日記「今日見た映画 2019」2『ターミネーター ニュー・フェイト』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ターミネーター ニュー・フェイト』
☆☆☆☆[80]

2019年/アメリカ映画/129分
監督:ティム・ミラー
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー/リンダ・ハミルトン/マッケンジー・デイヴィス/ナタリア・レイエス/ガブリエル・ルナ/ディエゴ・ボネータ/トリスタン・ウヨア/アリシア・ボラチェロ/マヌエル・パシフィック/エンリケ・アルセ/フレイザー・ジェームズ/トム・ホッパー/スチュワート・マッカリー/スティーヴン・クリー

■2019年 劇場公開作品 2本目

「ジョン・コナー」がスカイネットに「ターミネーター」にされ、母親と戦う話を見て、「ジェームズ・キャメロン監督」はどんな気持ちになっただろう? 「1作目」「2作目」で物語は「完結」し、スカイネットは消滅して「世界平和」となったはず。

「3作目」を「無理矢理」「強引」に作るのって、「2作目の延長の恐るべき極限のくそリアリズム」で創作するなら、「超世界平和」で「人類滅亡」級の大きな「戦争」などもうなく、「全世界」「幸せ」。「戦争がなくてよかった」。「ターミネーターなんか絶対もういない」、「花畑」や「笑顔」しかない話にしかならないはず。

この「2作目の延長の恐るべき極限のくそリアリズム」を「覆して」、もう一度「人類滅亡」級「戦争」を起こすには、「自動的」に、「2作目をなかったことにした」しか、「絶対作れない」。「実は終わってなかった」という「3作目」は、「すでに」「最初から」、「絶望」以外描けない。そんなにまでして「絶望が見たい人」の気持ちに僕は共感できない。

「ジェームズ・キャメロン監督」にとって「3作目」を作るという行動は、「映画史」に築いた『ターミネーター2』の「偉業」を、「自分自身の手で」「2作目をなかったことにした」行動となる。「ジェームズ・キャメロン監督」本人に会ったことなどないから、「勝手な想像」しかできないが、「かなり」「苦しみ」「哀しみ」の葛藤があったのではないだろうか? この葛藤は『沈黙 -サイレンス-』の「棄教」と「同格」に見えた。だがもう、「ジョン・コナー」がスカイネットに「ターミネーター」にされ、母親と戦う話を、放っておく訳にはいかなかい「極限領域」まで追い込まれたのだろう。

僕の「勝手な想像」では、「棄教」しなければならないまでの「苦しみ」「哀しみ」に追い込まれ、『ターミネーター ニュー・フェイト』の製作を決意したように見えた。もう「絶対監督名を残したくない」ように見えた。さらに「脚本」すら書いてないのは、「これは絶対俺が考えた話じゃない」と見えた。『ターミネーター ニュー・フェイト』の物語も、やはり「土台」は、「3作目」「4作目」「5作目」と同じ、「2作目をなかったことにした」話にしかならなかった。だから「ジョン・コナー」と「サラ・コナー」の話「ではない」、「全く新しい話」にしたことが、「2作目をなかったことにした」ことへの「ジェームズ・キャメロン監督」の「最後の抵抗」に見えた。

「ところが」、「全然違ってた」。「真実」は、僕の「勝手な想像」と「真逆」「大違い」だった。

「『ターミネーター:ニュー・フェイト』新3部作、すでにプロット完成済み ─ 「人間と人工知能の関係を描きたい」ジェームズ・キャメロン、実現に熱意燃やす」ほど「新3部作」に「やる気満々」。「(『ターミネーター』に)戻ってきた大きなモチベーションのひとつは、人間と人工知能の関係を描けるということでした」と、自ら「2作目をなかったことにした」で「絶望」に突き進んだ。「ジョージ・ルーカス監督」の『スター・ウォーズ』シリーズのような位置で「製作」を始めたの思い知った。それに対し「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「マッケンジー・デイヴィス」は「大好きだし、とても誇りに思っている」としながらも、興行収入の面で「求められていなかった」と振り返る。「7作目(=『ニュー・フェイト』続編)が求められているかと言うと、それはおかしなことだと思います。観客が何を求めているかを、しっかり見極めるべき。新しいものが求められていて、私も新しいものを求めている」と、僕の「勝手な想像」側の意見だった。

『ターミネーター』「1作目」から『タイタニック』までの「ジェームズ・キャメロン監督」に、僕は「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」まで追い込まれてきた。だが「実は」、『アバター』が「かなり」「苦手」。「先住民族」の「青塗り」も共感できず遠い世界に感じてしまったくらい「かなり」「つまんなかった」。『エイリアン2』『ターミネーター2』の「ショック」「衝撃」を感じなかった。

「ジェームズ・キャメロン監督」は『アバター』から「様子がおかしい」「怪しい」と感じてたが、「2作目をなかったことにした」『ターミネーター:ニュー・フェイト』新3部作「やる気満々」で、「様子がおかしい」「怪しい」こと「決定的」に「今」、ビビッて震え上がり思い知った。「耳を疑うわ オビ=ワンの言う通り 別人だわ!」「胸が張り裂けそう…」

僕も「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「マッケンジー・デイヴィス」に「完全共感」。「観客が何を求めているかを、しっかり見極めるべき。新しいものが求められていて、私も新しいものを求めている」に「大きい方垂れ流し」しかない。

「全く新しい話」にするために、「アーノルド・シュワルツェネッガー」が「ジョン・コナー」を殺したのは「見るに耐えない」映像だった。

あまりに「CG」が「激し過ぎて」、「アクション」「全部」人間が「絶対助からない」映像にしか見えない。『ターミネーター ニュー・フェイト』も「やっぱり」「苦手」。

だが「全く話に関係なく」、僕を『ターミネーター ニュー・フェイト』に「ガン見」まで追い込んだのは、「この世のものとは思えない」「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「マッケンジー・デイヴィス」「グレース」。「最初」の「登場」「一瞬」「瞬間」で「時間が止まった」。

「全く話に関係なく」、「最期」、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「マッケンジー・デイヴィス」「グレース」の「チェーン」「極限の美」に「ガン見」。「エクスタシー到達」まで「時間が止まった」。恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「マッケンジー・デイヴィス」「グレース」が、僕にとって『ターミネーター ニュー・フェイト』の「救い」。逆にもう『ターミネーター』シリーズなんかじゃなく、 「この世のものとは思えない」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「マッケンジー・デイヴィス」を主人公にした、「チェーン」「極限の美」の「違う映画」だった方が、「やりすぎ限界映画」だったかもしれない。


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画像 2021年 7月