■『HANA-BI』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]
1997年/日本映画/118分
監督:北野武
出演:ビートたけし/岸本加世子/大杉漣/寺島進/白竜/薬師寺保栄/逸見太郎/芦川誠/大家由祐子/渡辺哲/西沢仁
D.B.G. 生涯の映画ベスト10
■第7位:『HANA-BI』
1997年 第54回 ヴェネチア国際映画祭
■金獅子賞:『HANA-BI』
[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。
■やりすぎ限界男優賞:ビートたけし
■やりすぎ限界女優賞:岸本加世子
[北野武監督第7作目]
15歳で映画監督になろうと決意し映画少年となった。映画館に通うことが人生最大の楽しみだった。映画の世界に入門した頃の話題作は『ゴーストバスターズ』『グレムリン』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『トップ・ガン』…。スピルバーグとルーカスのSFX全盛期時代。僕はその頃上映してた日本映画の記憶があまりない。それが日本映画の印象の現実だった。
映画館で「同じ入場料を払うなら日本映画には払わない」という時代だった。「日本映画」=「つまらない」という強烈な記憶が今も消えない。映画監督になる夢も「ハリウッドに留学」と考えてたほどだった。それから約10年、「日本映画」の印象は天地が引っ繰り返るほど豹変した。北野武監督と淀川長治の戦いによって『Kids Return』は「映画館満員」の大事件となる。
『HANA-BI』の金獅子賞受賞と同年の5月、第50回カンヌ国際映画祭で『うなぎ』がパルムドールを受賞。カンヌ、ベルリン、ヴェネチアの世界3大国際映画祭での受賞は、映画界においてオリンピックやワールドカップでの受賞に等しい意味を持つ。「国」が受賞するからだ。『もののけ姫』『失楽園』『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』などが『フィフス・エレメント』『ロスト・ワールド』『タイタニック』に負けない話題作となった。この年「世界で評価される日本映画」が完全復活を遂げた。
[北野武と淀川長治]
■黒沢監督に似てる
「映画評論家・淀川長治氏(88)
グランプリを取っても以外とは思いません。「HANA-BI」は、それほどいい作品で、取るべくして取ったという感じ。柔らかさと残酷さを併せ持った映画らしい作品です。僕はたけしの作品が好きでずっと見ているけど、時代をとらえた立派な感覚を持っている監督で、全盛期の黒沢監督に似ています」
(『日刊スポーツ』1997年9月7日より)
「たけしベネチア映画祭グランプリ」。映画学校に登校する朝スポーツ新聞を見て「凍りついた」。脳裏に響いた『みんな~やってるか!』の「本当に映画を知ってる」という言葉。「全盛期の黒沢監督に似ています」。この恐るべき評価。ルーカスとスピルバーグが尊敬する「世界の黒澤」と「同格」。この評価を見て「凍りついた」のは僕だけではない。北野監督を評価してこなかった業界関係者達が「謝罪」せねばならないほど「凍りついた」ろう。……「怖い」。この瞬間ほど淀川先生を「怖い」と思ったことはなかった。
■淀川長治
■「もっと映画を見なさい」
翌年1998年11月11日。享年89歳で淀川先生は逝去された。最期の言葉は「もっと映画を見なさい」。卒業制作撮影中にこの訃報を聞いた。北野監督をヴェネチア国際映画祭金獅子賞まで導き、「世界で評価される日本映画」復活の天命を全うしてこの世を去ったように見えた。『菊次郎の夏』を見ることなく生涯の幕を閉じた。この時の「動揺」を今も思い出す。僕の「夢」は自分の監督作品を淀川先生に見てもらうことだった。だがもうその「夢」は永遠に叶わない。「映画の道しるべ」を失った「恐怖」にどん底まで堕ちたあの日を忘れない。
[『淀川長治 映画の部屋』]
■「日本映画がこんなに立派になって」
(『淀川長治 映画の部屋』『HANA-BI』より)
『淀川長治 映画の部屋』をかなり見た。『日曜洋画劇場』は淀川先生の「社交辞令」にしか見えない。「自分の好きな映画だけ」を評論した『淀川長治 映画の部屋』こそ「淀川解説」の「神髄」。「真実の評論」がここにあった。
『HANA-BI』の『淀川長治 映画の部屋』をもう一度見たい。「今年の日本映画は『HANA-BI』と『もののけ姫』しかない」と言う “本気” の評論。「日本映画がこんなに立派になって」と何度も繰り返して言った。この言葉は誰よりも正しかった。その言葉の「正しさ」を「金獅子賞」が証明した。だがこの解説のDVDは今もまだ発売されてない。
[HANA(flower)=「生」-BI(fire)=「死」]
「生」に向かう希望を堀部(大杉漣)が描く「花」の絵に、「死」に向かう絶望を西(ビートたけし)が撃つ銃弾の「火」に描いたように見える。まだ「死」について “本気” で実感できない僕には『HANA-BI』の “本質” が完全には理解できてない。だが人間の「人生」「生涯」は完全に「死」に向かって「生きる」ことなのは理解できる。「人間は絶対死ぬ」。人間の「人生」「生涯」とは「死ぬまでに何をするか?」「死ぬまでにどう生きるか?」だ。
半身不随でも生きる道を選ぶ人間。健康でも死ぬ道を選ぶ人間。半身不随でも生きてれば「楽しみ」は見つけられる。あえて死ぬ道を決断する理由。「これ以上の楽しみはもはやこの世にない」という「確信」なのかもしれない。
[男は妻のために死ねるか?]
■「ヤクザの死体
見ましたよ」
「ちょっと
待ってくんねえか
もうちょっと
待ってくれ」
もし「僕なら」、妻が死んでも心中できないだろう。それほどの勇気を持てるだろうか? 現実は妻の死を悲しみ、お葬式をして独りでも生き続けるだろう。もしかしたら再婚するかもしれない。『リーサル・ウェポン』シリーズでも孤独に耐えて生き続ける人間の姿を描いた。
だが結婚もしてない僕に既婚者の気持ちはわからない。結婚したら心中するまでの感情に到達するのかもしれない。心中するほどの「絆」に到達した「結婚」に憧れた。西にとって奥さん(岸本加世子)との「絆」が「これ以上の楽しみはもはやこの世にない」「確信」に到達した。
[「俺もこうなりたい」]
■「俺は ああいう風には
生きられないんだろうなぁ」
「結婚」の現実をたくさん聞いた。西と奥さんのような話を殆ど聞いたことがない。現実は堀部と女房の話が圧倒的に多いのかもしれない。
だからこそ「憧れる」。西と奥さんの「絆」に。「俺もこうなりたい」。「結婚」するからにはここまで到達したい。「心中」を決断できるほどの「愛」に。だが現実の「絆」は男女が努力して築き上げねば生まれない。その試練に挑み続けたい。
[「生涯の恋愛映画」第1位「極限の美」]
■「ありがとう…
…ごめんね」
「心中」を決断できるほどの「愛」。「ありがとう… …ごめんね」と言う「肩を抱き寄せる」だけの芝居で「全部」見せた。久石譲の「音」も僕は褒めたい。今でも涙が止まらない。
■「『あの夏、いちばん静かな海。』は私の最も愛した名作。あの若者の〈男〉の顔。あの女の〈女〉の顔。涙が出そうになったのは〈男〉が〈女〉の家の窓の下から石かなにかを〈女〉のいるらしき二階の窓のガラス戸に投げた時だった。タケシが自分の映画の中で愛を叫びおこすことをとても恥ずかしがっていること、しかも愛の深さ映画の中に見せたいことそれがあの二階の窓に石を投げたシーンにあふれ出た。いっさいモノ言わぬ映画その最高の「愛」の一瞬。
これは『HANA-BI』の夫婦にさらに見事にあふれ出て、ラストの海のあるシーンその銃声二発に呼吸が止まる。愛がここに狂うごとく。そして目の前の波がその静けさをくりかえす」
(『フィルム・メーカーズ②北野武』より)
僕の「生涯の恋愛映画」第1位。砂浜で寄り添う夫婦の姿「極限の美」。数十年間の「絆」を全部想像させた。
■『その男、凶暴につき』
■『3-4X10月』
■『あの夏、いちばん静かな海。』
■『ソナチネ』
■『みんな~やってるか!』
■『Kids Return』
■『HANA-BI』
■『菊次郎の夏』
■『BROTHER』
■『Dolls ドールズ』
■[Next]
画像 2016年 3月