菩薩界の続きで、仏界です。
人偏にムと書いて仏。
ムは否定の意味だそうで、人にあらざるなんとやら、ということになりましょうか。
霊格として使うときの仏は、亡くなった方を指す仏さんでも、神様仏様の仏様でも、仏像さんでも、紙に書いた文字でも絵に描いた仏画でもございません。
仏画でも餓鬼界所具餓鬼界、お亡くなりになった人としての仏さまでも地獄界所具地獄界、紙に書いた文字曼荼羅の仏さんでも畜生界所具餓鬼界、なんていうことだってありえます。
波動の状態をグルーピングするための、ひとつのくくりとなります。
なので、宗教・無宗教・信条・生き方を問わずして、条件を満たしていれば仏界とグルーピングすることになります。
クリスチャンの仏界さん、仏嫌いの仏界さん、神も恐れぬ仏界さん、無宗教の仏界さんという【可能性】だっておおいにあるのでございます。
仏教徒の餓鬼界さんだっておおいにあるのでございます。
用語を新たに作れば誤解を招かないと思うのですが、考え方をお借りしている天台さんへの敬意をもって、そのまま使わせていただきます。
ご飯が食べれないより食べれること、気持ち悪いより気持ちいいこと、人間は条件を満たすために生きているものです。
仏界になりますと、無条件の充実感や無条件の慈愛という不思議な境地に足を踏み入れていることになります。
無条件という条件だなんて不思議な条件です。
悟りを開いたら仏界か?
ということは、ないと思います。
何について、どの程度、悟ったのか?
悟りにはジャンルや方向性や程度がありましょうから、声聞界や縁覚界のことになりますね。
頭が良くても悪くても、感性が豊かでも貧しくても、体を鍛えていても虚弱でも、関係なく仏界はあるということになります。
自分も他人も過去も未来もなにもかも無条件に慈しんで充実したいという方向性で、個人個人に合った方法で課題に取り組んでいかれるのがよろしいかと存じます。
課題も方法も人の数だけ山ほどあると思いますので、とても簡単に3秒で仏界系になる人もいれば、80年かけても困難な人もおられましょう。
そもそもこのような状態を目指す義務は誰にもございませんし、仏界でなければダメだなんて法律もないのです。
こんなん無理だーとネガティブになるよりは、自分に応じた状態を心がけていく方が価値的な場合もあるでしょう。
下記の説明文は、それぞれの状態にグルーピングされるための最低限の文言となります。
浅い深いがありましたら、浅いほうです。
プチ仏界系の説明ということです。
じゃあ仏界系で深いのってどこまで?どんなの?
と聞かれましても、そこまでは伺い知ることができません。
仏界系のみならずすべての界の範囲において、浅い深いや方向性の違いはあるのです。
|¬ 仏界所具地獄界
【無条件の自己肯定 & 他者肯定 & 環境肯定 & 過去を肯定 & 五感で感じることのできる全てのモノや光や音のなかに内在された尊厳性を感じる】 という方向性の感覚を目指しつつ、多少の充実感に包まれてはいるものの、他者や環境の問題で悩んでいるとき。
といっても感覚の差はピンきりで、個人差や状態差はある。
|¬ 仏界所具餓鬼界
【無条件の自己肯定 & 他者肯定 & 環境肯定 & 過去を肯定 & 五感で感じることのできる全てのモノや光や音のなかに内在された尊厳性を感じる】 という方向性の感覚を目指しつつ、多少の充実感に包まれてはいるものの、この方向性を満たすためにちょっと他人を犠牲にしちゃっているとき。
といっても感覚の差はピンきりで、個人差や状態差はある。
|¬ 仏界所具畜生界
【無条件の自己肯定 & 無条件の他者肯定 & 無条件の環境肯定 & 無条件で過去を肯定 & いまここに生きているだけで充実感を感じ & 五感で感じることのできる全てのモノや光や音のなかに内在された尊厳性を感じる】 という方向性の感覚を目指しつつ、多少の充実感に包まれてはいるものの、この方向性を満たすためにワガママさんになっているとき。
といっても感覚の差はピンきりで、個人差や状態差はある。
|¬ 仏界所具修羅界
【無条件の自己肯定 & 無条件の他者肯定 & 無条件の環境肯定 & 無条件で過去を肯定 & いまここに生きているだけで充実感を感じ & 五感で感じることのできる全てのモノや光や音のなかに内在された尊厳性を感じる】 という方向性の感覚を目指しつつ、多少の充実感に包まれてはいるものの、この方向性を邪魔する存在に対して怒っているとき。
といっても感覚の差はピンきりで、個人差や状態差はある。
|¬ 仏界所具人界
【無条件の自己肯定 & 無条件の他者肯定 & 無条件の環境肯定 & 無条件で過去を肯定 & いまここに生きているだけで充実感を感じ & 五感で感じることのできる全てのモノや光や音のなかに内在された尊厳性を感じる】 という方向性の感覚を目指しつつ、多少の充実感に包まれているとき。
といっても感覚の差はピンきりで、個人差や状態差はある。
|¬ 仏界所具天界
【いまここに生きているだけで充実感を感じ & 自分または他人または環境に対して行った思考や言動が成功して一過性の喜びに包まれている 】 という方向性の感覚に包まれているとき。
といっても感覚の差はピンきりで、個人差や状態差はある。
|¬ 仏界所具声聞界
【無条件の自己肯定 & いまここに生きているだけで充実感を感じ & 全ての他者やモノや情報や環境から知識を得よう 】 という方向性の感覚に包まれているとき。
といっても感覚の差はピンきりで、個人差や状態差はある。
|¬ 仏界所具縁覚界
【無条件の自己肯定 & いまここに生きているだけで充実感を感じ & 五感で感じることのできる全てのモノや光や音のなかに内在された尊厳性を感じる 】 という方向性の感覚に包まれているとき。
といっても感覚の差はピンきりで、個人差や状態差はある。
|¬ 仏界所具菩薩界
【無条件の自己肯定 & 無条件の他者肯定 & いまここに生きているだけで充実感を感じ & 他人のために自分ができることのすべてをしている、しようとしている、したいとおもっている】 という方向性の感覚に包まれているとき。
といっても感覚の差はピンきりで、個人差や状態差はある。
|¬ 仏界所具仏界
【無条件の自己肯定 & 無条件の他者肯定 & 無条件の環境肯定 & 無条件で過去を肯定 & いまここに生きているだけで充実感を感じ & 五感で感じることのできる全てのモノや光や音のなかに内在された尊厳性を感じる】 という方向性の感覚に包まれているとき。
といっても感覚の差はピンきりで、個人差や状態差はある。
プチ仏界所具仏界もあれば、その先その深さまるで解析不可能な状態もあると想像しています。
つづく。