『ハンニバル』 | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ハンニバル』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2001年/アメリカ映画/131分
監督:リドリー・スコット
出演:アンソニー・ホプキンス/ジュリアン・ムーア/ゲイリー・オールドマン/ジャンカルロ・ジャンニーニ/フランチェスカ・ネリ/フランキー・フェイソン/レイ・リオッタ

2001年 第17回 やりすぎ限界映画祭
2001年 ベスト10 第11位:『ハンニバル』
やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『ハンニバル』

D.B.G.生涯の映画ベスト10
第3位『ハンニバル』
(『羊たちの沈黙』『レッド・ドラゴン』の全3部作を含めて)



[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:アンソニー・ホプキンス


やりすぎ限界女優賞:ジュリアン・ムーア


やりすぎ限界男優賞:ゲイリー・オールドマン


■第2稿 2017年5月30日 版

[「FBIデータベース」 “逃亡中の10大凶悪犯” ]



「人間を喰う」大胆な「証拠」を残しながら、『レッド・ドラゴン』まで逮捕されなかったのは「冷静に逃げきる」「極限冷静行動」ができたから。大胆な証拠をあえて堂々と残すのは「極限冷静行動」ができる自信。「自分の頭の良さを証明する」FBIへの挑戦。「FBIデータベース」 “逃亡中の10大凶悪犯” に載る「世界最強頭脳犯トップ10」の証。なぜ「レクター博士」には『羊たちの沈黙』の「脱獄」から、「正確なナイフ一斬り殺人」「人喰い豚をかわす」恐るべき「極限冷静行動」ができたのか?

[「恥ずかしい」という「自意識」]


■『羊たちの沈黙』より

■「彼が女の舌を食った時も
  脈は85以下だった」


「人間の想像力は何もない無から生まれない」のだとしたら、「本当にそう見える」極限のくそリアリズムを放つ「レクター博士」には「実在のモデル」がいる。原作は読んでないがトマス・ハリスは「実在のモデル」をリサーチし「洞察力」で「フィクションを構築」した。つまり現実に「レクター博士に近い人間」は「実在」する。

「彼が女の舌を食った時も 脈は85以下だった」。「脈は85以下」で成し遂げる「人間を喰う」「極限冷静行動」。99.9999……%の普通の人間には絶対真似できない。だが僕自身の経験で「恥ずかしい」という「自意識」が消えると、人間は「自分にできること」の「行動範囲」がもの凄く拡がることを知った。「恥ずかしい」「自意識」が「心理学」のどの分類かは専門知識がないのでわからないが、「恥ずかしい」「自意識」が消えた自分の中に、「レクター博士」が成し遂げた数々の「極限冷静行動」の心境が「少し理解できる気がした」。

[「恥ずかしい」とは?]



「恥ずかしい」と感じる心境は人それぞれ違う。セックスする姿を他人に見られて「恥ずかしい」。♀子に自分が好きな感情を知られて「恥ずかしい」。仕事で失敗や間違いをして「恥ずかしい」。いろいろな「恥ずかしい」が存在する中、はたして自分の思ってる「恥ずかしい」が本当に「恥ずかしい」ことなのかを突きつめたい。人それぞれで違う「恥ずかしい」ことの基準が何をもって「恥ずかしい」という基準になるのか?

[「自意識」]



「もし」「仮に」D.B.G.が「渋谷のセンター街をTバック1枚で歩く」とする。きっともの凄い大衆の「注目」を浴びるはず。

「渋谷のセンター街をTバック1枚で歩く」など「恥ずかしい」からできない人間が多いだろう。「他人から中傷される」「勇気」「度胸」も必要だ。そんなことしたら「もう生きられない」と思う人もいるかもしれない。だが実際「渋谷のセンター街をTバック1枚で歩く」くらいで「もう生きられない」まではならない。本当にD.B.G.がTバック1枚で歩いたとして、見た人間の殆どは「数日のうちに」「D.B.G.のことなど意識から消える」。これは「報道」「撮影」されないことを前提とするが、「自分と直接関わらない人間」の「記憶」をいつまでも留められる人間は少ないという話をしたい。

自分に置き換えて想像する。「渋谷のセンター街をTバック1枚で歩く人間」を見ていつまで「記憶」に残るか? 殆どの人間に最も重要なのは「恋愛」「仕事」の自分の日々の生活で「Tバック1枚で歩く人間」のことを考える無駄な時間はない。「自分と直接関わらない人間」を「生涯忘れない」という領域まで「記憶」できる人間は殆どいない。覚えていても「顔」まで「完全に記憶」はできない。

「誇張したたとえ話」をしたが、本当に僕が歩いたとして、「誰もD.B.G.なんか覚えてない」のが「現実」。「もう生きられない」と思う「恥ずかしい」という心境は自分の勝手な「思い込み」=「自意識」でしかないということ。本当に歩いたとして「生」「死」に影響することはない。だが実際「逮捕」「報道」されるまでTバック1枚で歩き続けたら「全裸」でなくとも「公然わいせつ罪」の可能性がある。「やろうと思えばできる行動の範囲」かもしれないが絶対本当にやってはいけない。

[「無関心」と「自意識過剰」]



「もう生きられない」という「思い込み」は「見た人間が自分のことを生涯忘れない」と思うから起きる。とんでもない「思い上がり」「自惚れ」でしかない。「自分と直接関わらない人間」で「見た人間が自分のことを生涯忘れない」など「嵐」級の芸能人以外「絶対ありえない」。現実は「誰もおまえなんか覚えてない」「自惚れるな」だ。

これは「自分と直接関わらない人間」=「他人」に人間は「無関心」だということ。「他人」に「無関心」という「人間を知る」ことで、自分の中の「恥ずかしい」「もう生きられない」と思う「思い上がり」「自惚れ」の殆どが「自意識過剰」でしかないことを悟る。

[ “核” 「その先は?」「その先は?」]



「Tバック1枚で歩く」として「その先は?」…「人に笑われる」。「人に笑われる」として「その先は?」…「誰も覚えてない」。「誰も覚えてない」として「その先は?」…「何も起こらない」。「もうこれ以上ない答え」を “核” とする。“核” まで到達した「答え」が「生」「死」に影響せず「犯罪」にもならず「何も起こらない」なら、それは「実現可能な行動」となる。

全ての行動において「その先は?」「その先は?」で “核” を追究し、その過程で悪い意味で「人の注目を浴びる」「人に笑われる」「人の記憶に残る」行動でなければ「自分の身を危険にさらす行動」ではない。「恥ずかしい」という「思い上がり」「自惚れ」でしかない「自意識過剰」かも冷静に判断できる。「その先は?」「その先は?」での “核” の追究の繰り返しで、人間は「自分にできること」の「行動範囲」がもの凄く拡がる。

[「極限冷静行動」と「実現可能な行動」]



自分の「行動範囲」が拡がった後に見えるものは「自分にできること」と「他人にできること」の比較。「Tバック1枚で歩く」行動は「自意識」が消せる人間には「できる」が消せない人間には「できない」。「自意識過剰」に囚われた「殆どの普通の人間にできないこと」が判断できれば、悪い意味で「注目を浴びる」「笑われる」「記憶に残る」行動を回避できる。「ここまでしても死なない」「ここまでしても法に触れない」「ここまでしても人の記憶に残らない」行動の判断。「極限冷静行動」はこうして「実現可能な行動」として完成されてく。

「自分の頭の良さを証明する」FBIへの挑戦。「彼が女の舌を食った時も 脈は85以下だった」「極限冷静行動」は、「さらに」「その先は?」の、“棲息速度域” に到達した人間にだけ成し遂げられる「極限冷静行動」かもしれない。

[人間の「快楽」]



「食欲」「性欲」「睡眠欲」という大きな人間の「欲」。「マズローの欲求段階説」と合わせこれらが絡み合い人間の「快楽」となる。「快楽」は人それぞれによって違う。「自分のやりたいこと」を成し遂げるのも「快楽」の一つなのかもしれない。



僕の「快楽」の一つは “ダイナマイト・ボンバー・ギャル” との「セックス」。だが「レクター博士」の「快楽」は「人間を喰う」こと。法に触れない範囲の「セックス」なら安全だが、「人間を喰う」ことは犯罪。絶対真似してはいけない。

[「究極の恋愛映画」『レクター博士の恋』]



「セックスできない」ほど相手を大切に想う恋愛を「一瞬」だが体験したことがある。「苦しかった」。自分がそんな心境になるなど信じられなかった。男に生まれた人間にとってこれほどの苦しみはないだろう。それほど「相手が大切」な「愛」の “棲息速度域” に到達できる人間は少ないと思う。



「人間を喰えない」。FBIに挑戦してまでレクター博士は自分の「欲望」に「正直」に生きた。人間は「快楽」を得るために生きる。「快楽」を得るために「努力」する。「世界最強頭脳犯トップ10」である「自意識」を超えた「極限冷静行動」の「レクター博士」が、「クラリスを喰えない」。瞬間でパンツについた。俺は心の中でこの映画のタイトルを『レクター博士の恋』と呼んでる。「クラリスを喰えない」ほどクラリスを大切に想う「愛」の “棲息速度域”。『ハンニバル』は「究極の恋愛映画」。「クラリスを喰えない」「愛の映画」に魂が震えた。

[「自意識」を超えた人間にできる「極限冷静行動」の “棲息速度域” ]



その答えは全てハンニバル・レクター博士が教えてくれる。




『羊たちの沈黙』
『ハンニバル』
『レッド・ドラゴン』

画像 2014年 5月