「ニコライ・レザノフ『露日辞書』にある語義不明の箇所について」4「のぞきみ」  | ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

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1728年、船が難破して半年後にカムチャツカに漂着した11歳の少年ゴンザは、ペテルブルグで21歳でしぬ前に露日辞書をつくりました。それを20世紀に発見した日本の言語学者が、訳注をつけて日本で出版した不思議な辞書の、ひとつずつの項目をよんだ感想をブログにしました。

 「ニコライ・レザノフ『露日辞書』にある語義不明の箇所について」浅川哲也 2017という論文の記述の中に、それはちがうんじゃないか、とおもう点がいくつかあった。

 

 まず、ごんざから。

 

「ロシア語」(ラテン文字転写)「村山七郎訳」  『ごんざ訳』   村山七郎注

 

「выглядаю」(vyglyadayu)「こっそりのぞく」『かたぶぃちみる』かたぶいて見る

 

 「こっそりのぞく」というと、私は鍵穴や節穴や障子の穴からのぞくシーンを想像するのだけど、ごんざは半びらきのドアとか比較的ひろい空間の陰から体をかたむけてのぞくシーンを想像して『かたぶぃちみる』(かたむいてみる)という訳語をかいた。

 

 レザノフと辞書をつくった善六もごんざとおなじように(穴派)ではなく(かたむき派)だったようだ。

 おなじみだし語につぎのような訳語をかいている。

 

0434<выглянуть><覗く>Мангатимимаштемо.

 (Mangatimimashtemo.)「慢勝見ましても」(曲がってみましても)

 

 「慢勝」ということばをはじめてみた。

 

日本国語大辞典 「まんがち 人をさしおいて、われ勝ちにふるまうこと。身勝手なこと。また、そのさま。」

 

 「こっそりのぞく」とは意味があわない。

 日本版の(曲がってみましても)はごんざの訳語とおなじような意味で、これを「まんがち」に訂正する必要はない。

 音韻面からいっても「g」の前に「n」がはいる例はほかにもあるので問題ないとおもう。

 

 つぎの項目もおなじだ。

 

0915<Заглядывать><覗き見る>Мангатемимаштемо.

 (Mangatemimashtemo.)「まんがち見ましても」(まがって見ましても)

 

ごん:「выглядаю」(vyglyadayu)の「глядаю」(glyadayu)は『みる』ということだとわかるんだけど、どういうふうにみることなの?

ボグ:こういうところから、こういうふうにして、こっそりみることだ。

ごん:『かたぶぃちみる』んだな。