絶対1作目から見なければならない」]

■「続編映画は絶対1作目から見なければならない」。突然2作目や3作目から見ることは本の真ん中からや最後だけを読むのと同じ。1作目からちゃんと見なければ「続編映画」の内容は絶対に理解することができない。

だが注意したいのは全ての「続編映画」が1作目から全作品やりすぎ限界映画ではないこと。当たりさわりのない映画の1作目が、突然2作目でやりすぎ限界映画に豹変する「続編映画」はかなり多い。だが本当に見てほしいのは「豹変した続編」のやりすぎ限界映画のみでも、それだけを見て内容を理解すること、またその「続編映画」がなぜやりすぎ限界映画に豹変してるかは理解できない。

また「続編映画」は1作目2作目がやりすぎ限界映画でも、3作目は大失敗作というシリーズがかなり多い。やりすぎ限界映画に豹変した「続編映画」と各作品との「違い」を比較するには、やはり「続編映画は絶対1作目から見なければならない」ということになるだろう。「違い」の比較こそが「続編映画」を楽しむ見方だと思う。

[やりすぎ限界映画における「続編映画」4種類の分類]

「続編映画は絶対1作目から見なければならない」のだが、大きく4種類に分類される続編映画の中には、突然2作目や3作目から見て大丈夫な続編映画もある。やりすぎ限界映画における4種類の分類を説明したい。

■「①完全な続編映画」
■「②毎回創作する完全な続編映画」
■「③毎回創作する物語のみが継続する続編映画」
■「④毎回創作する1本完結の続編映画」


[「①完全な続編映画」]

■「最初から完全に完成してるテーマと物語が長すぎて1本にできないため、最初から分割して製作した続編映画」

[例『インファナル・アフェア』3部作]


■『インファナル・アフェア』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2002年/香港映画/102分
監督:アンドリュー・ラウ/アラン・マック
出演:トニー・レオン/アンディ・ラウ/アンソニー・ウォン/エリック・ツァン/ショーン・ユー/エディソン・チャン/ケリー・チャン/チャップマン・トー

2003年 第19回 やりすぎ限界映画祭
2003年 ベスト10 第4位:『インファナル・アフェア』
やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『インファナル・アフェア』

D.B.G.生涯の映画ベスト10
第6位:『インファナル・アフェア』
(『インファナル・アフェア 無間序曲』『インファナル・アフェアⅢ 終極無間』の全3部作を含めて)



■『インファナル・アフェア 無間序曲』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2003年/香港映画/119分
監督:アンドリュー・ラウ/アラン・マック
出演:アンソニー・ウォン/エリック・ツァン/フランシス・ン/ショーン・ユー/エディソン・チャン/チャップマン・トー

2004年 第20回 やりすぎ限界映画祭
2004年 ベスト10 第2位:『インファナル・アフェア 無間序曲』
やりすぎ限界グランプリ/やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『インファナル・アフェア 無間序曲』

D.B.G.生涯の映画ベスト10
第6位:『インファナル・アフェア 無間序曲』
(『インファナル・アフェア』『インファナル・アフェアⅢ 終極無間』の全3部作を含めて)



■『インファナル・アフェアⅢ 終極無間』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2003年/香港映画/118分
監督:アンドリュー・ラウ/アラン・マック
出演:トニー・レオン/アンディ・ラウ/アンソニー・ウォン/エリック・ツァン/ショーン・ユー/エディソン・チャン/ケリー・チャン/チャップマン・トー

2005年 第21回 やりすぎ限界映画祭
2005年 ベスト10 第9位:『インファナル・アフェアⅢ 終極無間』
やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『インファナル・アフェアⅢ 終極無間』

D.B.G.生涯の映画ベスト10
第6位:『インファナル・アフェアⅢ 終極無間』
(『インファナル・アフェア』『インファナル・アフェア 無間序曲』の全3部作を含めて)


[途中から見て話を理解できない理由「①」の場合]

「①完全な続編映画」は「最初から続編全部で一つのテーマと一つの物語に完全完成してる」が、長すぎるので最初から分割して製作しただけにすぎない続編映画。「続編全部で1本の映画」として製作されてるため、絶対途中から見て話を理解できない。なので「①完全な続編映画」は殆ど「続編全部で1本の映画」と解釈しなければならない。

『インファナル・アフェア』3部作は最初から「続編全部で1本の映画」として製作された。1作目が「冒頭」、3作目が「ラスト」の3部作は当然全作品見なければ内容がわからない。3部作が描く「テーマ」「物語」が「3部作で一つのテーマ」「3部作で一つの物語」として完成されてる。3部作が描く「テーマ」「物語」を、もはや絶対1作目だけに描いてない。

[各1本の映画としての比較「①」の場合]

「①完全な続編映画」を各1本の映画として見た時、「最初から続編全部で一つのテーマと一つの物語に完全完成してる」「①」は、各作品で「テーマと物語が途中で切れる」ため、「②」「③」「④」と違いやりすぎ限界映画に到達できない可能性が高い。また最終作品まで「テーマ」「物語」の全貌が見えないため途中の段階で採点を誤ることも多い。だが「②」「③」「④」より「全作品揃ってやりすぎ限界映画」となる可能性が最も高い。

「話が途中で切れる」『インファナル・アフェア』3部作はラストが見えないため、途中の段階で採点を誤る可能性が高かった。D.B.G.生涯の映画ベスト10 第6位の『インファナル・アフェア』3部作の2作目、『インファナル・アフェア 無限序曲』が2004年 ベスト10 第2位となる理由。「話が途中で切れる」『インファナル・アフェア 無限序曲』は、各1本の映画として見た時『スクール オブ ロック』に勝てない。だが「全作品揃ってやりすぎ限界映画」に豹変した10乗の面白さがD.B.G.生涯の映画ベスト10 第6位に到達させた。

[「①完全な続編映画」他の例]

■『機動戦士ガンダム』
■『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編』
■『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』

■『仁義なき戦い』
■『仁義なき戦い 広島死闘篇』
■『仁義なき戦い 代理戦争』
■『仁義なき戦い 頂上作戦』
■『仁義なき戦い 完結篇』

『トワイライト 初恋』
『ニュームーン トワイライト・サーガ』
『エクリプス トワイライト・サーガ』
『トワイライト・サーガ ブレイキング・ドーン Part1』
『トワイライト・サーガ ブレイキング・ドーン Part2』

『「続編映画」の正しい見方』②につづく






「①完全な続編映画」
「②毎回創作する完全な続編映画」
「③毎回創作する物語のみ完全な続編映画」
「④毎回創作する1本完結の続編映画」

『やりすぎ限界映画』とは?[定義①]
『やりすぎ限界映画』とは?[定義②]
『やりすぎ限界映画』とは?[定義③]
『やりすぎ限界映画』とは?[定義④]
『やりすぎ限界映画』とは?[定義⑤]

■画像 2014年 9月