日記「今日見た映画 2017」42『ありがとう、トニ・エルドマン』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

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■『ありがとう、トニ・エルドマン』
☆☆☆☆★★[90]

2016年/ドイツ=オーストリア映画/162分
監督:マーレン・アデ
出演:ペーター・ジモニシェック/ザンドラ・ヒュラー/ミヒャエル・ヴィッテンボルン/トーマス・ロイブル/イングリット・ビス/トリスタン・ピュッター/ハーデヴィッフ・ミニス/ルーシー・ラッセル/ヴラド・イヴァノフ

■2017年 劇場公開作品 42本目

「ドイツ」「ルーマニア」、そもそも「ヨーロッパ」のことを殆ど知らない「ろくでなし」なので、『ありがとう、トニ・エルドマン』にある社会背景などは全く見えなかった。見終わってから調べ、石油会社と原住民の関係などを知る。

国や人種、文化を超えてただの「人間」として、「父」「娘」の物語と感じて見た。全世界で大絶賛され、「カンヌ国際映画祭パルム・ドール」「アカデミー賞外国語映画賞」の「候補」になった理由を考えた。

正直に、こんな父親が職場に現れたら大変な大事件になるはず。なぜ娘が怒らないかが見てて信じられない。だがこんなの「絶対ありえない」はずなのに、情報化社会でキャリアウーマンのエリートとして活躍する娘が、「全然幸せそうに見えない姿」から、不思議に「嘘」に見えなくなってくる。

恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「メグ・ライアン」の『電話で抱きしめて』を思い出す。スマホ前のガラケー時代、携帯電話に人生を束縛されて生きるキャリアウーマンの姿が重なった。電話に振り回されてノイローゼ気味になってきたある時、電話が壊れる。『ありがとう、トニ・エルドマン』に近いものを感じた。

「俺にとって 生きる意味は何かと」娘に聞かれ悩む父親。これは見る人間の誰もが、自分のことを考える問いだと思う。何が幸せかの価値観は人それぞれ。自分が思う幸せが、誰もが思う幸せとは限らない。お金持ちではない父と、エリートの娘が、「生きる意味は何か」考える不思議な話だった。

いろいろな批評をSNSで読んだが、女性の「マーレン・アデ監督」にしか思いつけないと言われ賞賛されてた「ザンドラ・ヒュラー」の「性行為」を見て、「怖くておしっこ漏らした」。


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画像 2020年 1月