『ランボー 最後の戦場』 [前編] | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ランボー 最後の戦場』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2008年/アメリカ映画/90分
監督:シルベスター・スタローン
出演:シルベスター・スタローン/グレアム・マクタヴィッシュ/サラ・ミラー

2008年 第24回 やりすぎ限界映画祭
2008年 ベスト10 第1位:『ランボー 最後の戦場』
やりすぎ限界パルムドール/やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『ランボー 最後の戦場』

D.B.G.生涯の映画ベスト10
第9位:『ランボー 最後の戦場』
(『ランボー』『ランボー 怒りの脱出』のシリーズ3作品を含めて)
※『ランボー3 怒りのアフガン』は対象外

2009年 第66回 ヴェネチア国際映画祭
監督・ばんざい!賞


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:シルベスター・スタローン


やりすぎ限界男優賞:グレアム・マクタヴィッシュ


やりすぎ限界男優賞:マウン・マウン・キン


[『死神4』]



僕は心の中でこの映画のタイトルを『死神4』と呼んでる。こいつと戦って生きてた人間は1作目の保安官しかいない。あとは全員死んだ。理由はこいつが本物の “死神” だからだ。

[ゴールデンラズベリー賞受賞10回の経歴]



『ロッキー・ザ・ファイナル』での「還暦を迎えた挑戦」は日本でも朝日新聞などで報じられた。スタローンのラジー賞ノミネーション「落選」は全世界を震撼させた。1990年『ロッキー5 最後のドラマ』から16年。1988年『ランボー3 怒りのアフガン』から20年。「還暦を迎えた挑戦」がスタローンの映画人生から「ありえない」2本の「評価される映画」を生み出した。

ラジー賞受賞10回の経歴を持つスタローン。大金持ちでもずっと悔しい思いをして生きてきたように見える。60歳という年齢がスタローンの中の何かを弾けさせた。2006年の『ロッキー・ザ・ファイナル』の原題が “Rocky Balboa”、2008年の『ランボー 最後の戦場』の原題が “John Rambo”。作家として自分自身の原点回帰と対峙した。映画人として蓄積した人生の全てがクリント・イーストウッドのように噴火した。

[『ランボー 怒りの脱出』極限のくそリアリズム版リメイク]



現代の情報化社会で最も重要な価値観が “本物” であることにおいて、CG技術の使い道が模索される。「地球が全滅する映像」に到達した90年代後半、『タイタニック』と『プライベート・ライアン』の2本がその道を切り開いたように見える。「実際その場にいた人間しか見れなかった真実の映像」=「史実」を再現できる領域へ到達した。大袈裟ではなくCG技術とは「神への冒涜」なのかもしれない。

「どこまで本当のことに見えるか?」がリアリズムだ。この「史実」を120% “本物” として再現できる技術で「現代の戦場」を再現したらどうなるのか?

1作目のベトナム後遺症を描く極限のくそリアリズム映画から「間違った映画」に突き進んでしまった2作目。1985年の全米興行収入成績2位となりながらも “リアリズムに欠けるご都合主義のアクション” “弾に一発も当たらない” などの酷評を受けた。『ランボー 怒りの脱出』はラジー賞を2部門受賞した。

ずっと悔しかったのかもしれない。もう一度撮り直したかったのかもしれない。『ランボー 最後の戦場』は、スタローンが『ランボー 怒りの脱出』の酷評と対峙した「極限のくそリアリズム版リメイク」に見える。「どこまで本当のことに見えるか?」を、微塵の妥協もなく追究した執念を漏らさずに見ることはできない。僕は映画館で4回見た。4回とも大きい方を漏らす寸前だった。

[微塵の慈悲もない映像=『プライベート・ライアン』10倍の残虐性]



“リアリズムに欠けるご都合主義のアクション” “弾に一発も当たらない” 嘘が消えた時、その映像は『プライベート・ライアン』の10倍の残虐性に到達する。その容赦ない戦場の真実は観客への「微塵の慈悲」もない。「人間を殺す」真実の映像に漏らす以外もはやなす術はない。

「殺さなければ本当に自分が死ぬ」という状況で遠慮した加減の余地はありえない。「絶対に一撃で殺す」ため躊躇せず確実に頭を撃ち貫くランボー。最後の銃撃の壮絶さはペキンパーの『ワイルドバンチ』の比ではない。ブローニング M2 重機関銃で撃たれた兵士が骨も残らない肉片となって飛び散る。「人間を殺す」真実を叩きつける。

[「弾に当たる」ランボー、映画監督の “目” ]



極限のくそリアリズムの前に “上半身裸” が消える。だが “俳優に見えない” “目” “叫び声” が極限のくそリアリズムで10乗と化す。完全復活した “精神異常者” “バイオレンスの限界” “極限の怒り” がシリーズ最高領域へ到達する。

「弾に当たる」ランボーがグリーンベレーの精神力で立ち上がる。「こんな残虐な映画一体誰が撮ったんだ…」と、観客は本物の “闘神” “死神” の姿に震撼するだろう。その時僕は言いたい。撃たれて立ち上がる時の “目”。立ち上がってトラックの兵士達を虐殺する “目”。これが “本物” の映画監督の “目” だと。

『ランボー 最後の戦場』[後編]につづく

『ランボー』
『ランボー 怒りの脱出』
『ランボー3 怒りのアフガン』
『ランボー 最後の戦場』[前][後]

画像 2014年 2月