ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

1728年、船が難破して半年後にカムチャツカに漂着した11歳の少年ゴンザは、ペテルブルグで21歳でしぬ前に露日辞書をつくりました。それを20世紀に発見した日本の言語学者が、訳注をつけて日本で出版した不思議な辞書の、ひとつずつの項目をよんだ感想をブログにしました。

 日本語の五十音をキリル文字でどうつづるか、には、いくつかの案があって、wikipediaには「日本語のキリル文字表記」という項目まであって、何種類かの五十音図がでている。

 いくつかの案のちがいは、おもに子音のつづり方のちがいで、母音については(ア段а,я)(イ段и,й,ь,i)(ウ段у,ю)(エ段е,э)(オ段о,ё)にまとまっている。

 

 ところが、ごんざは日本語の母音をキリル文字でつづる時に「ы」(y)という文字をつかっていた。

 ほかの母音とちがって、先行する子音によって、つかう頻度が全然ちがう。

 たとえば、「г」(g)、「д」(d)、「т」(t)と一緒にはまったくつかわれない。

 

 「ы」(y)はあいうえおのどれにあたるんだろうか。

 

1)現代日本語の二重母音の「ウ段+い」が「ы」に、「くい」が「квы」に、「ぐい」が「гвы」になっている例

『дзубыиръ』『づぶぃいる』(づぶいいる)(=づぶりと水中にはいる)

『катабычмиръ』『かたぶぃちみる』(かたぶいちみる)(=かたむいてみる)

『куродзытатъ』『くろづぃたと』(くろづいたと)(=ねついた)

『нымЕ』『ぬぃめ』(ぬいめ)(=縫い目)

『куцны』『くつぬぃ』(くつぬい)(=靴縫い)

『вары』『わるぃ』(わるい)

『фуры』『ふるぃ』(篩)

『сыква』『すぃくゎ』(すいか)

『сытафто』『すぃたふと』(すいたふと)(=すきな人)

『фытатъ』『ふぃたと』(ふいたと)(=吹いた)

『ацы』『あつぃ』(あつい)

『цытатъ』『つぃたと』(ついたと)(=突いた)

『квы』『くうぃ』(くい)(=杙)

『квыторъ』『くうぃとる』(くいとる)

『дангвы』『だんぐうぃ』(だんぐい)(=乱杙)

 

2)語末が「ц」(ts)である名詞に助詞「に」がつくと『ы』になる例。

『фтоцынасъ』『ふとつぃなす』(ふとつになす)(=ひとつにする)

『фтацыкиръ』『ふたつぃきる』(ふたつにきる)

 

3)語末が「к」(k)である名詞に助詞「に」がつくと『вы』になる例。

『кяквыавъ』『きゃくうぃあう』(きゃくにあう)(=客にあう)

『яквытацъ』『やくうぃたつ』(やくにたつ)

 

4)現代日本語の「す」「つ」に母音がつづくと「сы」「цы」になる例。

『сыетатъ』『すぃいぇたと』(すえたと)

『сыюръ』『すぃゆる』(=すえる)

『цыюнаръ』『つぃゆなる』(=つよくなる)

『цые』『つぃえ』(=杖)

「ロシア語」(ラテン文字転写)  「村山七郎訳」         『ごんざ訳』

 

「Злопамятный」(zlopamyatnyi)「永く悪しき記憶をもつところの」『わるかおぼいぇん

 

 みだし語は

「Зло」(zlo)(わるい)

「памят」(pamyat)(記憶)

「ный」(nyi)(の)

という構造になっているので、ごんざは『わるかおぼいぇん』という訳語をかいたけど、これは(わるい記憶の)という意味であって(記憶力がわるい)という意味ではない。

 

岩波ロシア語辞典 「злопамятный 執念深い、いつまでも恨みを忘れない。」

 

 このみだし語の否定形がちょっとちがう形でごんざの辞書にでてくる。

 

「непамятоЗлобiе」(nepamyatozlobie)「侮辱を記憶していないこと(執念深くないこと)」

                    『おぼいぇんわるかこ

「непамятоЗлобный」(nepamyatozlobnyi)「執念深くないところの」

                    『おぼいぇんわるかこ

「непамятоЗлобствую」(nepamyatozlobstvuyu)「執念深くしない」

                    『おぼいぇんわるかこ

 

 (執念ぶかい)が『わるかおぼいぇん』なら、その否定形は(わるかおぼいぇんなか)(わるい記憶のない)(=執念ぶかくない)でなければならないはずだ。

 

 (執念ぶかい)という否定的な意味のことばの否定形(執念ぶかくない=さっぱりした)にごんざはとまどって、変な訳語をかいてしまったのだとおもう。

 村山七郎注には何もかいてないけど。

「ロシア語」(ラテン文字転写) 「村山七郎訳」 『ごんざ訳』

 

A「недовареный」(nedovarenyi)「煮えていない」『にいぇん

B「недовариваю」(nedovarivayu)「よく煮ない」 『いぢぇん』

 

 鹿児島県立図書館の原稿コピーをみたら、ごんざははじめにAに(и)(i)(い)とかいてから、かさねて何かかいたものの、よみにくくなってしまったので2本線でけして、うしろに『нiентъ』(nient')(にいぇん)(にえてない)とかいていた。

 

 最初にかこうとしていたのはたぶん(иджентъ)(idzhent')(いぢぇん)(ゆでない)だろう。

 

岩波ロシア語辞典 「недоварить 十分に煮ない、生煮えにする。」

 

 Bは人を主語とする動詞だ。

 Aは露和辞典にでていないけど、モスクワででた和露辞典で「なまにえ」をひくと、

 

「namanie 生煮え:-no недовареный;сыроватый」

 

このことばがでてくる。

 

 Aは料理を主語とする形容詞なので、訳語は(いぢぇんと)(ゆでない)よりも『にいぇん』(にえてない)の方がいいとかんがえて、ごんざはかきかえたんだろう。

 

 ロシア人が日本料理をたべると(にえてない)と感じることがおおいだろうから、このことばはロシア人が日本にいって食事する時に役にたつことばだ。

 形容詞のみだし語をごんざが現代日本語の「名詞 + の」(たとえば「魚の」)のように訳す場合、ごんざの訳語には変形がたくさんあるものの、原則的には

 

A「母音でおわる名詞 + ん」(たとえば『おとこん』『отоконтъ』)

B「子音でおわる名詞 + の」(たとえば『ごくらくの』『гокъракнотъ』)

 

だとおもっていた。

 

 ところが「ん」と「の」の区別のルールはそんなに単純ではないことがわかった。

 

A-1 「и」「й」「ь」(i) 現代日本語のイ段にあたる母音でおわる名詞には「のと」がつく

 

「дымный」(dymnyidymnyi)「煙の多い」『けむいの』кЕмуинотъ

 ほか28例

 

「млечный」(mlechnyi)「乳の」『ちちん』чичинтъ

 ほか3例

 

「лекарственный」(lekarstvennyi)「薬の」『くすい』ксуйнотъ

 ほか21例

 

『 - йнтъ』 0例

 

「Змiевый」(zmievyi)「蛇の」『ふぇび』фебьнотъ

 ほか67例

 

『 - ьнтъ』 0例

 

ただし、「ы」(y) 「うぃ」でおわる名詞には「ん」がつく。2例

 

「забавный」(zabavnyi)「おかしい」『ふぁらぐるぃ』фарагърынтъ

「клейный」(kleinyi)「膠・糊付けの」『そくうぃん』соквынтъ

「ロシア語」(ラテン文字転写) 「村山七郎訳」 『ごんざ訳』 村山七郎注

 

A「пелена[пелены]」(pelena) 「襁褓(むつき)」『ふたし』

            村山七郎注 cf. フタシは鹿児島方言ヒタシ「襁褓」のこと。TZH.

 

B「постилка」(postilka)    「むつき」    『ふたし』

       村山七郎注 cf. ヒタシ 襁褓.むつき.鹿児島.フタシ 伊豆三宅島 TZH.

 

 村山七郎の「むつき」も、ごんざの『ふたし』も何のことかわからず、しらべたら(おしめ)(おむつ)のことだった。

 

岩波ロシア語辞典 

A「пеленка おしめ、むつき、産着。」

B「постилка 1敷くこと;寝床をつくること。2寝床用のわら、敷きぶとん。」

 

 ロシア語のみだし語はAが布製、Bがわら製のようだ。

 18世紀はじめの薩摩の町民であるごんざの『ふたし』は、わら製だったとおもうし、ごんざがロシアでみたものもわら製だったとおもう。

 

「ロシア語」(ラテン文字転写)    「村山七郎訳」  『ごんざ訳』

 

  「троеуголныи」(troeugolnyi)   「三角の」   『みかどん

  「треуголникъ」(treugolnik')   「三角形、三角形のもの」『みかどん

「четвероуголныи」(chetverougolnyi)「四角の」  『よかどん

  「пятiуголник」(pyatiugolnik)   「5角形」  『いつかどん

  「пятiуголныи」(pyatiugolnyi)   「5角の」  『いつかどんとん

 「шестiуголыи」(shestiugolyi)   「六角形の」 『ろっかく

 「седмiуголныи」(sedmiugolnyi)  「7角の」  『ななかどん

 

 ごんざの辞書に登場する多角形。これで全部だ。

 ごんざは無難に訳しているようにみえるけど、みだし語のえらび方が気になる。

 

 どうして8角形がなくて7角形があるんだろう。

 7角形の道具や7角形のへやはつくりにくいし、つかいにくいとおもう。

 聖書をしらべてみてもでてこない。

 

 「7角形」というのは実物の形ではなく、図案だろう。

 

 正7角形ではなく、七芒星(しちぼうせい)(7つの先端がある星)(「☆」五芒星)かもしれないとかんがえたけど、七芒星はсемиконечная звезда(semikonechnaya zvezda)(7つの先端がある星)とよばれるらしいから、ちょっとちがう。

 

 こんなことばを辞書にのせても、日本語を学習するロシア人がつかうことはないとおもう。

 現代日本語の「つ」にあたる音をキリル文字でどうつづるか、ごんざはまよっていたらしい。

 

「ロシア語」(ラテン文字転写)「村山七郎訳」『ごんざ訳』

 

「вожду」(vozhdu)      「連れていく」『つぃゆる』

 

 鹿児島県立図書館の原稿コピーをみたら、ごんざははじめに(цу)(tsu)(つ)とかいてから、(у)(u)(う)にかさねて(ыюръ)(yyur')(ぃゆる)をかいていた。

 

「вкупЕ」(vkupe)      「一緒に」 『ふとつぃ』

 

 鹿児島県立図書館の原稿コピーをみたら、ごんざははじめに(фтоцу)(ftotsu)(ふとつ)とかいてから、(у)(u)(う)にかさねて(ы)(y)(ぃ)をかいていた。

 

「затвердЕваю」(zatverdevayu)「強くする」 『つぃゆなす』

 

 鹿児島県立図書館の原稿コピーをみたら、ごんざははじめに(цу)(tsu)(つ)とかいてから、(у)(u)(う)にかさねて(ыюнасъ)(yyunas')(ぃゆなす)をかいていた。

 

「клею」(kleyu)      「膠着、糊付けする」 『つぐ』

 

 鹿児島県立図書館の原稿コピーをみたら、ごんざははじめに(цыгъ)(tsyg')(つぃぐ)とかいてから、(ы)(y)(ぃ)にかさねて(у)(u)(う)をかいていた。

 

「кубышка」(kubyshka)   「壺」     『つぼ』

 

 鹿児島県立図書館の原稿コピーをみたら、ごんざははじめに(цы)(tsy)(つぃ)とかいてから、(ы)(y)(ぃ)にかさねて(убо)(ubo)(うぼ)をかいていた。

 

「привкореняю」(privkorenyayu)「根付ける」 『つぃゆする』

 

 鹿児島県立図書館の原稿コピーをみたら、ごんざははじめに(цу)(tsu)(つ)とかいてから、(у)(u)(う)にかさねて(ыюсуръ)(yyusyr')(ぃゆする)とかいていた。

 

 日本語をキリル文字の(ы)(y)でかくか、(у)(u)でかくか、ごんざがまよっていたのは、子音(ц)(ts)に後続する場合と、子音(н)(n)に後続する場合がおおい。

 この2つの子音は調音点がちかい。

 何か関係があるだろうか。

「ロシア語」(ラテン文字転写)「村山七郎訳」『ごんざ訳』

 

「надЕюся」(nadeyusya)   「着られる」 『かくる』

 

岩波ロシア語辞典 「надеться 1(衣服・履物などが)ぴったり合う。2(受動)надевать。」

 

 村山七郎訳は、岩波ロシア語辞典の「2(受動)」をとって「着られる」になったんだろう。

 そうすると、ごんざ訳の『かくる』は(衣服がかけられる)ということなんだろうか。

 

ブルガリア語辞典 松永緑彌 大学書林

「надявам се 希望する、期待する。」

 

 ブルガリア語の「се」(se)はロシア語の「ся」(sya)とおなじ再帰の意味だ。

 

 みだし語はロシア語の新約聖書にもでてきて、意味は(衣服)とは関係なく「確信する」ということのようだ。

 

 現代ロシア語ではつかわれなくなってしまったけど、「надежда」(nadezhda)(希望)という派生語がのこっていて、「надежда」(nadezhda)は女性の名前としてよくつかわれる。

 

 ごんざの『かくる』も(衣服がかけられる)のではなく、(信じて託する)というような意味だとおもう。

「ロシア語」(ラテン文字転写)「村山七郎訳」  『ごんざ訳』

 

「мостъ」(most')        「橋」     『ふぁし』

 

岩波ロシア語辞典 「мост 1橋;結びつき(接触・移行)に役立つもの、なかだち、橋渡し。2(板・丸太などで作った)床、板張り。」

 

「мостю」(mostyu)       「橋板を敷く」  『ふぁしする』

 

岩波ロシア語辞典 「мостить 1(道路・広場などを石・砂利などで)舗装する。」

 

「умащаю」(umashchayu)    「石を敷きつめる」 『ふぁししく』(橋しく)

「умощенныи」(umoshchennyi) 「石を敷きつめたる」『ふぁしした

 

岩波ロシア語辞典 「умостить 1一面に舗装する。」

 

 ごんざは形態素解析が得意だから「мост」(most)(橋)がつづりにはいっているみだし語には(橋)がはいった訳語をかく傾向がある。

 

 でも、ロシア語の「мост」(most)は下が空間であるとはかぎらない、おいてある、しいてあるものもふくまれるので、(敷板)とでも訳した方がいい場合もある。

 

 レザノフの辞書の善六はごんざのような形態素解析マニアではないから、つぎのような訳語をかいている。

 

0487 Вымостить деревомъ 木材で舗装する shikiidashimashtemo 敷きいだしましても(?)

 

 レザノフの辞書の日本版の著者は善六の訳語の shikiidashimashtemo の意味がわからなかったようだけど、これは(敷板しましても)だ。

「ロシア語」(ラテン文字転写)「村山七郎訳」  『ごんざ訳』

 

「Одождяю」(odozhdyayu)  「雨を降らせる」 『あめふらする』

「Одождитель」(odozhditeli) 「雨をふらせる人」『あめふらするふと』

 

 ごんざの辞書をつかうロシア人が「雨をふらせる」という日本語をつかう機会に遭遇するとはおもえない。

 なんでこんなことばが辞書にはいっているのか。

 

 みだし語とおなじことばは聖書にでてこないけど、「雨をふらせる人」のことは「神様」の意味で何度もでてくる。

 

旧約聖書 エレミヤ書14章22節 聖書協会共同訳

 

Есть ли между суетными богами языческими производащие дождь?

他の国の空しい神々の中に、雨を降らせる者があるでしょうか。

 

или может ли небо само собою подавать ливень?

それとも、天が夕立を降らせるのでしょうか。

 

не Ты ли это, Господи, Боже наш? 

私たちの神、主よ、それはあなたではありませんか。

 

На Тебя надеемся мы; 

私たちはあなたを待ち望みます。

 

ио Ты творишь все это.

あなたがこれらすべてをなさるからです。