『ランボー 怒りの脱出』 | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ランボー 怒りの脱出』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

1985年/アメリカ映画/96分
監督:ジョルジ・P・コスマトス
出演:シルベスター・スタローン/リチャード・クレンナ/ジュリア・ニクソン

D.B.G.生涯の映画ベスト10
第9位:『ランボー 怒りの脱出』
(『ランボー』『ランボー 最後の戦場』のシリーズ3作品を含めて)
※『ランボー3 怒りのアフガン』は対象外


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:シルベスター・スタローン


やりすぎ限界女優賞:ジュリア・ニクソン


■第3稿 2013年 1月9日 版

[間違った映画]



1作目はベトナム後遺症の社会問題を描く極限のくそリアリズム映画。だが2作目はベトナム戦争が「アメリカの正義」として描かれる「間違った映画」に突き進んでしまった。危険なプロパガンダと “リアリズムに欠けるご都合主義のアクション”。『ランボー 怒りの脱出』は評論家達から「最低映画」「女性客がいない」などの酷評を受けた。スタローンは次の『ロッキー4 炎の友情』以降、批評を気にしてどんどん弱気になり普通のアクションスターへと転向していく。

だがなぜ「間違った映画」である本作がここまで “危険” なやりすぎ限界映画なのかを追究したい。僕は『ランボー』『ランボー 怒りの脱出』 の2本を、1作目と2作目を合わせて一本の映画だと解釈してる。1作目は「人物紹介」、2作目はその人物が「実際ベトナムでしていたこと」だ。

[ “極限の怒り” とは何か? ヤバ男の条件 “女が殺される” ]



「怒る」ことを意味する「切れる」という言葉。僕は人間が日常で本当に「切れる」ことはそんなにないと思う。「切れる」という意味の境界がどこまでかは人それぞれだが、僕の中で「切れる」という意味は『ランボー 怒りの脱出』のスタローンを意味する。僕はここまで切れたことが人生で一度もない。スタローンは『ランボー 怒りの脱出』で “バイオレンスの限界” に到達した “極限の怒り” を見せる。

『マッドマックス』『刑事物語2 りんごの詩』『ブレイブハート』『グラディエーター』…。“ヤバ男” “やりすぎ限界男優賞” の称号を持つ男達に多い共通点は “女が殺される” ことだ。男は女が殺されると “極限の怒り” に到達する。

[他の追従を許さない「圧倒的な存在感」]



『ランボー 怒りの脱出』が極限のやりすぎ限界映画である理由は、主人公が “精神異常者” だからだ。普通のアクション映画との大きな違いだ。なぜシルベスター・スタローンが他の追従を許さなかったのか? 僕は『ランボー 怒りの脱出』の中に「スタローンがスタローンである真実」を説明しなければならない。

仮に他の俳優が主役だったら、“リアリズムに欠けるご都合主義のアクション” で流されただろう。『ランボー 怒りの脱出』は映画史に刻まれるやりすぎ限界映画にはならなかった。だが “極限の怒り” に到達したスタローンが、“リアリズムに欠けるご都合主義のアクション” を「狂気のリアリズム」へと捻じ曲げた。この原因が何かを分解する。

[① “俳優に見えない” ]



俳優に見えないことは「本物に見える」ことを意味する。「本当にそう見える」ことが芝居の核心であるなら、スタローンの芝居はカンヌの男優賞を受賞してもおかしくない。どこから見ても “本物の精神異常者” にしか見えないスタローンは俳優を越えていた。ここに “ヤバ男” “やりすぎ限界男優賞” の称号の真実が何かを思い知るだろう。

[② “叫び声” ]



ブルース・リーの叫び声と同じで、スタローンの “叫び声” を日本語吹き替えで見ては絶対いけない。スタローンの “叫び声” が “極限の怒り” が何かを訴える。

[③ “目” ]



目だけで “極限の怒り” を見せるスタローンの “目” こそ “バイオレンスの限界” に到達した男の目だ。「滝のシーン」からの “目” に注目してほしい。映画史に刻まれる “極限の怒り” の前に観客はおしっこを漏らして震撼する以外なす術はない。

[④ “上半身裸” ]



普通戦争は軍服を着るがスタローンは意味もなく上半身裸だ。ここに “精神異常者” 「狂気の英雄」のリアリズムが存在した。以後アメリカのアクション映画の殆どが、スタローンの真似をして上半身裸が当たり前となっていく。

[⑤ “弾に一発も当たらない” ]



“リアリズムに欠けるご都合主義のアクション”。公開当時世界はスタローンの無敵ぶり、虫のよさを苦笑した。だがスタローンの “極限の怒り” と “精神異常者” のやりすぎ限界度が、「こいつなら弾に当たらないかもしれない…」という「狂気のリアリズム」を生み出してしまった。だが本当の “弾に一発も当らない” 真実は、戦死したアメリカ軍兵士達の “ベトナムの亡霊” が取り憑き、ランボーを “闘神” “死神” に変えたという狂気を知る者は殆どいない。

[シルベスター・スタローン「俳優生命限界点」]



“バイオレンスの限界” に到達したスタローンがヘリコプターに乗って叫ぶ。その時僕は言いたい。

「これがシルベスター・スタローンだ」

他の追従を許さなかったスタローン。その後普通のアクションスターへと転向していく「俳優生命限界点」の姿が『ランボー 怒りの脱出』に存在した。




『ランボー』
『ランボー 怒りの脱出』
『ランボー3 怒りのアフガン』
『ランボー 最後の戦場』[前][後]

画像 2014年 1月