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■『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]
2017年/アメリカ映画/152分
監督:ライアン・ジョンソン
出演:マーク・ハミル/キャリー・フィッシャー/アダム・ドライヴァー/デイジー・リドリー/ジョン・ボイエガ/オスカー・アイザック/アンディ・サーキス/ルピタ・ニョンゴ/ドーナル・グリーソン/アンソニー・ダニエルズ/グウェンドリン・クリスティー/ケリー・マリー・トラン/ローラ・ダーン/ヨーナス・スオタモ/ジミー・ヴィー/ベニチオ・デル・トロ/ビリー・ロード/ワーウィック・デイヴィス/ハーマイオニー・コーフィールド/ティム・ローズ/ヴェロニカ・ンゴー/ジャスティン・セロー/ゲイリー・バーロウ/トム・ハーディ
■2017年 劇場公開作品 27本目
■第2稿 2021年 1月30日 版
「2年前」、「まだ」「かなり」「重症」の “本物” の「アル中」だったかもしれない。「酔っ払ってた」「寝ぼけてた」「体調が悪かった」程度ではなかったことを、『スター・ウォーズ フォースの覚醒』『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』の見直し、『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』「初」を、「一気」に3本見て思い知るしかなかった。
まず「ポー・ダメロン」「オスカー・アイザック」が命令違反であんなに人を死なせて平気だったことが「超」気に喰わなかったが、「素面」で見直したら「ポー・ダメロン」だけのせいじゃなかった。また「2年前」、「レイア」が「宇宙服着ないで宇宙空間を飛んで生きてる」の見て「ダメだこりゃ…」と、「絶対納得できない」、「超」気に喰わなかったが、「素面」で「ちゃんと」見たら「フォースがなければ死んでた」、救助されても「瀕死の重傷」で「おしっこ垂れ流し」。恐るべき「屁理屈」でリアリズムだったことに「反省」「懺悔」「償い」。
まず「ジョージ・ルーカス監督」が自分で監督しなかったこと、僕自身「新3部作」が「大好き」で「賞賛」「崇拝」し過ぎだから、「絶対新3部作は超えられない」という「偏見」「先入観」「思い込み」が「倍倍増」だったことで、脳が見ることを「拒絶」したのだと自己分析する。だが「見方」は覆った。「レイ」の「正体」があまりに凄すぎた。「完全」「9本で1本の話」恐るべき「大どんでん返し」。もはや「ごめんなさい」「本当に申し訳ありませんでした」「心から謝罪致します」で、「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。
「エピソード7」「エピソード8」を見て「正直」、「全く予測不可能」だった。このプラス方向での「極限の裏切り」。僕には『ターミネーター2』級の「ショック」「衝撃」だった。オリジナル「原本」から多少の変更はあっただろうが、この「9部作」を「40年前」、「ジョージ・ルーカス監督」が思いついてたなら、「誰にも思いつけない」「誰にも予測できない」、「恐るべき脚本」「恐るべき物語」に「さらに」、「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。
「エピソード7」、砂漠に埋まった「スター・デストロイヤー」の映像から恐るべき「極限の美」。恐るべき「CG」で映ってるもの「全部現実」。「父親」「母親」になった「ハン」「レイア」を見て「エピソード4」が「頭の中でDVDを再生」。「不良」だった「ハン・ソロ」が「息子のことで苦悩」してる恐るべき「泣かし」。「ハン」「レイア」の台詞が全部「極限台詞」。「レイア」が映ると「ちゃんと」 “Princess Leia's Theme” が響くの「反則」。各シーンで「ちゃんと」 “The Force theme” に切り換わる「J・J・エイブラムス監督」の「絶妙」な「憎い演出」に「これでもか」まで「涙」に追い込まれた。
「スカイウォーカー家」の「血」の物語、「アナキン・スカイウォーカー」「ダース・ベイダー」、「ルーク・スカイウォーカー」、「レイア・オーガナ」、「ベン・ソロ」「カイロ・レン」が、人間の「性善説」「性悪説」に見える。祖父「ダース・ベイダー」、母「レイア・オーガナ」で、「カイロ・レン」の「歪み」が、人間の世の極限のくそリアリズムに見えた。生まれた時から「ろくなこと考えない人間」「他人のことを考えられない人間」は「かなり」「実在」する。「カイロ・レン」は決して両親から「虐待」された訳ではない。真逆で「溺愛」されたのに、「他人のことを考えられない人間」に成り果てた。「人間の怖さ」の恐るべき極限のくそリアリズムに見えた。
ハンが「カイロ・レン」の「歪み」を「自分のせい」と思ってるとこが恐るべき「重さ」。「自分のせい」と思ってるハンの「苦しみ」が、「続3部作」の恐るべき極限のくそリアリズムの一つでもある。「旧3部作」がジェダイが勝つ「明るい話」、「新3部作」が暗黒面が勝つ「暗い話」。僕は「続3部作」はジェダイが勝つノー天気なほど「明るい話」にしかならないと、「偏見」「先入観」「思い込み」、勝手に決めつけたが、いきなりハンを殺す「暗い話」から始まって頭がパニックを起こした。しかも正体が解からない娘「ガラクタ漁り」が、フォースの「フ」の字も知らないくせに、いきなり「エピソード7」から、「スカイウォーカー家」の「カイロ・レン」を「ライトセーバー」やっつけてしまうの見て、「超」気に喰わなかった。
「エピソード8」、ルークの「恐れ」が、恐るべき極限のくそリアリズムに見える。「残ったのは恥と… 後悔だけだった そして 最後に見たのは- 師に見放された弟子の 恐怖に見開かれた目だった」。完璧な人間はいない。恐るべき「ジェダイ・マスター」が「恐れ」たことも「続3部作」の恐るべき極限のくそリアリズム。「失敗」しない人間などいるのだろうか? 「フォースは ジェダイのものではない ジェダイが死ねば消えるなど ただの うぬぼれ」の台詞が「重い」。「完全」「9本で1本の話」のテーマに見えた。「クローン戦争の時のように- 今一度 力をお貸しください お迎えに行くはずが…」「ズルいぞ」は、もはや「反則」。「ライアン・ジョンソン監督」か「J・J・エイブラムス監督」か、「ヨーダ」が「わざと」、「エピソード5」の「ぬいぐるみ」バージョンで、恐るべき「現代」の「CG」、「生きてる」 “本物” にしか見えない「究極映像」「憎い演出」に、「旧3部作」「新3部作」への恐るべき「敬意」「賞賛」「崇拝」を見た。
ルークがヨーダを超える恐るべき「ジェダイ・マスター」となってたのも恐るべき「泣かし」。「AT-M6ウォーカー」の総攻撃を受けても「関係ない」の見て「泣きながら」「おしっこ垂れ流し」。しかも遠い星から「座禅」を組んで「幻影」を送ってた「恐るべきオチ」「恐るべきフォース」を見て、日本の「坊主」なのか、「ジョージ・ルーカス監督」の「40年前」の原点、「日本映画」「黒澤明監督」への「敬意」「賞賛」「崇拝」を思い出さずにいられなかった。
恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ローラ・ダーン」も忘れてはならないが、「エピソード9」で、僕の中の「天地が引っ繰り返った」。
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■「いつか見た映画 1980」2『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』
■「いつか見た映画 1983」1『スター・ウォーズ ジェダイ…』
■「いつか見た映画 1997」1『スター・ウォーズ 特別編』
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