よしもとばななさんの長編小説。


主人公さやかは、インドネシアのバリ育ちで東京在住。ちょっとだけモノと会話できるという、プチ超能力を持っている。ある日、さやかのもとに不思議な手紙が届く。そこから、こんがらがって止まってしまった時間がほどかれていき…という話。


よしもとさんの小説って、中編くらいのが多いなか、こちらは400ページ近い大作。でも何が起こるってわけでもなく(回想シーンで事件は起こるけど)、ただただ、良い人たちが大切な日常をかみしめながら生きている話。しみじみいいなぁ、こういうの。


「きっと今日もいい日になる。みちるが生まれてから、たとえ悟が死んだあの日だって、悪い日が一日もない。生きていることが祝福と思わない日はない。」


こういうのを、口先だけじゃなく心の底から言えるように生きるってことは、毎日が超真剣勝負なのです、本当は。


そしてさやかの義母、つまり亡くなった夫の母親が、もうめっちゃ最高。この義母の、世界に対するある種の愛や信頼が、読んでる私の心までほぐしていくようだった。もう、よしもとさんの小説に出てくる人物のなかでもいちばん好きかもしれない、この人。


あと、感想から少し外れますが、ここ。


「ものから来る情報は順番を飛ばしてやってくるから全く論理的でない。人類がこの能力を最終的に採用しなかったわけがよくわかる。」


これ読んだとき、超わかる!と思った。


ここからただの妄想ですけど、この世界を理解したり、説明したりしようとするときに、世界というのは人間が知覚できる範囲をはるかに超えていることに、昔、頭のいい人たちは、頭がいいからこそ気がついて、愕然としたと思うんですね。で、今の人類の能力で、どうやったら一応の理解&説明ができたことになるか。


となったとき、「論理的に」それをやるってことで、それ以外のものを、一旦、ないことにしたんだと思うのです。そうでなければ、制限を設けなければ、とりあえずも何も、この世界について語れなかったんだと思う。


私は自分の文章が論理的でないことを理解しているし、考え方が抽象的だし、たぶんよしもとさんもそうだと思うんだけど、なのになぜか論理が届かないところに到達することがあるのですよね。これホントに不思議なんだけど。文章でそういうことができる、って私に教えてくれた最初の人はよしもとさんだったのかもしれないと思う。


 

 







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