日記「今日見た映画 2017」44『エイリアン コヴェナント』 | やりすぎ限界映画入門

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■『エイリアン コヴェナント』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2017年/アメリカ映画/122分
監督:リドリー・スコット
出演:マイケル・ファスベンダー/キャサリン・ウォーターストン/ビリー・クラダップ/ダニー・マクブライド/デミアン・ビチル/カーメン・イジョゴ/エイミー・サイメッツ/ジャシー・スモレット/キャリー・ヘルナンデス/ナサニエル・ディーン/アレクサンダー・イングランド/ベンジャミン・リグビー/ウリ・ラトゥケフ/ジェームズ・フランコ/ガイ・ピアース

■2017年 劇場公開作品 44本目

日記「今日見た映画 2012」1『プロメテウス』のつづき

「1986年」『エイリアン2』が完成するまで、「1979年」「1作目」から「7年間」掛かった。誰も「2作目」を思いつける人がいなかったから。

「エイリアン」という「言葉」が、「映画史」だけでなく人類の「歴史」に残るまでの言葉になった「続編映画」なんて、みんな「怖くて」やりたくない。「もしつまんなかったら?」、「映画史」から永遠に「映画監督」としての存在を抹殺されるから。「もしも」「ジェームズ・キャメロン監督」ではなく、違う監督が『エイリアン2』を撮って「つまんなかったら?」、その違う監督は今頃、「誰? 何撮った人? 『エイリアン2』? あのつまんなかった奴か!」となって、監督生命は終わってたかもしれない。これが「映画監督」の「一番怖いこと」だと思う。

実際「2作目」の話が出た時、一番最初は「リドリー・スコット監督」に話が行ったはず。「ジェームズ・キャメロン監督」が撮ったのは、「リドリー・スコット監督」が「断ったから」だ。

僕は「リドリー・スコット監督」に一度も会ったことないので、どんな人か知らない。断った理由は推測しかできないが、「歴史」に残るまでの言葉になった「続編映画」に対し、「完璧」だから、「続編なんてありえない」と思ったか、「1作目を超える自信なんかない」と思ったか、勝手な「想像」しかできない。「リドリー・スコット監督」が「断ったから」、現代に至る『エイリアン』シリーズは、「2作目」「ジェームズ・キャメロン監督」から「4作目」「ジャン=ピエール・ジュネ監督」まで「暴走」した。だがこの「暴走」は面白かった。

「リドリー・スコット監督」自身の「初めて」の「続編映画」、『プロメテウス』は「1979年」から「33年間」、『エイリアン コヴェナント』は「38年間」、完成まで「約40年」掛かった。「1979年」から30年の間に、「リドリー・スコット監督」の中に「続編映画」への創作意欲が生まれたのだろう。

『プロメテウス』と『エイリアン コヴェナント』が、「リドリー・スコット監督」の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に見える。どんなに評価された映画であっても、誰もが、年月が過ぎて自分の映画を見返す度に、「もっとこうすればよかった」「こうしてた方が面白かったかもしれない」…………と、作品への想い、追究は尽きないものなのかもしれない。

人類の「歴史」に「言葉」を残すまでの「続編映画」を、「あの時断った」。「断ったから」、『エイリアン』シリーズが「暴走」した。本来自分が意図した「エイリアン」の世界は「暴走」した世界観ではなかった。

これは「ジェームズ・キャメロン監督」の『ターミネーター ニュー・フェイト』のようにも見える。「正統な続編」。『エイリアン』『プロメテウス』『エイリアン コヴェナント』で、「リドリー・スコット監督」の中の「本来のエイリアンの世界」、「正統3部作」を完成させたように見えた。

「1979年」『エイリアン』の時、「CG」はなかった。『007 カジノ・ロワイヤル』『ダイ・ハード4.0』『ランボー 最後の戦場』『ダークナイト』の「現代の技術」で自ら、「歴史」に「言葉」を残した映画の続編を撮り直したかったように見える。

いろいろな評論をSNSで読み、科学者が猛毒を持つかもしれない生物にあっさり近づいたり、勝手な行動をしたり、確かにリアリズムに掛ける部分は多いと思った。

だが『エイリアン』「1作目」の時、「リドリー・スコット監督」の「見せたかったもの」が、僕には「いくら科学が発達しても人間は自然の驚異に勝てない」ということに感じた。『プロメテウス』も『エイリアン コヴェナント』も「リアリズムに掛ける部分」はあるが、「いくら科学が発達しても人間は自然の驚異に勝てない」「怖さ」が貫かれてる。「ジェームズ・キャメロン監督」が「発達した人間の科学は自然の驚異をも克服する」と「暴走」した「2作目」と「対極」。「本来のエイリアンの世界」に見えた。

『エイリアン』『ブレードランナー』『ブラック・レイン』『1492 コロンブス』『グラディエーター』『ハンニバル』『オデッセイ』…………、「リドリー・スコット監督」は「映像美」の監督。「リドリー・スコット監督」が現代の「CG」で『エイリアン』シリーズを撮り直した。

「CG」は「神への冒涜」。「この世で作れない映像がない」技術が「極限領域」に到達して「見飽きた」現代、「CG」はどこへ向かうのか?

『プロメテウス』と『エイリアン コヴェナント』の「映像美」「極限の美」が、現代の「新しい絵画」のように見えた。現代の「CG」とはどこまで「芸術」として、「映像美」「極限の美」の「新しいデザイン」を生み出せるかなのかもしれない。『プロメテウス』と『エイリアン コヴェナント』の「映像美」「極限の美」に、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」、「陶酔」させられた。




「いつか見た映画 1979」1『エイリアン』
「いつか見た映画 1986」2『エイリアン2』
「いつか見た映画 1992」1『エイリアン³』
「いつか見た映画 1998」1『エイリアン4』
日記「今日見た映画 2012」2『プロメテウス』
日記「今日見た映画 2017」44『エイリアン コヴェナント』

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日記「今日見た映画 2017」44『エイリアン コヴェナント』
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画像 2020年 1月