今日の一曲!内田彩「Sign」―これってもしかして幸せな曲ですか?― | A Flood of Music

今日の一曲!内田彩「Sign」―これってもしかして幸せな曲ですか?―

 【追記:2021.1.5】 本記事は「今日の一曲!」【テーマ:2019年のアニソンを振り返る】の第二十一弾です。【追記ここまで】

 

 

 今回の「今日の一曲!」は、内田彩の「Sign」(2019)です。TVアニメ『五等分の花嫁』ED曲。

 

 

 前回の記事で九姉妹の楽曲を取り立てたので、この流れを継いでお次は五姉妹をといった理由での選曲です。記事タイトルの意味深な副題は内田さんの発言からの引用で、後程ソースも含めて紹介します。なお、アニソンレビューの際に前置きとして設けているアニメ語りセクションが今回は期せず長くなってしまったため(原作age/アニメsageな内容と注意喚起)、早く音楽への言及に入ってくれとお望みの方はスキップ用リンクを活用してください。

 

 

 

 『五等分の花嫁』というタイトルを初めて目にした際には、『まほらば』みたく一人の中に複数人居るタイプのラブコメかなと想像していたのですが、多胎児(五つ子)モノゆえの表題であることは作品にふれてから知りました。アニメ化前から物凄く人気を博していたとの認識で、完結済みの原作の売上を見るに名実相伴う内容なのだと思います。

 

 僕はアニメ第1期までの知識しか持ち合わせておらず、ストーリーに対する評価は現時点では出来ないと断った上で、視聴した感想としては「もう少し作画と演出を頑張るべきだったのでは…」との残念な気持ちが優勢です(後述)。どのような事情なのかはさて置き、来クールから放送開始予定の第2期は制作会社を含めてスタッフが刷新されるみたいなので、ポテンシャルに見合うだけの質で表現されれば幸いと願います。1期については作品の趣旨と五つ子の個性を提示して原作購入への導線を敷く役割は果たせていたと考え、それなりの意義はあったと建設的に受け止めるのが吉でしょう。ヒロイン皆にそれぞれ異なる魅力を感じましたが、個人的な好みでは二乃と四葉の間で揺れています。

 

 

 

 お話の冒頭で「五人の中の誰か一人と結ばれる未来」が確定している描写も巧くて、ミステリ的な鑑賞の仕方も可能なところを評価する声もよく聞きますね。これを受けて同じくTBSで放送されたアニメで例示すると、選んではならない花嫁候補を看破する内容の『この中に1人、妹がいる!』が頭に浮かびました。方向性は逆でありながら両作とも有名な「ヴァン・ダインの二十則」の三番目(上掲Wikipediaの訳では「不必要なラブロマンス~」)を、物語の根幹に位置付けることでタブーを回避する初期の設定構築に妙がある気がします。

 

 とりわけ『五等分』は犯人を突き止めるミステリの解決がそのままラブコメの終着なので(『中妹』の場合はもうワンステップ必要になる)、単に「ミステリ要素のあるラブコメ」の範疇を超えて、「ラブコメの屋台骨にミステリを据えた作品」と形容可能な点で訴求力に富むのではとの分析です。この立脚地から更に踏み込んだ考察としては、下掲の二つが参考になりました。

 

 

 

 

 どちらも原作最終話を控えてのエントリーなのでネタバレ全開ですが、その知名度の高さゆえにネットを見ていると意図せず人気投票の結果だとか誰エンドで終わったのかとかいった情報に出会してしまい、前述した「僕はアニメ第1期までの知識しか持ち合わせておらず」も実は正確な言い分ではないというくらいには元より真っ新な状態で本作に向き合えていないため、開き直ってがっつり目を通してしまった次第です。笑

 

 これらを読むにアニメと漫画という媒体の違いによる表現技法の差は当然考慮すべきとの視座に立っても、やはり原作のほうが作画が安定していて演出にもこだわりと機微を感じさせるものがあると受け取れます。検索するとアニメへのネガティブな意見は作画面に集中しておりそれもわかるとはいえ(個人的には崩壊云々よりも画的に淡白な点で当時代性に疑問符)、その実より問題なのは後者の演出面だったのではと考えさせられました。アニメならではの好ましい外連味に欠けると言いましょうか、場面が事務的に切り替わっていくせいでシーン同士の繋ぎが単調になり(特に林間学校編からの違和感が大きい)、声の演技によるリカバリーも追いつかずにキャラクターの感情表現までもが巻き添えを食って、総じて展開が起伏に乏しい印象を受けたと記憶しています。

 

 

 

 またも他者の感想を引っ張ってきますと、上掲エントリーの内容は僕が当時率直に思っていたことに近いです。この手の感想が出てきてしまう原因が監督の桑原智さんの実力不足かというと、今期アニメの『安達としまむら』を観る限り決してそうとは思えないので、予算や人員の都合上細部まで手を加えられなかったのかなと推測してフォローします。もっと邪推を披露すれば、スポンサーが作品の人気の程を見誤ったことがそもそもの発端ではないでしょうか。2期(「五等分の花嫁∬」)はこれら作品を取り巻く状況に鑑みてからの制作ですし、新たに監督を務めるかおりさんに関しては『ゆゆ式』と『えんどろ~!』で良さを知っているため、(コロナ禍というイレギュラーはあれど)高品質のアニメ化になるのではと期待しています。

 

 

 

 

 原作未読組のくせに原作厨じみた文章が仕上がって我ながらびっくりのアニメ語りは以上で、ここからが漸くの音楽レビューです。OP映像がまさにラブコメアニメ然とした対外的にも解りやすいポップなつくりだったのに対し、梅木葵さんが手掛けたED映像は、【原作寄りのタッチで描かれた人物、赤と白を基調とする背景および色彩の設計、随所に女性らしさが滲むプロップ使い】で、本編のコメディ性からは独立した鮮明さを覚えてお気に入りでした。肝心の楽曲も映像から伝ってくる美意識に沿った切なさと強かさを共に携えていて、物語の結末に想いを馳せるという意味でもメタ的に各話の終わりにという意味でも、エンディングに相応しいサウンドスケープだったと絶賛します。

 

 

 本曲をレビューする取っ掛かりとしてジャンルを考えてみた際に、一言で収まりの好いものがないなと思って他人の感性を当てにしてみたところ、「R&B」が出てくるのが自分の感性に於いては意外でした。勿論これは源流のブラックミュージックに忠実なものを指しているわけではなく、所謂「コンテンポラリー・R&B」延いては「和製R&B」の文脈から出てきたものだと推測します(以降の使用もこれが前提です)。確かにビートメイキングにR&Bのファクターがあるのは否定しませんし、単に切ないポップスで片付けるよりはR&Bに傾けたほうがお洒落なサウンドへの形容としては正道でしょう。ただ、邦楽界にR&Bという言葉が入ってきて既に長い時間が経過しているからか、同ジャンルへの捉え方は銘々でかなり異なるのではとギャップを感じました。

 

 ここで僕の立場というか認識を明らかにするために、当ブログ内を「R&B」で検索してヒットした5つの記事から考えていきます。普段好んで聴くジャンルではないため言及自体が少なく典型的なものを例示出来なくてすみませんが、最初に提示すべきものとして分かりやすいのは①この記事にある以下の記述です。

 最初に聴いた時の率直な感想は「(人間活動前の)宇多田ヒカルの曲みたいだな」というものでした。笑 あるいは安室奈美恵。邦楽R&Bっぽいというか、正統派歌姫の楽曲らしいなと思ったということです。

 年代に直せば90年代後半~2000年代前半頃にはヒット間違いなしのサウンドを指し、これが自分の中でR&Bの基本理解となっています。宇多田ヒカルに関しては、②2010年代の楽曲に原点回帰的な部分を見出した際にもR&Bで形容していました。上記の言い換えとしては、③この記事の「英語詞が絡む部分はR&B的或いはディーバ系とでも言いたくなるような舶来っぽいメロ」もあります。左記と同じ作品からの④別楽曲のレビューにもR&Bが登場し、これについては制作サイドのライナーノーツ(『Tokyo 7th シスターズ COMPLETE MUSIC FILE』)でも、下掲する歌い手のセルフレビューでもR&Bで形容されているため、自他の認識が一致しているより確からしい例です。

 

 

 上掲記事には「少し昔の日本のR&Bな感じもあって」との核心的な記述があり、自分の3歳下とはいえほぼ同年代の人間はやはり近しい捉え方をしているということの証左になればと思いリンクしました。ここでは「少し昔の日本」が重要な視点で、⑤アイドルソングの変遷を語る文脈で書いた『一昔前なら「R&B要素入れとけ」的な発注だった部分』とは、まさに同じ目線から出た言葉です。①~⑤を統合して結論めいた文章に仕立てると、R&Bを音楽的に特徴付けるトラックメイキングの作法は実際あまり関係がなく、ミレニアムイヤー±5年頃に洋楽のヒットチャートから輸入されてきた格好良い音楽(非バンドサウンドでソロ歌手向けの音作りが顕著)を、J-POP(ポップ)と定義するのは何か違うからといった理由で、感覚的にそのままR&Bが用いられていたのだろうと推測します。

 

 

 

 

 話を「Sign」に戻しまして、同曲のレビューに「R&B」が使われている例をメディアと個人からそれぞれ紹介します。ただし、両者とも後ろに「テイスト」を付けており、明確にR&Bに限定しているわけではないことに留意してください。更に「ディスコ」ないし「ダンス」を引き合いに出している点でも共通しており、以降でふれる本曲の成立過程を考慮すればこれも充分に理解は出来ます。しかし、それらビート構築ないしリズム隊の部分よりもフォーカスするべきは、抒情的なギター使いとアイドル歌謡的なメロディラインだと僕は考えるので、本曲のR&B的なファクターはアクセントに過ぎないとの理解です。

 

 

 

 従って、先掲した二つのレビューよりも書き手曰くの「ギター目線」が光るこのレビュー(というかアナリーゼ)のほうが読んでいて得心がいきました。「一昔前のアイドルっぽい曲」との言にも首肯するほかありません。別に「R&Bと形容するのはおかしい!」と主張したいわけではなくて、何ならサウンド的に似通っている④の楽曲は問答無用でR&B認定なのに、本曲には待ったをかけるのは正直ただの匙加減かもしれないとの自覚はあります。

 

 それでも理屈を付けて説明しないと強固なレビューにならないので、なぜ本曲にR&Bを除外したい心理が働くのかを自己分析してみたところ、楽曲のテーマ性に原因があるとの解を得ました。歌詞解釈次第ではありますが、①~④はベクトルとしては暗い(別離もしくは抑圧がバックにある)内容です。本曲も曲調に引き摺られてしまうと不安が優勢に響いてくるものの、素直に歌詞を読み解いていくと非常に幸せな内容であると、俗っぽく言えばハッピーウェディングソングであるとわかります。この解釈のズレは歌い手の内田さんもレコーディング時に悩んだようで、その詳細については以下のリンク先をご覧ください。本記事の副題「―これってもしかして幸せな曲ですか?―」もここからの引用です。

 

 

 

 作詞者である金子麻友美さんから「幸せな詞です」とのお墨付きを得ても、その場に居たスタッフやディレクターはそれぞれ異なる捉え方をしていて、聴き手によって解釈が割れる楽曲であることが、内田さんに難しいボーカルディレクションを迫ったと受け取れます。この流れを経てインタビュアーの口から出た「マリッジブルーとかいう言葉もあるし」が、当座のR&Bか否か問題を解決に導くとても重要なキーフレーズです。説明するまでもないでしょうがこの場合の「ブルー」は「憂鬱」の意で、R&Bを略さずにリズム・アンド・ブルースとした場合の「ブルース」も元を辿れば「悲しみ」の青色に由来しています。

 

 近年のR&Bに於いて「アンド・ブルース」の部分は絶対的に必要というわけではなく、ブルーノートスケールまたはブルース進行じゃなければいけないと指摘する人も少ないでしょう。楽典的に自由な解釈や変更が許容されるようになってきてはいても何処かに「ブルース」の概念は残したいと考えた場合に、手っ取り早いのは歌う内容にそれを反映させることです。メランコリックな感情を歌詞やメロディに載せたほうが、「リズム」が現代化していようがR&Bらしさを出しやすいと言えます。

 

 

 ここまでの情報を総合して僕が立てた仮説は次の通り、「本曲を聴いて結婚への不安を優位に感じ取った人ほどR&Bで形容したくなる」です。造語で表せば、「リズム・アンド・マリッジブルース」の理解。僕も「Sign」の内容を手放しで明るいものとは思っていませんが、サビの歌詞"きっと あの日から 決まってた この瞬間 Destiny/重ねた時と 未来を愛そう/もう どうしても あなたなの 限りない想い/ベルは 鳴り響く いつまでも"は、幸せの境地から過去を振り返った書き方だと感じます。回想形式で語られる本作はまさに"この瞬間"からの幕開けとなるため、その時点での絶頂を強く感じ取った僕のようなロマンチストは、本曲を語る際にR&B要素を重視しない(少なくとも「ブルース」は感じない)のだろうとの結論です。

 

 不安が優位な人はおそらくリアリストであるとの推測で、確定した過去である"重ねた時"は愛せても、"と 未来を"と続けざまに不確定のものを等価で提示されると、「でも将来のことはわからないよね」と冷静になるのでしょう。現実なら僕もこういうタイプですし、寧ろこの手の自制心を有していたほうが結果的に結婚生活は上手く運ぶとの理解ですが、フィクションなら"いつまでも"を文字通りに受け取っても罰は当たりますまい…と思いたいのです。笑 とはいえ、本曲は何処を切り取っても切なさが滲んでいるというのが聴いたままの事実なのでこの点はどう説明するんだと突っ込まれたならば、先述した「抒情的なギター使いとアイドル歌謡的なメロディライン」がこれを担っていると返し、憂鬱に振れることなく不安と期待が綯い交ぜになった乙女心を表現していると記述します。

 

 

 

 再びReal Soundさんの文章を借りてきますと、スタジオ音源とライブ音源の双方に「チル」が宛がわれていることには同意で、主旋律の動きはともすると地味に聴こえるかもしれません。これはミニマルなフック("一つずつ 重ねてゆく 二人だけの 小さな輝き"~)がリフらしく振る舞って各間奏部を埋めていくことに由来した感想との理解ですが、続くAメロとBメロも比較的落ち着いた音運びになっているため一言で表したいならば正しいワードだと思います。ただ、AとBに関しては歌詞上で括弧書きになっているコーラスパートのメロディまでもを考慮すると、サビへの布石となるようなメロディアスな趣を次第に醸し出しているとわかるので、地味なだけで終わらないことは予期出来るようになっていると補足しておきましょう。チルなナンバーに於いても多くの人に響くキャッチーさを捨て置かないのは、アイドル歌謡的なマナーではないでしょうか。

 

 

 一歩一歩に重みのあるヴァージンロードでの足取りを思わせる旋律"それが永遠の合図"に誘われて登場するサビは、ここまでのタメを解放した高いメロディ性でもって一気にセンチメンタルな感情を発露させてきます。先にリンクした「ギター目線」のブログにはコード進行の分析があってわかりやすいため再度引用しますと、「この曲はなんとなくどっかの音を残しがち!さがってきてあがっていく」で表されているラインに芸術性を覚えたというツボです。紆余曲折を経てから上がっていくところに抗えない運命に導かれた感が宿っていて素晴らしく、"きっと あの日から 決まってた この瞬間 Destiny"の意味内容にこれほど適したメロディはないだろうと脱帽します。

 

 このように静から動への鮮やかな移行が本曲の美点だと思うのですが、1番と2番ではフック~サビまでたっぷり使って表現してきたこの流れを、Cメロではそれ単体で大きな変貌を遂げるドラスティックな展開を見せてきて、フルで聴いた時には衝撃を受けました。2番サビの後ゆえに便宜上Cメロと表記したものの正確にはフックの変形で、入りの低さに驚いて戸惑っているうちに"切ない涙"の変化で意表を突かれ、一層の切なさを帯びながら"出会った場所 全てが繋がる"の美メロに本気でドキっとさせられて(裏のベースラインも格好良すぎる)、情緒纏綿なアコギに全て持っていかれるという楽想からは、作編曲者である松坂康司さんのハイセンスなトラックメイキング術が窺えます。加えて、全体的にどうしてもアコギに意識がいきがちになりますが、ラスサビ終盤のエレキのエモさも聴きどころです。

 

 

 最後に「以降でふれる」として投げっぱなしだった本曲の成立過程について語りますと、前掲した内田さんへのインタビューをソースとするに本曲は元々2ndシングル『So Happy』(2018)のc/w候補として存在していたそうで、原形はもっとダンサブルなナンバーだったみたいです。『五等分』へのタイアップを機に練り直された結果雰囲気がガラっと変わったとの本人談ですが、この時の名残(わかりやすいのは1番Aメロ前のスクラッチ音)があると考えれば、「ディスコ」や「ダンス」での形容も正鵠を得たものになりますね。となると、原形はもしかしたらもっとR&B色が強かったのかもしれないという可能性も出てくるので、僕の理解のほうがひねくれているのでは…?と自虐して〆るとましょう。笑

 

 

 

 

 以上、内田彩「Sign」のレビューでした。アメブロのリンクがカード化可能になってからは積極的に外部サイトの紹介も行っているのですが(引用元が明示しやすいため)、本記事では特に多めに挿入して先行研究で補強していく論文スタイルで書いてみた次第です。去年の冬アニメの主題歌ゆえにレビューのタイミングとしては後発組になってしまうので、せっかくならば情報の集約化を図ったほうが有益だと判断してこの書き方になりました。「Sign」の魅力が伝わりやすいように努めたとはいえ、不愉快な引用になっていたらすみません。

 

 【2019年のアニソンを振り返る】企画を終わらせようと目下ピッチを上げて選曲を行っていますが、これまでのラインナップを見るとキャラ名が先行していない声優さんの楽曲をメインに立てるのは意外にも本記事が初でした。『ラブライブ!シリーズ』の楽曲で内田さんの声には大いに馴染みがあるとは言っても、歌手としての内田さんがリリースした楽曲にふれるのは本曲が初だったため、新鮮な気持ちでレビューに臨めたのも自分にとってはプラスです。厳密には『お前はまだグンマを知らない』で「So Happy」を聴いたことがあったものの、流れる時間が短くて良し悪しを判断するまでに至らなかったんですよね。それでも【2018年のアニソンを振り返る】の補遺で曲名を出しているのは、15秒程度のEDを聴いただけで可としていたからで甚く不十分なものです。ならば今が好機と同曲をYouTubeで聴いてみたらこれまた良曲で、アルバムにも興味が湧いてきました。