ごんざの「おもう」 | ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

1728年、船が難破して半年後にカムチャツカに漂着した11歳の少年ゴンザは、ペテルブルグで21歳でしぬ前に露日辞書をつくりました。それを20世紀に発見した日本の言語学者が、訳注をつけて日本で出版した不思議な辞書の、ひとつずつの項目をよんだ感想をブログにしました。

 「ゴンザ資料の筆録者」駒走昭二 という論文の中で、ごんざのロシア語力があやしいことの例として、28個のロシア語の語彙があげられていて、そのうちの5語については解説がかいてある。そのうちの5番目。

 

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 (5)「чаянiе」(『簡単な報告Ⅱ』3頁15行目)

 この語は「希望、期待」を表し、『簡単な報告Ⅱ』では、直後の「живота」と結びついて、「生きる望み」という意味で用いられていると考えられる。一方、『新スラヴ日本語辞典』にも同じ語形で見出しが立てられているが、その日本語訳は「オムコト/思うこと」としか訳されていない。訳語としてまったく不適当というわけではないが、「чаянiе」の意味を正しく理解していれば、「希望、期待」という日本語が翻訳者の語彙になかったとしても、「望む」「頼む」などの語を用いた訳は可能だったはずである。現に、同辞書には「изволенiе(希望)」に対して「нозомкотъ(ノゾムコト/望むこと)」、また「умоленiе(切願)」に対して「таномкотъ(タノムコト/頼むこと)」という訳がなされており、」翻訳者の語彙の中に「望む」「頼む」という日本語が備わっていたことは明らかである。翻訳者は「чаянiе」というロシア語の意味を正確には理解していなかったと考えるのが自然であろう。

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 たしかにごんざの『おむこ』は意味がひろすぎるんじゃないか、とおもう。

 ごんざの辞書にすごくたくさんでてくる。

 

「ロシア語」(ラテン文字転写)    「村山七郎訳」    『ごんざ訳』   

 

「гаданiе」(gadanie)        「占なうこと」    『おむこ

「дума」(duma)           「考え」       『おむこ

「мнЕнiе」(mnenie)         「考え」       『おむこ

「надежда」(nadezhda)       「希望」       『おむこ

「намеренiе」(namerenie)     「意図」       『おむこ

「непщеванiе」(nepshchevanie)  「意見」       『おむこ

「помыслъ」(pomysl')        「考えること」    『おむこ

「умысль [☆умыслъ]」(umysli)  「目論むこと」    『おむこ

「упованiе」(upovanie)       「強い期待、強い希望」『おむこ

「чаянiе」(chayanie)         「希望、期待」    『おむこ

 

 頭の中ですることは(信じる)でも(ねがう)でも何でも『おむ』になっている感じだ。

 ごんざの語彙はたしかにすくない。

 

 でも「чаянiе」の訳語に(ノゾムコト/望むこと)や(タノムコト/頼むこと)をつかわなかったのは、(ノゾム)や(タノム)が頭でかんがえたり心で感じたことにもとづいて相手にはたらきかけることであるのに対して、「чаянiе」は頭の中だけで完結することだとごんざがかんがえたからだとおもう。