ごんざの「薬」 | ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

1728年、船が難破して半年後にカムチャツカに漂着した11歳の少年ゴンザは、ペテルブルグで21歳でしぬ前に露日辞書をつくりました。それを20世紀に発見した日本の言語学者が、訳注をつけて日本で出版した不思議な辞書の、ひとつずつの項目をよんだ感想をブログにしました。

「ロシア語」(ラテン文字転写)  「村山七郎訳」  『ごんざ訳』 

 

1「врачую」(vrachuyu)       「治療する」   『いしゃする』

2「лечу」(lechu)         「治療する」   『きんそんする』(治療する)

 

3「врачь」(vrachi)         「医者」     『いしゃ』

4「лекарь」(lekari)       「医師」     『いしゃ』

 

5「врачевство」(vrachevstvo) 「医療」     『くすい』

6「лекарство」(lekarstvo)    「薬」      『くすい』

 

 1,3,5が同系統のことば、2,4,6が同系統のことばで、1,2は動詞、3,4は動作主、5,6は名詞だ。

 

 5の村山七郎訳とごんざ訳がちがう。「医療」なのか『くすい』(薬)なのか。

 

 ロシア語の「-ство」(-stvo)という接辞は抽象名詞をつくるのにつかわれることがおおいので、単語全体の意味をしらなくても、前半の意味がわかれば、それを抽象名詞化することで意味を推測できる。

 「врачь」(vrachi)も「лекарь」(lekari)も「医者」という意味だから、それに「-ство」(-stvo)がついて抽象名詞になると、(医者であること)という意味になる。

 (医者であること)は「医療」とも「薬」とも訳せる。

 「врачевство」(vrachevstvo)は、ふるいことばらしくて、現代ロシア語の辞書にはでてないけど、教会スラヴ語の辞書をみると「薬」であることがわかる。

 

 「医療」という訳語もまちがいとはいえないけど、村山七郎教授はごんざの『くすい』という訳語に目をとめなかったのかな。

 

 ところで、動詞については、現代ロシア語でもブルガリア語でも2が、名詞については、現代ロシア語でもブルガリア語でも6がつかわれているのに、行為者だけは現代ロシア語とブルガリア語でちがっている。

 

岩波ロシア語辞典 「врач 医師、医者。」

         「лекарь 1医師(帝政ロシアの医者の正式名称)。2へぼ医者。やぶ医者。」

         

ブルガリア語辞典 「врач 祈祷(きとう)師。」

         「лекар 医師。」

 

 現代ロシア語では、4の医者がふるくてあやしい医者で、3の医者がまともな医者なのに対して、ブルガリア語では逆に4の医者がまともな医者で、3は医者あつかいされていない。

 

 アエロフロートの機内で急病になって、CAが乗客の中からさがしだしてきた医者に診察してもらう時は、気をつけた方がいい。ブルガリア人の祈祷師かもしれないから。

 

CA :ただいま急病のお客様がいらっしゃいます。

   お客様の中にврач(vrach)(お医者様)はいらっしゃいませんか?

ブル:はい、私はврач(vrach)(祈祷師)です。