【2019年のアニソンを振り返る】の残弾(アニメ16本、音楽24曲)一挙放出! | A Flood of Music

【2019年のアニソンを振り返る】の残弾(アニメ16本、音楽24曲)一挙放出!

 【追記:2021.1.5】 本記事は「今日の一曲!」【テーマ:2019年のアニソンを振り返る】の第二十四弾です。【追記ここまで】

 

 

 今回の更新は【2019年のアニソンを振り返る】企画に、いい加減終止符を打つための特別編です。一年強もの長期間に亘って牛歩での更新が続いている本企画については、私事による中断を挟んだことは致し方ないとしても、趣旨説明に「どんなに遅くとも今年いっぱいが期限」と書いておいて正解でした。とはいえ、流石にそろそろ終わりを見据えた動きをしないと皺寄せが【2020年の~】に及んでしまうので、本記事を以て2019年分は打ち止めにするつもりです。

 

 

 具体的にどうするのかと言うと、本来であれば「今日の一曲!」の形式で今後紹介するはずだった楽曲のレビューを、以降に全てまとめて行うことで総記事数を圧縮します。2019年分からは「一作品に対して一記事」を原則にすると宣言しておいて何ですが、過去3年分の振り返り企画【2018年2017年2016年】の時と同様、「一記事内に複数作品」でお送りすると書けば原点回帰なのです。

 

 

 加えて、前回の更新分までの都合23記事で、僕がレビュー対象を決める際に参考にしている「自作のプレイリスト」*のうち、最上位にあたる「1st」に振り分けていた2019年のアニソンには全てふれられたため、これも残弾の一挙放出に繋がる要因になっています。つまり、本記事で紹介するのはリストの「2nd」「3rd」に振り分けている、もしくはかつてリスト入りしていた(2020年11月時点で「3rd」から押し出された)楽曲です。

 

 * ここで言う「自作のプレイリスト」の解説はリンク先の通りですが、記述がわかりにくいため折を見て画像付きで改訂したいと考えています。というのも、アニソン振り返り企画に限らず今後の当ブログの更新スタイルとして、当該のリストを公開する形でのレビューを増やしていくつもりだからです。その手始めには新しい雛型を作る意味合いも込みで、僕が「アニソン+」にカテゴライズしている作品(リストC)の音楽を特集した記事をアップしようと考えています。本企画に於いて未だ単独記事を立てていない複数のリストC作品については、このニュースタイルでの更新を以てより詳細な内容に仕上げるつもりです。従って、本記事を含めて【2019年の~】の枠組みの中では、音楽への高い評価とは裏腹にいくつかふれ損ねる作品が出てくることになるものの、その理由は上記に求められるとお含み置きください。

 

 前置きは以上で、ここから次々と作品を変えながら主題歌または挿入歌をレビューしていきます。特に好きな楽曲に対しては小見出し「■ 曲名 / アーティスト名」を立て、諸々の関連性を考慮して続けて紹介したい楽曲は「曲名を強調表示する形」で本文中に組み込みました。

 

 

 

■ Q-vism / Who-ya Extended

 

 

 『PSYCHO-PASS サイコパス 3』OP曲。自分の嗜好遍歴紹介記事に名前を連ねているくらいに『サイコパス』は好きな作品ですが、『SS Sinners of the System』と『FIRST INSPECTOR』は未だ観ていないので(後にANIMAXで観ました)、詳細なアニメ語りは残念ながら出来ません。TV放送された『3』に関しても終わり方が所謂「続きは劇場版で!」だったため、僕が内容について感想を述べても詮無い気がします。

 

 ゆえに外周部に切り込みますと、せっかく1時間枠で全8話という特殊な放送形態を取ったのであれば、もう少し区切りの良いところに終点を設けてほしかったです。従前通り30分枠で11話単位(「ノイタミナ枠の定型」)だったら尺の問題と割り切れるものの、フォーマットを壊した上で中途半端な位置で終わらせたとなると、端からTV放送はお試し版ですよと言われたみたいでモヤモヤします。実際続編の『FI』は劇場公開とアマプラ配信だったわけですから、ならば最初からTV放送を排したほうが時代に即していたはずです(完結してから新編集版をTVで流せばいい)。続きを別の媒体に委ねること自体を批判する意図はないけれど、古くは「あのね商法」と揶揄されたように、「キリの良さ」というのものはTV放送に於いて依然大切だと思います。

 

 

 枝葉末節の問題はさて置き、『サイコパス』の強固な世界観と魅力的なキャラクターが、ストーリーを重厚に演出して独特の格好良さを醸成していた部分は『3』でも変わらない美点だったので、その幕開けを飾る主題歌に求められるクオリティは当然ハイレベルと言えるでしょう。これまでは凛として時雨がその期待に期待以上の会心作で応えていましたが、『3』のOP曲を担当するのは同曲でメジャーデビューを果たすニューフェイスだと聞き、作品に見合うだけの楽曲が供されるのかと一抹の不安を覚えたものの、果たしてWho-ya Extendedの「Q-vism」は相応しい芸術性を備えた得心のいくナンバーでした。

 

 イントロなしで突き付けられる"瞼の奥に閉じ込められた刃物を取り出して"にドキっとさせられた時点で既にノックアウト、じわじわとボルテージを上げていく漸増的なメロディラインに煽られ、表題の変形というか原形を含む"朽ちることのないcubism"の余韻の中、耳に残るノイズを背にしたギターサウンドが展開される冒頭の29秒までで、ひりついたOP映像とのシナジーを得た質の高さを確信出来ます。補足としてある程度年齢を重ねた人しかわからないであろう小ネタを披露しますと、間奏部のノイズ(0:16~, 1:29~)には何処かダイヤルアップ接続音が過る響きがあって懐かしいです。急に落差のある感想ですみません。笑

 

 Aメロと間奏で分断されているおかげで"Cause I know"に至るまでのコンテクストに想像の余地を持たせたBメロを経て、瞬時の判断を連続で迫られたがの如き焦燥感を帯びたサビメロがこれまた文句無しにクールです。"覚醒する白夜暴徒と化して/愛想ぶったキスに銃を革命ぶったハグにナイフを"は、意味内容のアグレッシブさもさることながらフロウが素晴らしく、別けても"キスに銃を"の流麗さは暴力的に美しいと感じます。続く"消えろ消えろ全て冷えた鎖も"は、対照的にやや執念めいた旋律で緩急の付け方が鮮やかです。

 

 

 

■ shadowgraph / MYTH & ROID

 

 

 『ブギーポップは笑わない』OP曲。第一次アニヲタ期の頃からその人気の程を知っていた作品ですが、原作のラノベもアニメ第一作の『Boogiepop Phantom​』も鑑賞したことがなかったので、同作には今般の再アニメ化で初めてまともにふれました。無暗に他の作品を比較対象にすべきではないと弁えつつも、1998年の同時代性とアニメ制作会社が同じである点(前者は原作の刊行開始年、後者は『BP』の話です)を加味して、『serial experiments lain』を彷彿させる不気味な雰囲気が好みだったと短評を副えておきます。ちなみに原作者の上遠野浩平さんの文章には、『恥知らずのパープルヘイズ -ジョジョの奇妙な冒険より-』で馴染みこそあれ、ノベライズとオリジナルを同じ土俵では語れないため、本作を深く知るにはやはり原作に手を出さねばなとの所感です。

 

 またも外周部に一家言あるので切り込みますと、僕は実のところアニメの第10~13話に相当する「夜明けのブギーポップ編」を観ていません。なぜなら、変則的な一挙放送が行われることを知らなかったからです。記憶違いだったらすみませんが、第9話の放送中にその旨を告知するテロップはなかったと思います(あったら性格上メモるので見逃さなかったはず)。これは制作側と放送局のどちらに文句を言うべき案件なのか迷うものの、次回の放送が通常の時間と異なるのにお知らせなしは不親切ですよね。NHKと民放5局はこの辺りの配慮がしっかりしているけれども、MXは番組によって区々で親切な時とそうでない時があります。広報は当然公式のHPやTwitterで変則放送の旨を告知していましたが、毎クール多くの番組を視聴している身からするといちいちネットを確認したりSNSをフォローしたりは億劫なので、普通にTV放送で番組を視聴しているだけの人間は蔑ろにされる時代なんだなと悲しくなりました。その後にニコ生での一挙配信があったので観ようと思えば観れたけれど、録画を仕損じた時点で萎えていたため能動的にスルーして第14話から視聴を再開した次第です。

 

 

 個人的な恨み節は些事と割り切りまして、一部が抜け落ちているとはいえ作品内容から面白さを感じ取ったことは事実で、M&Rによる主題歌はその本質を突くような内省的な歌詞と不穏当なサウンドを武器に、物語に必要な影を与えていたと評します。チェロの重苦しさと相反するダンサブルなビートが新鮮なマリアージュを生み、"Can you see the meaning inside yourself...?/Can you see the meaning in your darkness...?"の問い掛けが自己に潜む闇を喚起する導入部だけでも、オートマチック(自動的)なブギーポップ(不気味な泡)のスケープであると納得です。サスペンシブな旋律および進行に引き摺り込まれる儘では単なる自棄ですが、ステーブルな打ち込みがまるで理性を制御しているふうに感じられる部分に、境界線上で揺らぐギリギリの人間性が窺えます。Cメロの"光と陰 夢と現の/狭間で踊る "私"はどこにいる さあ"は、まさにこの立脚地を描写したものでしょう。"踊る"を敷衍してダンスチューンとしての側面を語るならば、1番サビ後間奏のミニマルなつくりと2番でBメロを省略する楽想が、とりわけ踊りやすいギミックになっていると分析します。

 

 

 

 当ブログ上でM&Rのトラックを取り立てるのは2017年の振り返りでふれた『幼女戦記』OP曲「JINGO JUNGLE」(2017)以来で、同曲に匹敵する或いは上回るレベルで「shadowgraph」は新たなフェイバリットになりました。ちなみに個人的な次点は『Re:ゼロから始める異世界生活』のED曲「STYX HELIX」(2016)で、Mayuさんボーカルの原曲も勿論素敵でしたが、KIHOWさんが歌う「-KIHOW Style edition-」(2019)も好みです。この新録バージョンが収録されているシングルの表題曲「TIT FOR TAT」(2019)は、『慎重勇者~この勇者が俺TUEEEくせに慎重すぎる~』のOP曲で、電子音楽寄りではなくロック主体でもダンサブルに仕立てられるのは、流石Tom-H@ckさんのセンスだと腹落ちしました。ギャグとシリアスのバランスが絶妙に取られている感じが、OP映像延いては『慎重勇者』の作風にマッチしています。笑

 

 

 

■ 異世界ガールズ♡トーク / アルベド、アクア、エミリア、ターニャ

 

 

 『異世界かるてっと』ED曲。色々と語弊がありますが便宜上の説明として、KADOKAWA発の異世界転生モノを複数クロスオーバーさせたお祭り作品である本作に関しては、開始時点では『幼女戦記』と『この素晴らしい世界に祝福を!』しか観たことがなかったものの、その後再放送で『オーバーロード』と『リゼロ』を、本放送で『盾の勇者の成り上がり』と『慎重勇者』を観たので、何だかんだで参加作品は全て把握しています。先にM&Rの楽曲を通じていくつかの作品名を出したのは、本曲のレビューに繋げたいからだったのでした。

 

 【追記:2021.9.23】 同日を以て「異世界ガールズ♡トーク」(2019)のレビューは削除しました。内容がクリティカル過ぎるきらいがあったので(+ネット上の言論を取り締まる動きが強まったことも加味して)、表現をいくらかマイルドに修正する作業に取り掛かろうとしたところ、持説の補強のためにリンクしていたメディアの記事が削除されていることに気が付き、元来の主張を質の面で維持するのが困難になったがゆえのオールカットです。【追記ここまで】

 

 

 

 歌詞の上では"かしましいから程遠い"とされていながらも"女子会"らしいかまびすしさに満ちていたED曲に対して、OP曲の「異世界かるてっと」(2019)は男性陣によるご機嫌な歌唱がこれまた微笑ましいハッピーソングです。設定上どちらにも属せる少佐は役得で、悠木碧さんの歌声が良いアクセントになっています。制作を手掛けたのは大石昌良さんということで、前山田さんに勝るとも劣らないヒットメイキングなセンスは本曲でも健在です(過去の言及記事)。"異世界もわりといい世界"とのくだらないダジャレをキーとする本曲を、お寒いものではなくきちんと賑やかでコミカルに成立させているのは、大石さんの持つ確かなアレンジ力があってこそでしょう。

 

 本人名義(オーイシマサヨシ)の楽曲では『コップクラフト』OP曲「楽園都市」(2019)も良曲で、扇谷研人さんとの共作により一段とラグジュアリーさが強調された有機的なアレンジが、バディモノならではの年齢層高めの雰囲気にぴったりでした。インタビューで語られている「Tank!」(1998)へのオマージュも、菅野よう子好きとして「わかる!」と感じたので、ちゃんと成立しているとリスナーの立場から述べておきます。原作は2009年から刊行されているため後年の流行に即したカテゴライズはしないけれど、変わった趣の異世界モノであるところには先見の明が窺えますね。

 

 

 

 異世界つながりで追加でもう一作品、先に名前を出した『盾の勇者』OP曲「RISE」と「FAITH」(共に2019)もここでレビューしましょう。どちらもメンズダンスボーカルユニット・MADKIDの楽曲で、サウンド的にもビジュアル的にもK-POPアイドル路線の存在…と説明したくなりますが、経歴や素性を調べてみると活動開始は2014年からできちんとインディーズからキャリアを重ねていますし、トラックメイキングを自分達で行うクリエイター集団でもあるとわかり、安易に十把一絡げにしてはいけない存在だと認識を改めました。

 

 だけあって音楽の格好良さは本物で、「RISE」ではBメロの英語詞を美麗なフロウでナチュラルに歌い上げているところが、「FAITH」では"Just fight it out"の"out"をチョップさせたビートメイキング、日本語の響きにもこだわりを感じさせる"触れてくれた君の指"の美メロ、アニソンとして聴いても申し分のないアガるサビメロがそれぞれツボです。なろう発のアニメにD&Vグループの楽曲を宛がったのは互いにニーズから外れているのではと思っていたものの、『盾の勇者』は主人公にかなりの艱難辛苦が降りかかる内容でなろう系のテンプレから外れていたため、そのギャップに主題歌も上手くハマっていたと推測します。

 

 

 

■ パパパ / 斉藤朱夏

 

 

 『俺を好きなのはお前だけかよ』OP曲。自分でもよく整理出来ていない観点なので話半分に聞いていただければ幸いですが、同作は個人的に『冴えない彼女の育てかた』の系譜、2019年のアニメでなら『可愛ければ変態でも好きになってくれますか?』と同類であると認識していて、主人公の性格・気質や取り巻く環境は当たり前ながら作品毎に異なり別段共通のものはないのに、その思考パターンがどうにも腑に落ちない点では近しいイメージを抱いています。

 

 これはなろう系主人公に対する持論を展開した記事で述べたほど体系的なものではなく、というか不快感ともまた違う気がするので必ずしも否定ではありません。ラノベ主人公も一時期は(今でも?)ヤレヤレ系が食傷気味になって叩かれ始めたと記憶しており、それと同じような感覚で何か核となるモヤモヤがあるはずなのに、ヤレヤレ系のようにワンワードで的確に言語化出来ていない状態です。「思考パターン」と書いた以上はそのプロセスに疑問を持っているとの自認で、未熟な恋愛観に対して現実的なツッコミを入れたくなるのだろうかとか、属人的な振る舞いが鼻に付くのかもしれないとかの大凡の見当は付けられても、これら三作品に特有のものとまでは言えないよなとブレーキがかかります。いずれもラノベ原作の学園ラブコメでレーベルこそ違えどKADOKAWAから出版されているのが共通項なため、もしかしたら想定される読者層・視聴者層に自分が含まれていないからというだけの話かもしれませんね。ターゲット層ではない人間からの批評はお門違いと正論を突き付けられると何も言い返せませんし、話を運ばせるためとはいえ主人公たちの至らなさを楽しめない大人になってしまった僕のほうにも原因がありそうです。

 

 

 上述の内容は重箱の隅に過ぎないので杓子で払いまして、アニメを最後まで鑑賞した時点で三作品とも目立って嫌いなわけではないと念押ししておきます。中でも『俺好き』と『変好き』は演出面がギャグベースだったゆえ、楊枝でほじくること自体がナンセンスです。『俺好き』はそのタイトルが象徴するように従来のラブコメへのカウンター姿勢が顕著で、お約束を皮肉るようなズラしがコメディになっていましたが(全因果が集中した地区大会決勝と凶兆のベンチのしつこい登場が面白かったです)、斉藤さんが歌うOP曲はそのような裏を感じさせない爽やかなラブソングに仕上がっています。ヒロインズを含めて女性キャラクターには花の名前が、主人公を含めた男性キャラクターには花の生育に関連のある名前が、それぞれニックネームとして冠されている要素から発展させたのであろう、花と恋を可憐に落とし込んだ歌詞が文学的で好みでした。

 

 1番はほぼ全文を引用したいくらいに何処のフレーズを切り取っても甘酸っぱいのがお気に入りで、"君は意地悪な通り雨/イタズラに優しくなんてしないで/まんまと吸い込んで育ちました/胸の奥の奥に咲いた花/それは恋という名前の品種です"とメタファーの上手な立ち上がりも、"甘い匂いと 心臓がチクッと/痛む少しの毒があること/君がいなくちゃ枯れてしまうこと/それだけ分かってるんだ"に忍ばせた棘と翳の部分も、"パッと開いた ああ このフラワー/どんな図鑑にも載ってないや/世界初の大発見 だから君に見せたくて"の喧伝したくなるほどに大きい喜びの表現も、王道のモチーフに係る言葉選びに非凡なものを感じました。そして何よりこの芽生えから開花までの端的な描写を「パパパ」というオノマトペに収束させているのが素敵で、"もうどうしようもなく つぼみは ねえほら/開いてしまうんだ パ パ パ"の結びには詞華が咲いていると絶賛します。

 

 作詞と作曲を担ったのはハヤシケイさん、編曲を務めたのは堀江晶太さんで、ボカロP出身者同士のタッグだからか、メロディとアレンジの連携も綺麗に決まっているとの理解です。表題に絡めたスキャット"パッパッパッー ドゥビドゥバッバー"に導かれて登場する多幸感に溢れたブラスリフは、楽曲の目指す方向性が祝福であると先んじて宣言する優秀なイントロで、この時点で既に良曲の予感を覚えます。まだまだ進展はこれからと言わんばかりの少女性を宿したAメロでは期待に胸を弾ませるようなピアノの跳ねたグルーヴが心地好く、途中から歯切れの良いギターが加わり不安の過るBメロへと移行し、次第にブラスの質感が強まりサビ直前にインストで「パパパ」とキメる遊び心(0:45~0:46)を挟んだ後に、ここまでの諸要素が混然一体となったユーフォリックなアレンジの上をポップな旋律が文字通り弾けていくサビをピークとして、再度ブラスリフに戻るというシークエンスは蓋し「恋の喜び」を謳う楽想です。

 

 

 

■ ハナコトバ / パンジー&ひまわり&コスモス

 

 

 『俺好き』ED曲。過去にもそのサウンドを大好物と形容したJazzin'parkが手掛けただけはあってとても良い曲なのですが、残念ながら音源は円盤の特典CDにしか収録されておらず、フル尺での評価は僕には出来ません。それでも特筆したいのはメロディの技巧性で、その枢機は"嘘の優しさ 見て見ぬフリした"のラインにあります。

 

 歌詞上の表記を根拠にすれば(ひとつのスタンザをひとまとまりと考えれば)、本曲のAメロは"眩しすぎる"~"泣いたりして"、Bメロは"気づいてよ"~"空に罪はない"と理解するのが普通でしょう。しかし、個人的な感性では"嘘の~"の旋律もまた別のAメロだと捉えています。なぜなら、その直前の"気づいてよ"のメロディに本来続くのは、後に"ひとり雨宿り" → "けど、、空に罪はない"だとわかるので、"気づいてよ" → "嘘の~"は変則的であるとの受け止めです。要するに、【Aメロ甲 → Bメロ(前半のみ) → Aメロ乙 → Bメロ → サビ】といった区分を想定しており、Bメロを分断するようなAメロ乙の存在に凝った作曲術を見た気がするというロジックです。アニメで本曲を聴いた際に覚えたフィーリングの話として、"嘘の~"に差し掛かった時に「あれ?またAメロっぽい出出し感のある旋律に戻ったぞ?」と不思議に思った理由を、上述したような進行の妙に求めたいのだと補足しておきます。

 

 

 

 本項の冒頭に作品名を挙げていたので、せっかくなら『変好き』の主題歌「ダイスキ。」と「無謬の花」(共に2019)もここでレビュー対象にしましょう。大橋彩香さんの歌うOP曲は底抜けに明るいポップナンバーで、作品題に「変態」が含まれているだけのことはある包み隠さないスタンスが、歌詞の"カラダ中が「ダイスキ」って叫ぶの/もうどうにも 止まらない!"にも説得力を与えています。一方でMia REGINAの歌うED曲はそのお堅い曲名に見合った真面目なバラードで、「変態」をテーマにしていても"ロリータ、サド侯爵、禁じられた愛"と歌詞通り"文学的"な引用が試みられている点で学殖豊かです。"さま"に「様」ではなく"態"の漢字を充てているのも芸が細かくて好感を持てます。

 

 

 

■ 輪!Moon!dass!cry! / 田中望、菊池茜、鷺宮しおり

 

 

 『女子高生の無駄づかい』OP曲。ギャグ作品として面白かったというシンプルな感想で、本作の魅力は過不足なく伝えられるものとします。ストップモーションを効果的に使ったMVのようなOP映像(MVあるあるを連発する某MVでも紹介されている技法)も印象的で、調べたら奇しくもこの記事でお名前を出していた梅木葵さんが絵コンテと演出を務めていたとわかり、「梅」つながりで梅津泰臣さんよろしく良OP/EDを連発する存在になってくれたら嬉しいと期待大です。

 

 余談ですが梅津さんがディレクターを務めたOPのうち、個人的なお気に入りのトップ3は『終わりのセラフ』『幸腹グラフィティ』『それでも町は廻っている』で、過去に言及したことのある『Dimension W』を次点に据えたいと思います。Wikipediaで氏の経歴を眺めていたら、僕が初めてふれた梅津ワークスはおそらく『女子高生 GIRL'S-HIGH』のEDだとわかり、この頃からダンスさせてたんだなとか、偶然ながらこの短期間に二度も同作の名前を出すことになるとはとか、時代は移れどやはりいちばん映えるのは「女子高生」なのかとか、種々の知識がリンクする有意義な調べものとなりました。OPやEDの内容を作品のハイライトで済ませてしまうアニメが多い中(王道ゆえ悪いとは言いませんが)、後年まで記憶に残りやすいのはそれ単体にも独立したストーリーがあると思わせてくれる内容です。作画や作風を本編から大幅に乖離させてきたり、本筋とは関連性の薄い小ネタや設定を敢えて掘り下げてみたりの、拡大解釈こそが至高と言えます。

 

 

 話を『女子無駄』に戻しまして、作品およびOP映像の面白さに負けないくらいにOP曲もかなりユニークです。"YO マイクチェック JK"からのスタートがその符牒であるように、歌唱はラップでトラックはヒップホップというそれこそ無駄に格好良いつくりをベースとしていながら、"カレーが食べたくなる BGM!"でタブラとシタールでしょうか;インド風のサウンドが闖入してきたり(歌詞で予告があるので厳密には闖入ではないとセルフツッコミ)、2番の同位置では"それはこの胸の中に抱いてる/熱いもの"で俄に情熱的なサックスが躍り出てきたりの、自己言及的なアレンジが耳に残ります。

 

 あとはアウトロが最もわかりやすいですが、本曲の大部分を下支えしている要素にややローファイな処理が施されたエレピ?のループがあり、これによって醸されたメロウな趣が本曲を殊更お洒落に飾り立てているギャップ(歌詞のくだらなさに対して)も聴きどころです。誉め言葉として「才能の無駄遣い」という表現があるように、本曲の制作を一手に担った山崎真吾さんによる高度なトラックメイキングにはその賛辞が似合います。当ブログ上に今までお名前を出したことはなかったのですが、2016年の振り返りで紹介した「KUMAMIKO DANCING」(2016)および単独記事を立てた「ハレルヤ☆エッサイム」(2017)の作編曲者だと改めて知り、今後も注目に値するクリエイターであるとの確信に至りました。

 

 

 

 ED曲「青春のリバーブ」(2019)を手掛けたAgasa.Kさんもこれからが楽しみな存在です。本職というか演奏家としての基本はベーシストで、レビュー済みの楽曲では「ウザウザ☆わおーっす!」(2018)への参加を確認出来ました。作曲に関しては着実な音運びが実にベーシストらしいと得心がいく一方、編曲面についてはDメロ("大人になんて"~)の音遣いにマルチなセンスが窺え、冒頭のコーラス(儚げな"ah-ah"とエフェクトのきつい"ah"が連続で出てくる0:03~0:10)が組み替えられて、3:04~では前者だけが/3:12~では前者と後者がほぼ同時に出現し、後者を宛らギター的に(トークボックスを介したような質感で)扱っているのがツボです。バックの持続時間の短いシンセの音色もグッド。

 

 作品変わりまして、『世話やきキツネの仙狐さん』OP曲「今宵mofumofu!!」(2019)もAgasaさんによるナンバーで、こちらはグルーヴを大事にしている点がまたベーシストらしい作風と言え、リズム隊で経験を培った方がつくるノリは間違いないなと納得です。氏のワークスは過去に「あの娘にドロップキック」(2018)を補遺的に紹介していたくらいだったので、もっとその名義に意識を払っておくべきだったと顧みます。加えて、クリエイターへの信頼という観点では『仙狐さん』ED曲「もっふもふ DE よいのじゃよ」(2019)も安定の出来栄えで、篠崎あやとさんについては所属しているプロダクションごと特集した記事をご覧ください。

 

 

 

■ 三原色 / PELICAN FANCLUB

 

 

 『Dr.STONE』後期OP曲。前期OP曲「Good Morning World!」(2019)はc/wをメインに立てた記事でレビュー済み、前期ED曲「LIFE」(2019)も曲名だけなら非アニソン記事に出す機会があったため、同作品にふれるのは本項で三度目です。来クールには第2期が放送予定、つまりまだまだ物語の途中で僕は原作も未読なので、あくまで科学の力で世界を取り戻さんとする冒険の行く末を楽しみにしていると期待だけを記し、これが現時点で可能なアニメ語りとします。

 

 本曲についてとりわけフォーカスしたいのは、「TVサイズとフルサイズとでは随分印象が違うな」という点です。これに関しては褒めたい部分とそうでない部分の両面があり、先にネガティブな「歌詞の省略」から述べていきます。歌詞全文を参照した上でTVサイズ版のそれと比べてみると、やや無理のある継ぎ接ぎがなされているとすぐにわかるでしょう。対句になっているものが分断されていたり、中間を端折っているせいで文意が弱くなっていたりで、本来の歌詞内容が持つ文学性が損なわれていると感じます。

 

 その美点は実に多角的な目線が披露されているところで、光(加法混色)と色(減法混色)の双方が巧く取り入れられていると理解可能な表題の「三原色」に係るフレーズの秀逸さは当然ながら、"零にたして 今をかけて/流れる赤い血のよう/線をひいて 殻をわって/咲いた花の模様"の鮮やかな四則演算(を表す語)の取り込みも、この算術の過酷さを"目にみえないルールへ今行こう/イコールを探しにいく"で、その果てに待つ答えの重みを"想像をしていた「1」を手にした時/想像をしていたより遥かに超えていた"で回収する高度な物語性も、"意図と思想"で「意思」として作品題の「石」と掛ける感性の素晴らしさも、作詞者であるエンドウアンリさんの冴えた言語感覚による賜物です。ペリカンには本曲で初めてふれたのですが、サウンドから「たぶんバンプが好きなんだろうな」と予想して調べてみたら見事的中、更にはGREEN NERVE会員との俺得余談もあって(※どちらもソース無しのWikipedia情報)、歌詞に重みがあるのも然りと腹落ちしました。

 

 

 閑話休題。そもそもなぜ上述したような歌詞の省略が存在するのかと言えば、おそらくフルサイズをそのまま使うとアニメOPの尺と合わないからでしょう。アニソンの職業作家による楽曲でない場合には間々あることで、間奏部を少しいじったくらいでは1分半の曲長にならないとなると、時に大胆なセクションの継ぎ接ぎが行れることがあります。2018年の振り返りで紹介した湘南乃風「Grand Blue」(2018)はその好例で、リンク先に書いたような上手い取捨選択の手腕が本曲に於いても存分に発揮されており、この「大胆な楽想の変更」こそがTVサイズのポジティブな面です。

 

 毎度ややこしいメロディ区分の話なので予め説明記事を案内しておくとして、本曲は「何処までがサビなのかを定義しにくい」ということを前提に話を進めます。TVサイズで聴いた場合には、"空の色は"~"記憶の静けさ"をAメロ、"青と黄色が"~"僕には夢を"をBメロ、"零にたして"~"探しにいく"をサビだとまずは素直に捉えるでしょう。しかし、その後に来る"どうか純粋な"~"三原色で広げて"のセクションを聴くと、今度はこちらがサビなのではとの考えが浮かぶはずです。ならば最初に提示した区分は間違いで、先のAメロとBメロは連続したセクションと見做しまとめてAメロに、先にサビとしたところを一つ前にずらしてBメロに、そして"どうか純粋な"~が満を持してのサビだったのだと新しい理解でまとめたくなります。…が、"三原色で広げて"の後に再び最初に想定したサビと同じメロディの"白紙の時代"~が登場してくると、やはり"零にたして"~の部分がサビだったのかとの迷いが生じてくるのです。更にややこしいことには、当該の言わば二度目の出現となるサビでは後半の旋律が一度目と異なり、"僕らの明日に"~と新たなラインがクロージングのために出てくるので、愈々楽想が複雑だぞと思う外なくなります。

 

 この凝った構成を楽しみにしてフルサイズを聴いたところ、上で"どうか純粋な"~以降に記したセクションは最後に一回しか出て来ず、感覚的には大サビなのだとわかりました。上掲した説明記事には理由が書いてありますが、僕はなるべく大サビという言葉は使いたくないゆえあくまで便宜的な言い回しです。フルで聴いてメロディを区分する場合にはまだ整理しやすく、シンプルに【Aメロ → Bメロ → サビ】が1番と2番で繰り返された後に、Cメロとして"想像をしていた"~が来て、以降の【Dメロ → 変則サビ(ラスサビ)】の流れをまとめて呼称すれば大サビになると簡略化出来ます。つまりフルサイズに準拠すればTVサイズの楽想は【Aメロ → Bメロ → サビ → Dメロ → 変則サビ】で表され、本来は2:34の終盤に設けられているピークを1:00の序盤で先取りすることで、静かな祈りと激しい衝動が綯い交ぜになった人間味に溢れるDメロの美しさを、アニメOPにも盛り込むことに成功しているのです。これは歌詞の省略によるマイナスを、補って余りあるプラスだと主張します。

 

 

 

 佐伯ユウスケによる後期ED曲「夢のような」(2019)も歌詞が素晴らしく、別けても表題に係るフレーズ"夢のような 話でいい/"知らない"より"仕方ない"より 現実的だ"は、言葉の上では矛盾していながら本質はその通りだと説かれたみたいで感動と共感を覚えました。近年の楽曲が「夢」をどう扱っているかは個人的に興味深いテーマで、いくつか温めているネタがあるので機会があれば記事にしたいです。さて、ペリカンも佐伯さんも別にアニソンに特化している存在ではないので、本項に於ける関連楽曲のコーナーはその括りから;即ち「非アニソン作家」によるタイアップ楽曲から、いくつかフェイバリットを紹介していきます。

 

 『revisions リヴィジョンズ』OP曲・THE ORAL CIGARETTES「ワガママで誤魔化さないで」(2019)は、全編3DCGでの制作で舞台が2388年の未来で所謂ロボットまで出てくる画的にも話的にもSF色が強い作品の主題歌なのに、全く電子的な音遣いに傾かないどころか妙に艶っぽいサウンドを供してきたところに攻めの姿勢が窺えて好きでした。とはいえ、急に強大な力を手にした少年少女がその使い方を過信から誤ったり逆に恐怖から拒絶したりは鉄板で、登場人物たちの人間臭い面が露呈する場面も多々あったため、本曲の有機的なつくりは意外と作品に合っていたと思います。OP映像の感情的なリップシンク(二回目の"ワガママで誤摩化さないで"の部分)から、"ワガママに嫉妬して/沈んでは浮かぶ子供の匂いがした"と未熟さにふれるのも好い青さです。その後に前向きなオチとして、"あの日の見苦しい僕の姿は/もう此処にはないから"があるのも弁えた結びと言えます。

 

 

 『ノー・ガンズ・ライフ』(第1期)OP曲・浅井健一「MOTOR CITY」(2019)については「ついにベンジーもアニソン進出か」と驚いたけれども、同作品の世界観に対してならば納得の人選であると難なく受け容れられました。というのも、僕は原作の連載が始まった頃に『ウルトラジャンプ』を定期購読していたので、アニメ化前からそのハードボイルドな内容を誌面で追っていたからです。実は過去にも『BLEACH』のED曲への提供があったため先述の「ついに~」は不正確なのですが、いずれにせよ彼ならではの格好良さを活かすには作品そのものにも相応しい雰囲気があると首肯させられる二作ですよね。本曲に関しては音楽的なことを細かく語るよりも良さは聴けばわかると感性に丸投げしたほうがベターだと認識していることに加え、『ノー・ガンズ・ライフ』の主題歌は1期ED曲も2期OP/ED曲も全てがお気に入りなので、今後2020年の振り返り企画でまとめてふれる可能性を考慮して本項ではここまでの言及とします。

 

 『あひるの空』1stOP曲・the pillows「Happy Go Ducky!」(2019)は、そのタイトルの上手さだけで勝ち確と謎の賛辞を贈りたいレベルの痛快さを誇るロックで、僕の言語的な感性に於いてはトートロジーっぽくて普段から好きではない"なりたい自分になりたい"(~なるでも同様)という具体性に欠いた表現ですら、不思議と気持ちの好いものとして響いてくる爽やかさが魅力的です。

アニメ×ピロウズと言えば『フリクリ』の名を挙げる方が多いと推測しますが、同作はきちんと観たことがないため、個人的には『SKET DANCE』での楽曲使用が印象に残っています。ED曲に起用されていたことは勿論、その縁を作るきっかけとなった実在のピロウズ楽曲を引用したロックフェス編は、当時大きな話題を呼んでいたとの記憶です。

 

 

 

■ よいまちカンターレ / コーロまちカド

 

 

 『まちカドまぞく』ED曲。言ってない系のミームが流行るのは人気作品のバロメーターと分析したいくらいに、2019年のヒット作であることに疑いのない本作にはご多分に洩れず僕もハマってしまいました。原作者の伊藤いづもさんによるユニークな台詞回しを前提としつつも、桜井弘明さんが監督を務めていることによる確かなギャグ演出のセンスが、作品のポテンシャルを最大効率で引き出していたとみています。

 

 子供の頃の嗜みとしてアニメを観ていた頃に『赤ずきんチャチャ』で刷り込まれ、もう少し年齢が上になってから観た『デ・ジ・キャラット』でそのお名前に意識がいき、どちらも高校生の時分に本格的にアニメ趣味に目覚めた第一次アニヲタ期よりも前の話なので、僕の中では桜井さんのギャグ演出が好ましく思うものの基礎になっていると言っても過言ではありません。現在放送中の監督作品でも、『ミュークルドリーミー』は毎週の楽しみです。サジェストに「狂気」があるほどには同作も話題になっていますが、サンリオつながりならまだ『おねがいマイメロディ』のほうがぶっ飛んでいたと思うので(テレビ東京とテレビ大阪の違いでしょうか)、個人的にはもっとはっちゃけていいと期待しています。なお、この桜井さんへの評価はその実大地丙太郎さんおよび佐藤竜雄さんへの評価とオーバーラップしている部分もあり(詳しくは「チャチャ三羽烏」で検索)、当該の三名が参加している『まちカドまぞく』が面白くないわけないんですよね。

 

 

 主要キャラクター4名が歌う本曲は原作者の伊藤さんが作詞を務めているだけはあって、しっかりと作品に即した内容でありながらリズムやフロウが重視された独特の日本語遣いに光るものを感じます。"きぶんはすんすんでも/しっぽで返事しよう"、"町内でわいわいして/犬までばうわうで/てんでめいめいで/春夏秋冬"、"かなえてよ/全開だわ タイヤ背負う いっぱい/Warning まだ 危機管理エンジョイ"、"そうそうに時はきて/たんたんと寝過ごして/とりまとりま/就寝 Routine/寝る子は育つのだ/ツノまで丈夫なの"、"逆境でもしっぽ巻かないの/急峻ただ手伸ばす瞬星/今日より少し強くなれたら..."などなど、お気に入りのフレーズでいっぱいです。藤本功一さんが手掛けたポップなメロディラインと相俟って、注意深く聴かないと何と歌っているのかがよくわからないところも楽曲に興味を持つ取っ掛かりになるので、マーケティング的にもテクニカルだと評します。

 

 

 

 shami momoの歌うOP曲「町かどタンジェント」(2019)には、メロキュアを彷彿させるピュアリーなサウンドに懐古厨マインドが刺激され、Twitterで検索して僅かながら同士が居たことを発見して喜んでしまいました。サジェストにもあるように同曲はすっかり「渋谷系」の文脈で語られがちですが、この言葉は音楽のジャンル名というより特定の時代に由来したムーブメントの名称との認識なので、その形容には少しもにょってしまうのが本音です。…と言いつつも、検索上位に来るいくつかのブログの考察を読んでいると、例示が豊富でなるほどと思わされてしまう自分もいて、そういや昔ROUND TABLEが好きだったなぁとか(名前を出している記事)、capsuleはネオ渋谷系に分類されていた頃からのファンなんだよなとか(その言及がある記事)、僕にも語れる何かがあるのではという気がしてきました。

 

 以前にも渋谷系認定に関するモヤモヤを書いた覚えがあると自ブログを検索したところ、2017の振り返りでORESAMAの音楽を紹介した文脈にてとわかり、やはり僕は音楽的な特徴だけで結び付けを行うことに抵抗を感じているようです。思えば渋谷系という言葉が流行っていた当時でさえ、音楽ジャンルとしてどのような界隈から影響を受けているのかについては下掲のWikipediaで説明されている通りの理解をしており(僕の中ではシンプルに「シティポップとラウンジの融合」との認識)、そこにカルチャーとしての時代性が反映されて初めて渋谷系なのだと捉えていました。その当時代性が失せてからは、かつて渋谷系と定義されていたサウンドはトラックメイカーがもはや当たり前に選択し得るサウンドのひとつに定番化し、ゆえに後年に於けるその類の音楽に本来は備わっていないカルチャーの用語を持ち込む必要性を感じず、それよりは純粋に音楽的な要素を主に定義される各種ジャンル名(Wikipedia画面右側の様式的起源に掲載されているもの)を割り振ればいいのではとの主張です。

 

 アキシブ系への進化を加味すれば現在でもカルチャーとしての連続性が保たれている気はするものの、僕は文化的起源のほうに記されている「1990年代、渋谷、東京、日本」を絶対視しているということでしょうね。ただ、近年の楽曲を便宜的に「渋谷系の音」なり「渋谷系テイスト」などと形容する分には特に違和感がありませんし、本曲の感想にその語が出てくることも系譜の関連付けとしては正しいと思っています。ならば抱える気持ち悪さの正体は、種々のジャンルのクロスオーバーが当たり前となった令和の今、「お洒落は渋谷・アニメは秋葉」のオールドスクールな認識で語られることに対してかもしれません。メロキュアを思い出し懐古厨マインドを刺激され…と述べておきながら、この感性は反対にアンチ懐古厨マインドに根差しているので、我ながら厄介な性格をしているなと自虐します。アーティスト単位でなら許せるけれど、ジャンルまで拡大するともやるのだろうか。明確な答えは出せませんが、Wikipediaにもソース付で引用されている荻上チキさんの指摘「文系インテリが思春期に~」は鋭くて、アーティスト単位で語る分には個人の思い出話の範疇だけれども、後年にジャンルごと総括しようとすると無自覚でも歴史修正的な意図が働き、「本当に当時そうだったか?」との疑義を挟む隙が生じる面はありますね。

 

 

 

 shami momoはシャミ子と桃によるユニット、つまりCV担当の小原好美さんと鬼頭明里さんが歌っているわけですが、両名とも2019年に爆発的に名が売れた(既に売れていたところに更なるブーストがかかった)存在なので、今から振り返っても実に豪華なコンビだと驚かされます。鬼頭さんは『鬼滅の刃』の禰󠄀豆子でもはや一般層にすら説明不要の有名声優となり(小原さんも花子役で出ています)、小原さんも『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』の藤原千花、『スター☆トゥインクルプリキュア』の羽衣ララ・キュアミルキー、そして『まちカドまぞく』の吉田優子と立て続けにはまり役を連発し、脂が乗るとはこういうことかと感心したほどです。

 

 というわけで、以降はこのお二方を軸に発展させていこうと思い立ったものの、鬼頭さんがメインキャラクターを演じ主題歌の歌唱にも参加している2019年の作品のうち、特筆大書のし甲斐を感じた『私に天使が舞い降りた!』『Re:ステージ! ドリームデイズ♪』は単独記事でレビュー済み。小原さんについても『スタプリ』は通常の主題歌が声優陣によるものではないことに加えて、現在はシリーズ全体を「アニソン+」(リストC作品)扱いにしなくなったとはいえ、依然包括的にレビューしたいシリーズであることには変わらず、本記事冒頭で説明した「ニュースタイルでの更新」で以ていつかふれる腹積もりのため除外すると、残すは『かぐや様』のみになりました。

 

 

 

■ チカっとチカ千花っ♡ / 藤原千花

 

 

 『かぐや様』特殊ED曲。以前にも曲名だけなら別作品の記事に出しており、リンク先でメインで紹介した楽曲を相手に脳内で「さいかわ頂上決戦」が繰り広げられた結果、惜しくも次点に甘んじたという文脈でした。要するに僕は本曲を「2019年のアニソンで2番目に可愛い」の高座に位置付け、最大級に絶賛しているわけです。その割には扱いが小さくない?と思った方は鋭くて、本曲の収録先は円盤の特典CDに限られているため音源としては所持しておらず、フル尺(があるのかどうかも知りません)に基く感想が僕には書けないがゆえの非単独記事化なのでした。従って、上掲のTVサイズを準拠にレビューしたいと思います。

 

 学校のチャイムをイントロにした秩序は"よーい、 よーい、/どーんだ YO!"で早々に崩され、ブリブリのシンセベースを背に始まる脱力ラップに変な笑いが込み上げてくること必至です。Bメロで俄にメロディアス且つセンチメンタルになるのもお約束ですが、束の間の真面目な歌詞は"どんな問題も/ラブ探偵チカが/解決するわ/(IQ3 でもまかせなさいー!)"で吹き飛びます。サビはこの"IQ3"とラップセクションの"(ポクポクポクポクポクポクポ)"が布石だったとわかる、「とんちんかんちん一休さん」(1975)へのオマージュが炸裂したラインが主役で、"しゅきしゅき"ないし"ちゅきちゅき"と小っ恥ずかしいフレーズが鏤められているのにもかかわらず、ネタ元の高い認知度と続く歌詞の馬鹿らしさ("書記書記初期設定"、"どきどきフォーチュンテラー")のおかげで、電波具合が絶妙に調整されているとの理解です。

 

 しかし、ここで抑えたあざとさは表題部分の"チカっと チカっと チカ千花っ"で一気に解放される上に、今度は続く歌詞に逃げられない"しゅきしゅきしょきしょき/ちゅきちゅきどきどき"でしっかりと赤面ポイントも押さえるという完璧な推移を辿ります。そのままコーラスでフェードアウトかと思いきや、カーテンの点がゴミではなく演出だったとわかる"森へお帰り♡"で強引にオチる幕引きで、「凄い曲だ」と語彙力低下で唸るしかなかったですね。笑

 

 

 

 

 以上、【2019年のアニソンを振り返る】の残弾一挙放出でした。正直まだまだ残弾はたくさんあるのですが、字数制限の壁に阻まれたためここで止めとします。イデオロジカルなところも含めて非常に自分らしい内容に仕上がったとの認識で、アニメと音楽の両方でルーツを語れたので個人的には満足です。とはいえ本記事は企画の上では子記事のひとつに過ぎないので、総括的なことは親記事に書きたいと思います。【追記:2020.12.10 親記事で更に29曲紹介しました】