『ランボー3 怒りのアフガン』 | やりすぎ限界映画入門

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■『ランボー3 怒りのアフガン』
☆☆☆☆★[85]

1988年/アメリカ映画/102分
監督:ピーター・マクドナルド
出演:シルベスター・スタローン/リチャード・クレンナ


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:シルベスター・スタローン


■第2稿 2018年 6月13日 版

[大失敗作「フットボールがいい」]



■「フットボールがいい」

『ランボー 怒りの脱出』の酷評が『ランボー3 怒りのアフガン』をただの軟弱なアクション映画に変えた。主人公が “精神異常者”。『ランボー』シリーズが他の追従を許さない核心だ。酷評で弱気になったスタローンが「フットボールがいい」などと、ランボーに普通のアメリカ青年のような台詞を言わせた。

公開初日高校3年生だった僕は、学校帰り制服のまま『ランボー3 怒りのアフガン』を新宿まで見に行った。「フットボールがいい」と言ったスタローンを見て涙が出たのを今も忘れない。「嘘だ」「これはランボーではない」。ランボーを「一般うけするキャラクター」に変えたスタローンに、悲しみが込み上げたあの日を今も忘れはしない。

[弾に当たるランボー]



“極限の怒り” “バイオレンスの限界” “精神異常者”。戦死したアメリカ軍兵士達の “ベトナムの亡霊” が “弾に一発も当らない” “闘神” “死神” を生み出した。それが「ランボー」だ。だが評論家達の「最低映画」「女性客がいない」の攻撃から、ランボーが「一般受けするキャラクター」に変わる。「弾に当たって怪我をするランボー」。「ランボー」の全てが消えた。そこに映っていたのはもはや違う人間だった。

[到達しない “極限の怒り” ]



アフガニスタンの子供が登場した時、『ランボー 怒りの脱出』の “女が殺される” “極限の怒り” を超える、恐ろしい「反戦映画」を想像した。だが最後まで何もなく映画は終わった。ランボーが切れる理由 “極限の怒り” さえも消えていた。

[ヘリコプター墜落]



“リアリズムに欠けるご都合主義のアクション” の酷評が、スタローンにヘリコプターを墜落させた。だが中途半端なリアリズムで観客は騙せない。ヘリコプター墜落が映画を良くする要素に全く成立してなかった。惨めで涙が出た。酷評を恐れた弱気だけが高校生の僕にも見えた。

[使わないでほしかったSFX]



『ランボー 怒りの脱出』の「滝のシーン」からの「暴力」。当時CGがなかったため、メキシコのロケ地を「地図が変わる」まで爆破した。撮影は命懸けだった。「カメラマンが一人死んだ」という噂が流れたほど鬼気迫る迫力が存在した。

だが本格的なSFX時代が始まり、『ランボー3 怒りのアフガン』の炎は、本物の炎とSFXの炎の両方使用された。「本物の爆破」と「SFXの爆破」。この頃はSFX技術の始まりで「堺」が明確に見えた。酷評を恐れた弱気が、ありえない「SFXの爆破」を演出した。その堕ちた「嘘の炎」に涙が出た。もはや『ランボー 怒りの脱出』には到達できなかった。

[精神分裂症]

女性うけを狙う「フットボールがいい」と言うキャラクター。だがベトナム後遺症の “精神異常者” が、突然「爽やか」になる違和感が成立するはずがない。




冒頭のスティック・ファイトからスタローンは “俳優に見えない”。火薬でヘリをふっ飛ばす “目”、火薬消毒の “叫び声”、そして “上半身裸”。スティック・ファイトからあれだけ気が狂った芝居を見せ、「フットボールがいい」などもはや「多重人格」だ。ランボーが「精神分裂」した。一体どこが「爽やか」なのか? この「精神分裂」こそベトナム後遺症の “精神異常者” を描く狙いか? 絶対違う。酷評を恐れた弱気が、過去の栄光を全部ドブに捨てる結果となった。




またスティック・ファイト、DShK 12.7mm 重機関銃や弓でのヘリコプター爆破など、その壮絶さはアクションというよりもはや「暴力」だ。“精神異常者” の狂気そのものにしか見えない。「爽やか」の狙いと対極の狂気が映画を完全に破綻させた。

[シルベスター・スタローン「ステロイド限界点」]



アーノルド・シュワルツェネッガーの「筋肉」に対抗したスタローンの変化は『ロッキー3』から始まった。『ランボー 怒りの脱出』『ロッキー4 炎の友情』を経て、スタローンの「筋肉」は『ランボー3 怒りのアフガン』で極限領域に到達する。スタローンの俳優生命限界点の「筋肉」が『ランボー3 怒りのアフガン』に存在した。それは同時に「ステロイド限界点」でもあった。ランボーが「精神分裂」した本当の原因だったのかもしれない。

[『番外編 ランボーとトラウトマンのアフガニスタン珍旅行』]



■「奴を道連れにしたいな」

『ランボー3 怒りのアフガン』に殆どリアリズムは存在しない。唯一のリアリズムは「精神分裂症に見えるスタローン」だけだ。捕虜になったトラウトマンが助かるなど「絶対ありえない」。「神なら慈悲もあるが 彼にはない」というギャグが壮大なコントへ到達する。

これは3作目というより『番外編 ランボーとトラウトマンのアフガニスタン珍旅行』にしか見えない。二人がアフガニスタンに軽く旅行に行き、ソ連軍と軽く戦った「珍道中」だ。そうでなければシリーズとして「成立」しない。「包囲突破は?」「冗談がきついぜ」「奴を道連れにしたいな」と、二人はアフガニスタンの軽いヴァカンスを楽しんだのだ。




『ランボー』
『ランボー 怒りの脱出』
『ランボー3 怒りのアフガン』
『ランボー 最後の戦場』[前][後]

画像 2014年 1月