さて、万民共同会の運動の結果中枢院の議官となった李承晩が、どのようにして墜ちていくかを主眼にした、以前の連載への補足の2回目。

前回は、中枢院から議政府へ推挙する人材選びの中で朴泳孝や徐載弼の名が取り沙汰され、結局反対派を押し切って、朴泳孝は該当しなさそうな根拠を以て、朴泳孝や徐載弼に対しては特に参考意見を付して回送した話と、その参考意見の中身まで見ました。

今日もまず、アジア歴史資料センターの『公文雑纂・明治三十二年・第六巻・枢密院・枢密院、宮内省・宮内省、外務省一・外務省一/朴泳孝召還ノ建議ニ関スル件ニ付在韓国京城加藤公使ヨリ報告ノ件(レファレンスコード:A04010049100)』から、1898年(明治31年)12月27日付『発第88号』の残りを見ていきましょう。

然るに、万民公同会亦去る19日を以て右召還のことを会議に附し、竟に委員3名を撰で大罪科の有無を裁判せられ度旨、法部に訴願することに議決し、同日該委員3名は法部に出頭して願意を申出でたるに、朴氏問題は陛下の大権に属し、法部の処辨し能はざる処なりとの指令を附して、却下せらるるに至りたり。
然るに又、前主事李錫烈なるもの30余名の疏頭となり、同様召還の上疏を捧呈したるに、22日該疏を却下せられたるのみならず、該疏頭者を捕縛すべしとの詔勅を下されたり。
12月16日に中枢院で、「捕まえて議論した後、罪があれば国法で罰するし、無ければもしかしたら任用されるかも知れないから良いじゃん」ってことで朴泳孝なんかも議政府に推薦する事が決まると、万民共同会は12月19日にこの件について会議するわけです。
で、委員を3人選んで朴泳孝に大罪科があるか無いかを裁判して欲しいと、某部に訴えるわけですね。
すると法部では、「いや、朴氏問題は高宗の大権に属するから、法部で対応するの無理。」と、まぁ与えられてる権限からすれば妥当な返答で却下するわけです。

そんな事で諦めない万民共同会は、李錫烈が30余名の筆頭となって、朴泳孝召還の上疏を提出するんですね。
ところが、12月22日に上疏を却下されただけでなく、この上疏した筆頭者を捕まえろという詔勅が出ちゃうんですね。

其言に曰く、

逋犯の罪赦すなきは、国あっての常典なり。
而即ち聞くに、朴泳孝任用の事を以て肆然疏を投ずる止た一二のみならずと云ふあり。
是れ豈に臣民の口に発すべき処のものならんや。
駭歎の極、寧ろ云ふなからんと欲す。
原疏は秘院(秘書院)より退却すと雖も、此れ若し厳に懲辨を行はずば則ち法施す所なく、国以て国■なすなし。
其れ法部をして警務庁に申飭し、疏頭李錫烈等の諸犯を絅拿したる後盤復情を得、律に照して登聞せよ。
詔勅の内容。

お前、逃げ出した者の罪を許さないのは国として当然でそ?
それなのに、聞けば朴泳孝を任用しろって堂々と上疏してんの、1つや2つじゃないみたいじゃん。
お前等、ふざけんなよ。
呆れてものも言えねーぞ。
もう疏状返したけどさ、これに厳しく懲戒処分しなきゃ法治国家じゃねーだろ。
法部から警務庁に言って、李錫烈等を捕まえた後取り調べて報告しろよ。( ´H`)y-~~

いや、法治国家気取りかよ。(笑)

之れに関連して、同時に亡命者に関する詔勅を下されたり。
即ち左の如し。

法律なるものは、信を国中に昭かにする所以。
罪ある者は刑に服し、罪なきものは免を賜ふ。
乃ち古今の通義なり。
朕服嗣以来上天生を好むの徳を体し、先王失を寧んずるの訓に尊び、罪の疑しきは惟れ軽くし、刑は無きに期す。
輓近紀綱解馳し、国事を以て犯すある者、輒ち亡命を以て能事となし、曾て君徳の玷累国体の虧損を顧みず。
念ふて此に及べば、寧ろ痛惋せざらんや。
凡そ域外に逋逃する者、本罪の大小軽重を論ぜず、亦該犯の魁たり従たるを問はず、其乱臣賊子たる一なり。
邦に常憲あり、永遠赦すなし。
惟だ尓■臣民咸な須らく知悉すべし。

此詔勅に亜て、本問題運動の中心点たる公同会へも解散の詔勅下りたるを以て、公同会員は時勢に鑑み大に考ふる所あり、断然、本問題を別事件として当分主張することを停止することに取極めたる由なれば、本問題は向後有無の間に立消へ可申姿に有之候。
右及具報候。
敬具
で、ついでに亡命者に関する詔勅が出るわけです。

法律というものは、信義を国内に示すためのものであり、罪がある者は刑に就き、罪が無い者は免除されるというのは昔も今も変わらない。
ウリが王位について以来、天帝やご先祖様に従って、罪を犯したかどうか疑わしい者には罪を軽くして刑罰は無いようにした。

最近は綱紀が弛んで、国事犯は亡命すれば良いとして、ウリの徳とか国家の体面を毀す事を顧みないんだけど、ちょっとは考えろや。
国外逃亡犯は、元々の罪の大小や軽重関係なく、また、その犯罪の主犯だろうが従犯だろうが関係なく、彼等が逆賊である事に変わりない。
国家には常に守るべきおきてがあり、永遠に許されないということを、お前等良く分かっとけ。( ´H`)y-~~

ということで、「国外逃亡犯は永遠に許さないからな!」という詔勅なわけです。
更にこれに続いて、万民共同会へも解散の詔勅が下る。
つうか、何回解散の詔勅出てんだよ。(笑)

これらの詔勅を受けて、万民共同会員は時勢に照らして大いに考え、今回の朴泳孝任用問題に関しては当分主張するのを止める事にしたそうなので、この問題はその内立ち消えになるでしょう、と。

そういうわけで、朴泳孝任用問題に関する件については、万民共同会がビビッて止めるという話で決着するかと思いきや・・・。


今日はこれまで。



帝国の迷走(一)  帝国の迷走(二十一) 帝国の迷走(四十一)
帝国の迷走(二)  帝国の迷走(二十二) 帝国の迷走(四十二)
帝国の迷走(三)  帝国の迷走(二十三) 帝国の迷走(四十三)
帝国の迷走(四)  帝国の迷走(二十四) 帝国の迷走(四十四)
帝国の迷走(五)  帝国の迷走(二十五) 帝国の迷走(四十五)
帝国の迷走(六)  帝国の迷走(二十六) 帝国の迷走(四十六)
帝国の迷走(七)  帝国の迷走(二十七) 帝国の迷走(四十七)
帝国の迷走(八)  帝国の迷走(二十八) 帝国の迷走(四十八)
帝国の迷走(九)  帝国の迷走(二十九) 帝国の迷走(四十九)
帝国の迷走(十)  帝国の迷走(三十)
帝国の迷走(十一) 帝国の迷走(三十一)
帝国の迷走(十二) 帝国の迷走(三十二)
帝国の迷走(十三) 帝国の迷走(三十三)
帝国の迷走(十四) 帝国の迷走(三十四)
帝国の迷走(十五) 帝国の迷走(三十五)
帝国の迷走(十六) 帝国の迷走(三十六)
帝国の迷走(十七) 帝国の迷走(三十七)
帝国の迷走(十八) 帝国の迷走(三十八)
帝国の迷走(十九) 帝国の迷走(三十九)
帝国の迷走(二十) 帝国の迷走(四十)


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前回終わったはずのスチーブンス暗殺事件の連載ですが、ちょっとおまけ。
いやね、僕とした事が、独立記念館の記述を取り上げるのを忘れてまして。(笑)
ってことで、ちょいと見てみたいな、と。
まずは張仁煥に関する記述を一気に引用。

張仁煥 張仁煥

平安南道平壌出身である。

1905年2月、労動移民としてハワイに行った。
また、1906年8月米国本土のサンフランシスコで組織された米州韓国人の独立運動団体である大同保国会の会員になった。
主に鉄道やアラスカ漁場で働きながら独立運動の道を摸索した。

1908年3月、大韓帝国外交顧問であったスチーブンスは、日本帝国主義(以下、日帝と略す)の大韓帝国外交権強奪で国際与論が悪化すると、日帝の指令で自分の国の米国で大韓帝国の無能力を積極弘報し、日帝の侵略行為を正当化する宣伝活動をしようとサンフランシスコに到着した。
スチーブンスは3月21日サンフランシスコに到着して新聞記者たちに乙巳勒約(第二次日韓協約)を庇護し、韓国を批判する内容の発言をした。
このような内容の演説が米国の各新聞に発表されると、米国の中にも特に、サンフランシスコとその隣近地域に居住していた在米韓国人の独立運動団体である共立協会と大同保国会の会員たちは、1908年3月22日、共立会館に集まり対策を討議した。
まず崔有渉・鄭在寛・文譲穆・李学鉉などをスチーブンスのところに送り新聞に報道された内容について詰問して取消を要求することにした。
しかし、同胞代表たちに会ったスチーブンスは無礼な態度で売国奴李完用を忠臣といったほか、侵略の首魁である伊藤博文がいてこそ韓国と東洋は幸福であるし、韓国人は愚かで独立する資格がないと喋るなどの暴言をした。
このようなスチーブンスの傲慢で傍若無人な言動は同胞代表たちを激憤させ、我慢できなくなった鄭在寛がスチーブンスの顎を強打し、他の代表たちも椅子でスチーブンスを乱打する騒ぎとなった。
同胞たちの欝憤は旅館の他の人たちの制止でこれ以上は晴らせなかった。

会館に戻ってきた代表たちから一部始終を聞き伝えた多くの同胞たちは、日帝の侵略行為を称賛、鼓舞するスチーブンスの行動に激怒して処断方法を論議した。
しかし、この日は討議だけで結論を見い出すことはできなかった。
一方、張仁煥はスチーブンスの妄言と行動について断固たる膺懲をしようと決心した。
彼はすでに日帝の走狗になって嘘の宣伝と祖国実状の歪曲を繰り返すスチーブンスに対し、糾弾と反駁だけでは実效をあげることができないと思った。
張仁煥はスチーブンスの罪悪を膺懲し、韓国国民の自主独立精神を世界万邦に知らせようと決心した。

1908年3月23日朝、スチーブンスがワシントンを出発しようとサンフランシスコのフェリー埠頭に日本領事小池といっしょに到着した。
その時、張仁煥がスチーブンスに銃を構えようとすると、突然一人の男が現れ、拳銃を持ったままスチーブンスに向かって突進し、驚いた日本の走狗との格闘になった。
その男は田明雲であった。
張仁煥と同じく、侵略元兇であるスチーブンスを処断するために待っていたところ、スチーブンスが現れると拳銃を発射したが、不幸にも不発であったためスチーブンスに飛びかかったのである。
しかし、張仁煥は機会を逃すわけにはいかなかった。
彼はスチーブンスに向かい拳銃を3発発射した。
連続3発の弾丸の中、2発がスチーブンスの胸と足に命中し、1発は肩に当たった。
張仁煥とスチーブンスは銃声を聞いて出動した米国の警察によって病院に移送された。

義挙を成功させた張仁煥は拘束された。
彼は審問する米国判事に「スチーブンスが保護条約に賛成したことは二千万同胞を毒殺しようとしたも同然だ。この盗賊を殺さなければ我が同胞が必ず滅亡することになる。だから、私が命をかけてやったのだ。」と堂々と義挙理由を明した。
このような彼の愛国精神は多くの同胞たちの愛国心を高揚した。
それに米国人さえも彼の義挙に感動した。
一方、張仁煥の正義たる銃弾洗礼を受けたスチーブンスは3月25日病院で死亡した。
張仁煥・田明雲の二人は1908年12月米国法廷で、田明雲は保釈、張仁煥は懲役25年の刑を言い渡され投獄された。
その後、張仁煥は1919年1月10日仮釈放され、1924年4月10日には完全に自由の身になった。
彼は1927年4月20日一時帰国したが、日本帝国主義者たちの監視と、服役による健康悪化のため同年10月11日サンフランシスコに帰って生活中、1930年4月24日死亡した。
政府では故人の功労を称えて、1962年、建国勲章大統領章を追叙した。
これはこれで面白い読み物。(笑)
まぁ、当然突っ込みどころも色々あるわけですが、細かいところは連載と見比べながらほくそ笑んであげて下さい。
ここでは、一言だけツッコミを。

「堂々と義挙理由を明した」んなら、収監中から発狂したふりしてんじゃねーよ!(笑)

続いて、田明雲に関する記述。

田明雲 田明雲

平安南道平壌出身である。
ソウル漢城学院で修学中の1905年5月、労働移民としてハワイへ渡った。
1906年6月、米本土に渡って鉄道労動者・アラスカ漁場労動者として働きながら米国独立運動団体である公立協会の会員になり、主に青年会で活躍した。

1908年3月当時、大韓帝国外交顧問米国人スチーブンスが、日本帝国主義(以下、日帝と略す)の走狗として日帝の侵略行為を正当化する宣伝活動をしようと本国に戻って来た。
スチーブンスは到着後の記者会見で、日帝の韓国統治は正当なことで、日帝の統治だけが韓国を発展させるとの妄言を繰り返した。
米国内の独立運動団体である公立協会と大同保国会会員たちは激怒し、代表者を選出してスチーブンスに送り、彼に妄言を取り消すよう要求することにした。
しかし、代表の要求が無視されると、公立協会と大同保国会でスチーブンスの処罰方法を論議したところ、田明雲が志願した。

田明雲は、1908年3月23日午前9時30分頃、スチーブンスがワシントンへ行くために、サンフランシスコ駐在日本領事小池の案内でフェリー船艙に到着するのを見て拳銃の引き金を引いたが、弾丸が発射されなかった。
すると、拳銃を持ったままスチーブンスに突進して拳銃で加撃し、暴れるスチーブンスと格闘になった。
この時、張仁煥が銃弾3発を発射し、2発はスチーブンス胸と足に、1発は肩に命中させた。
田明雲と重傷を負ったStevensは米国警察によって病院に運ばれ、張仁煥は逮捕、拘束された。


田明雲は病院で、スチーブンスを襲撃した理由を聞く米国警察に次のように言った。
「日本がロシアと戦い始めた際、韓国の独立を保障すると宣言したが、今になって我々の国権を奪い、財政と官職を牛耳り、憲兵巡査が全国に溢れている。そのため私は米国に来て学業に専念し国家に献身しようとしたのに、この頃スチーブンスが至る所で「韓国人が日本人を歓迎し日本人に感謝する」と吹聴している。これは韓国をだまし軽蔑しているに違いない。それで私がこの泥棒を殺そうとしたのだ。」
彼のこのような義挙動機は、米国の各新聞に報道され、米国内の同胞たちはもちろん米国人たちまで田明雲の愛国心に感動した。
彼は退院後、米国警察に拘束され審問を受けた。
同年7月、僑胞たちの助けで保釈・釈放された。

以降、9月にロシア沿海州へ渡り、独立運動団体である同義会に加入して活躍した。
また、再びサンフランシスコに帰って来て、義勇軍を組織し、軍資金を募って上海臨時政府に送ったりした。
政府では故人の功労を称え、1962年建国勲章大統領章を追叙した。
こちらも、詳細は連載を見てきた読者諸氏の判断にお任せします。
でね。

田明雲が病院に運ばれた理由が書いてないんですが、何で?
ねぇ、何で?(笑)
ついでに、2発はスチーブンス胸と足に、1発は肩にとわざわざ分けて書いてあるのは、何で?
ねぇ、何で?(笑)



ってことで、おまけ、おしまい。(笑)



スチーブンス暗殺事件(一)
スチーブンス暗殺事件(二)
スチーブンス暗殺事件(三)
スチーブンス暗殺事件(四)
スチーブンス暗殺事件(五)
スチーブンス暗殺事件(六)
スチーブンス暗殺事件(七)
スチーブンス暗殺事件(八)
スチーブンス暗殺事件(九)
スチーブンス暗殺事件(十)
スチーブンス暗殺事件(十一)
スチーブンス暗殺事件(十二)
スチーブンス暗殺事件(十三)
スチーブンス暗殺事件(十四)
スチーブンス暗殺事件(十五)
スチーブンス暗殺事件(十六)
スチーブンス暗殺事件(十七)
スチーブンス暗殺事件(十八)


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何だかんだで連載18回目。
1回のエントリーの記述を短めにしたら、読むのは比較的楽になったと思うんだけど、さすがに回数は伸びるね。
ま、書いてる方もこっちのが楽だから良っか。(笑)

っていうことで、取りあえずの最終回。
前回までで1909年(明治42年)1月29日付『機密送第6号』と、それに付属の裁判状況を記した『別紙甲号』を見てきました。
今度は、刑期宣告の話に当たる『別紙乙号』に入っていきます。
では早速。

故「スチーブンス」氏暗殺者韓人張仁煥に対し、本月2日を以て判決言渡ありたる趣は、不取敢電報致置候次第の処、尚御参考迄当日弁論の模様左に報告申進候。

当日開廷するや、先づ被告側弁護士は、本件審査中被告は同国人田明雲の危難を救ふため「ス」氏を射撃したるものにて、所謂正当殺人「Justicial Homicide」を以て弁護の主脳となしたるに、判事が陪審官に与へたる論告中「Court Instruction」、右被告側の申立に係る條項を包含せざりしは違法なるに拠り、本件の再審を請求する趣旨を以て請願書を提出したるも、判事は右に対し、被告弁護人等は正当殺人を主張すと雖も、本件審理中被告は曾て之に言及したること無之。
且つ、此際被告の口供を徴するとするも、被告は一方既に狂者なるの理由を以て弁護せらるる以上は、本人の口供は何等の価値なく、従て右弁護方法に関し論告の必要なかりしものと認むるを以て、再審の請求を容れざる旨を宣したるに、被告弁護人「Farrell」は陳述して曰く、本件連日の審理にて判事の熟知せらるる通り、本人の行為は愛国の至情に出でたるものにて、其情況尤も愿諒すべきものあり。
已に陪審官の決定も2等殺人犯となせり。
されば、仮令法律の規定する刑の範囲は、加へて終身禁錮に及ぶを得るも、此際同人を殆んど極度に処罰するは陪審官決定書の趣旨に違反するものなれば、賢明なる判事に於て情状酌量の上、軽きに従ひ処罰せられんことを希望する旨を述べたり。
1909年(明治41年)1月2日、判決言い渡しの日。
開廷するや、被告弁護人がスチーブンス暗殺事件について、田明雲の危険を救うためにスチーブンスを撃ったもので、所謂正当殺人であるという旨の弁護の主軸として、判事が陪審員に与えた論告中、弁護側の申し立てに係る条項を含んでいなかったとして、再審請求。

すると判事は、弁護人は正当殺人と主張するけど、今回の審理中張仁煥は一度もその話をした事がなく、またその時に張仁煥の証言を得たとしても、もう張仁煥は狂人だったという理由で弁護しているんだから、その証言に全く価値無いでしょ?と。
法廷戦術、失敗。(笑)

で、正当殺人については論告の必要は無いものと認めたため、再審請求は受け付けないよ、と。
更に弁護側は、張仁煥の行為は愛国心から出たものであり、情状酌量すべきであり、現に陪審員も2等殺人犯とした。
そうであるなら、例え法律の規定する刑の範囲は終身刑まであるけれども、張仁煥に重い刑を科す事は、陪審員の決定書に違反するものであり、賢明なる判事は情状酌量して軽い刑を希望した、と。

之に対し原告側「Knight」は、被告が最も公平なる審理を受けたるは何人も首肯する処にして、本件が最も凶悪なる殺人犯なるに拘らず、2等殺人犯の宣告を受けたるに止まるは、主として賢明なる被告弁護士諸君の技倆に依るものにして、決して事件の性質上酌量すべき処あるが故にあらず。
被告弁護士諸君は、事情の憐むべきを云為せらると雖も、本件に何等酌量の余地なきは疑なき処にして、凶行前日及当日朝当地在留韓人代表者等が、「フエアモントホテル」に「ス」氏訪問の事実等は、当法廷に証拠として提供するを拒絶せられたるが如きは、寧ろ被告に有利なる審理を受けたるものと云ふべし。
されば、此際必ず重きに従ひ終身に処罰せられんことを希望する旨を述べたり。
一方検察側は、張仁煥が公平な裁判を受けてるだろ?
今回の事件が凶悪犯罪であるにも拘わらず、2等殺人犯の宣告に止まったのは、主に被告弁護士の技量によるものであって、事件の性質によって酌量されたわけじゃないでしょ?と。
つうか、テロ推奨状態になっちゃいますからねぇ。(笑)

で、弁護側は事情が憐れむべきだと言うけど、今回の事件に関して情状酌量の余地が無いのは疑いなく、事件前日に韓国人の一団がフェアモントホテルにスチーブンスを訪問した事実とか、今回の裁判に証拠提出を拒否されてるでしょ?と。
まぁ、前日のフェアモントホテルの一件の話があれば、在米韓国人団体の繋がりによる計画的殺人の疑いが濃厚になるってことでしょうね。
証拠云々よりも、特に陪審員の心証的に。

ってことで、裁判は寧ろ張仁煥に有利なものだっただろ?と。
そして、検察側は終身刑を希望するわけですね。

判事は、本件は陪審官に於て2等殺人犯に決したる以上は、之に対して終身刑を加ふるは本官の意にあらず、従前の例に徴するに、2等殺人犯に対しては10年・15年・17年及20年にして、重きも之に過ぐるは稀なるも、本件は寧ろ極端のものと認むるを以て、被告張仁煥の25年間の禁錮に処すべしと宣し、茲に本件は一段落を告げたる次第に有之候。
被告は右に対し、控訴の模様無之候。
右及報告候
敬具
判事は、今回の事件を陪審官が2等殺人犯に決めた以上は、張仁煥に終身刑を加えるのはおかしい、と。
前例からすれば、2等殺人犯は10年・15年・17年及20年の禁固刑であり、これ以上重い刑は稀ではあるけども、今回の事件は極端なものであると認め、張仁煥に25年の禁固刑が宣告されるわけです。

陪審官は比較的軽めの2等殺人犯とし、裁判官はその2等殺人犯の中でもかなり重い刑罰を科したという形になりますね。

さて、11月19日のエントリーで統監府に届いた裁判資料ですが、どうもそのまま統監府にあったわけでは無いようです。
京城地方裁判所検事正中川一介から統監府外務部長の小松緑への、1909年(明治42年)2月1日付『発第7号』より。
「スチーブンス」殺害事件に関する、田明雲・張仁煥に対する米国に於て為されたる判決書寫送致方、予て関東都督府法院検察官より嘱託相成居候に付、右判決書寫御接受の上は、直接都督府へ御送致相成候様致度、此段及照会候也。
関東都督府法院からお願いされてたので、判決書等の寫を直接関東都督府へ送ってくれ、と。
これを受けて、曾禰統監から関東都督への、1909年(明治42年)2月2日付『機密統発第190号』。

「スチーブンス」殺害事件に付き、田明雲・張仁煥に対し米国に於て為されたる判決書寫送附方、予て貴府法院検察官より京城地方裁判所検事正中川一介に嘱託相成居候処、今般外務省より右判決書寫送附し来り候に付、右書類一括小包を以て本日郵送候條、御査収相成度。
尚、該申渡書及判決録等入手の為米貨50ドルを要したる旨、別紙客月14日附機密送第4号の通り外務省より申越候に付、右金員貴府より同省へ御直送方可然御取計相成度、此段申進候也。
ということで、先の11月19日のエントリーでの裁判資料は関東都督府に。
ついでに、その際の料金50ドルも関東都督府に。(笑)

あー、詳細調べるんなら、まずは関東都督府にあった資料が何処に行ったかから始めないと駄目なのね・・・。
つうか、無理。(笑)


ってことで、スチーブンス暗殺事件でした。
おしまい。



スチーブンス暗殺事件(一)
スチーブンス暗殺事件(二)
スチーブンス暗殺事件(三)
スチーブンス暗殺事件(四)
スチーブンス暗殺事件(五)
スチーブンス暗殺事件(六)
スチーブンス暗殺事件(七)
スチーブンス暗殺事件(八)
スチーブンス暗殺事件(九)
スチーブンス暗殺事件(十)
スチーブンス暗殺事件(十一)
スチーブンス暗殺事件(十二)
スチーブンス暗殺事件(十三)
スチーブンス暗殺事件(十四)
スチーブンス暗殺事件(十五)
スチーブンス暗殺事件(十六)
スチーブンス暗殺事件(十七)


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張仁煥の裁判に模様について。
前回は、検事側による医師や事件目撃者等の証言に引き続き、弁護側は張仁煥は事件当時発狂していたと主張し、その後検事側の論告が終わった処までを見ました。
今日はその続きですので、弁護側の論告という事になります。
それでは、1909年(明治42年)1月29日付『機密送第6号』に付属の『別紙甲号』の続きを。

其云ふ処は、張が凶行の当時是非の認識なき境遇にあり、其行為に対して法律の制裁を免がるべきものなるは、当然法律の規定する処。
且つ「ス」氏が田雲明を追跡するを見て、田の危急を救はんが為め発砲したるものにて正当殺人なるのみならず、「ス」氏の死亡は主として医師の不注意によるものにて、現に田明雲は同時に肺貫通傷を受けたるも、医師の手当宜しきを得たるため既に全快に到りたるにあらずや。
殊に張が喪心の悲境に陥りたるは、故国を愛するの熱誠に出でたるものにして、目下韓半島に於ける彼の同胞が、日政府圧迫の下に悲惨の境遇に沈淪しつつあるを聞き、仰で天に訴へ俯して地に哭し、憂愁綿々遂に其恒を失ふに至る。
其心事を顧みれば、実に同情に堪へざるものあり。
而して、韓国の此の窮状に陥るは一に「ス」氏の奸策によるものにして、証人の言に徴するに、彼等は日韓條約訂結に際し国璽を横奪して擅に之を約書に鈴し、韓国千載の耻を貽す。
彼は名を韓国顧問に借り、陰に陽に日本を佐けて盡さざる処なく、韓国独立の滅亡は実に彼の手によりて画せらる。
今回の凶変、真に適好の報償を得たるもののみと、巧に証人の言を利用して日本の圧迫と韓民の窮状を訴へ、以て陪審官の同情を得んと試み、最後に市副検事「Hanley」氏は、前記被告3弁護士の所論を痛駁し、本件は共謀者を有する残悪なる殺人なれば、充分重きに従ひ処断せんことを乞ふ旨、此又1時間半に亘る論告をなし、同日午後5時半全く論告を了へたり。
弁護側は相変わらず責任能力の有無から入るわけです。
さらに、スチーブンスが田明雲を追跡するのを見て、田明雲の危機を救うために発砲した事から正当殺人に当たるだけでなく、スチーブンスの死亡は医者の不注意によるもので、現に田明雲は肺に貫通傷を負ったのに、医者の手当てが適切だったために全快したじゃないか、と。

惜しいなぁ。
田明雲が誰に撃たれたか知りたかったのに。(笑)
まぁ、スチーブンスの死亡が医師の不手際によるものという主張は、11月6日のエントリーで開腹したら貫通創が6ヶ所あった話等、あり得ない主張ではないんでしょうけど。
まぁ、早期に見つけていたら治癒していたかという話とは、別な問題でしょうしね。

で、特に張仁煥が心神喪失状態になったのは、故国を愛する熱い思いから来ており、今の韓半島に於ける彼の同胞が、日本の圧迫の下で悲惨な境遇に落ちぶれている事を聞いたからだ、と。
いや、悲惨な状況に落ちぶれたんじゃなくて、ずっと沈みっぱなしだから。( ´H`)y-~~

それを、スチーブンスに責任転嫁。
日本は日韓条約の締結に際して国璽を奪ってこれを条約書に押し、スチーブンスは名を韓国顧問に借りて表に裏に日本を助けまくり、韓国独立が失われたのはスチーブンスの手で企てられたものだ、と。
基本、1905年(明治38年)11月23日の『チャイナガゼット』夕刊辺りの情報を、反日新聞が拾ってたかどうかして知った話だと思うわけですが、そもそも『チャイナガゼット』自体上海でのロシアの機関新聞とされてるわけで。( ´H`)y-~~

兎も角、今回の事件はその報いを受けただけだと、巧みに証人の話を利用して日本の圧迫と韓国人の窮状を訴え、陪審官の同情を得ようとする。

最後にサンフランシスコ市の副検事が、その弁護士等の弁論に痛駁して、今回の事件は共謀者もある残悪な殺人であり、充分に重い処断をという論告をし論告終了。

なんか、淡々と記載してあって、ツマンネ。( ´H`)y-~~ (笑)

同夜8時、再び開廷。
陪審官に対し判事の論告常例の如く、同9時15分、陪審官は評議の為め別室に退き茲に密議を凝らし、11時35分出廷。
被告の2等殺人犯と判定したる旨を報告し、判事は来る26日午前10時、刑期の宣告を与ふる旨を宣し閉廷したり。

以上の通り、張仁煥に対する裁判は、今後単に判事の刑期宣告により一段落を告ぐる事と相成り、其刑期としては2等殺人犯は10年以上終身懲役に有之候得共、此際終身懲役は殆んど望みなきものと認められ候。
本件の如き、事実尤も明白なるものにして、単に2等殺人犯の判決を受くるは聊か遺憾の感なき克はず候得共、目下一般に死刑反対の傾あるの際、殊に当地の如き対日本の悪感情を抱き居る処に於て、一般公衆より成立する陪審官の判決を受くるものに候へば、前記の判決も寧ろ成功と称すべきものと被存候。

被告側に於て、今後再審又は控訴をなすや否やに就ては未だ何等知るを得ず、26日刑期の宣告は、被告側に於て再審するや否やに関し考慮を要する旨を以て延期を請求し、本月30日宣告のことと相成候。
兎に角、被告側弁護人等は2等殺人犯の宣告は、寧ろ彼等の成功となし、控訴は却て加重の虞あるやに考へ居る趣に有之候処、其後被告張は、長期の牢居よりは寧ろ死刑を望む旨を主張し居る由にて、或は捨鉢的に控訴を試むるやも不計、目下の処にては未だ何等決する処無之様子に有之候。
何れ、近日決定の上は又々可及御報告候。
尚、本件に関しては、韓人等は弁護人等に多額の金員を支払ひ居るを確め候。
是等の金額は、到底当地在留韓人の寄附のみにて支弁し得べきものに無之。
此が出所探聞方、目下苦心中に有之候。
右裁判状況に関し、当地2、3新聞切抜相添へ、及御報告候。
敬具

追て、本日の宣告も又々延期。
来年1月2日宣告の事と相成候間、御承知置相成度候。
ということで、クリスマスイブに陪審官の審議。
結果、陪審官等は張仁煥を2等殺人犯として判定したと報告し、判事は26日に刑期宣告する旨を述べて閉廷。

当時のアメリカの1等殺人犯と2等殺人犯の差異が良く分からないんですが、勿論1等殺人犯の方が重いのでしょう。
そして、それは日本の希望通りではなかったものの、死刑反対の風潮やそもそもスチーブンスが渡米する切っ掛けになったサンフランシスコの反日感情などがあるわけで、陪審員による判決という事を考えれば、寧ろ成功だろうと。
陪審員制度の欠点の一つでしょうね。
まぁ、世論を取り入れるという観点からすれば、背中合わせの事ではあるんですが。

再審請求や控訴するかどうかは、この段階で未定であり、それを考慮する時間を取るため、26日の刑期宣告は30日に延期。
兎に角、弁護人達は、2等殺人犯の宣告は勝利とみなして、控訴しない方針らしいけど、張仁煥は長期間牢屋に入れられるよりはいっそ殺せと言っているようで、捨て鉢になって控訴するかも、と。

ちなみに、今回の件に関して韓国人等は弁護士などに多額の費用を支払い、その金額は到底在米韓国人の寄付で賄えるものではない。
そこで、その金の出所を探しているけども苦心中。

最後に、追伸として刑期宣告は更に1月2日に延びたよ、と。

ふう。
やっと裁判経緯終わった。


今度は、刑期宣告に当たる『別紙乙号』となるわけですが、今日はここまで。
次回で一区切り。



スチーブンス暗殺事件(一)
スチーブンス暗殺事件(二)
スチーブンス暗殺事件(三)
スチーブンス暗殺事件(四)
スチーブンス暗殺事件(五)
スチーブンス暗殺事件(六)
スチーブンス暗殺事件(七)
スチーブンス暗殺事件(八)
スチーブンス暗殺事件(九)
スチーブンス暗殺事件(十)
スチーブンス暗殺事件(十一)
スチーブンス暗殺事件(十二)
スチーブンス暗殺事件(十三)
スチーブンス暗殺事件(十四)
スチーブンス暗殺事件(十五)
スチーブンス暗殺事件(十六)



さて、前回から始まった裁判の模様。
早速、嫌な予感のする書き出しだったわけですが、今日はどうでしょうか。
では、今日も1909年(明治42年)1月29日付『機密送第6号』に付属の『別紙甲号』の続きを見ていきましょう。

12月15日午前10時開廷。
昨日に続き、「Dr. Dumwalt」に対する取調を了へ、当市解剖医「Dr. J. R. Clark」をして、「ス」氏死体解剖及傷所の状況を詳述し、「ス」氏の傷所は2ヶ所共致命傷たりしことを証言せしめ、尚「ス」氏の遺体より剔出したる弾丸2箇を認証せしめて証拠品として提供し、午後は或る判事の死亡に対し吊慰を表する為め休廷したり。
翌日は、前日に引き続いてスチーブンスの治療に当たったDr. Dumwaltの取り調べと、サンフランシスコ市の解剖医によるスチーブンスの剖検結果等の報告。
証拠品として、スチーブンスから摘出された弾丸2個、と。

12月16日午前10時開廷。
「フエアマウントホテル」の自動車馭者にて、「ス」氏遭難を目撃したる「F. Dr. Schneides」及、当市収税官吏にして凶行現場に於て張仁煥を捕縛したる「Thomas Sexton」の2人を召致して証言をなさしめ、本日午後及17・18日及21日は、現場に居合せたる鉄道駅夫「James Cruser」及張仁煥の捕縛護送等に従事したる巡査「Peter Buras」「James McGrath」「Henry Qwens」「Jahn T. McDanns」「James Gleason」等及探偵「コーンラン」、逮捕局書記「James J. Hourihan」及検事局日語通訳「C. H. Gappney」を召致して、彼等の目撃したる事実并に張が彼等に向って為たる会話を詳述せしめて、犯行の事実と張の自白の動すべからざる証拠を提供して余す処なく、21日午前を以て検事側証人の取調を了す。
同日午後、被告側弁護人「コフラン」は、「Opening Statement」として陪審官に対し、張仁煥犯行の当時、本人は精神に異状を呈し居り、同人の凶行は法律上制裁を免るべき性質に属す。
本弁護人等は、之を以て弁護の主脳となすものにて、以下召喚証人に拠り本人の精神に異状あり、且つ如何にして変状を来すに至りたるかを明示すべきに依り、前後の事情を考察し正当の判決を下さんことを希望する旨を述べ、直に韓人李某及張羅得の2名を召喚し、張仁煥は凶行前より挙動異常にして、彼等は確かに狂者なる旨を証言し、之が認定の基礎として張との談話に彼等の所謂「ス」氏の非行なるものを縷述せしめしも、彼等の証言は単に想像に止まるものにて、根拠なき証言は、検事側の詰問に対し往々齟齬の答弁をなし、陪審官に対し多大の印象を与ふるに足らず。
16日は、事件を目撃した運転手の証言及び張仁煥を捕まえたサンフランシスコ市収税官吏の証言。
17・18日と21日午前は、現場に居合わせた駅員と張仁煥の護送をした巡査と探偵、逮捕局の初期と検事局の通訳による証言により、最終的に犯行の事実と張仁煥の自白を証拠として提供し、検事側の証人取り調べ終了。
だからさ、その中身が知りたいんだってばよ・・・。

21日午後になって、今度は弁護側。
冒頭陳述で、犯行当時の張仁煥が精神に異常をきたしていたとして、無罪主張。
ま、法廷戦術ですな。( ´H`)y-~~

で、李某と張羅得を召喚して、張仁煥が犯行前から挙動がおかしく、確かに狂者だと証言。
その認定の基礎として、張仁煥との談話で彼等の言う所のスチーブンスの非行を話させたけれども、彼等の証言は単に想像に過ぎず根拠も無いので、検事側の質問に対して時々食い違った答弁をして、陪審官に大きな印象を与えるには足りなかった、と。
その辺、ENJOY Koreaの韓国人も同じなわけですが・・・。

12月23日に至り被告弁護士等は他にも4、5の証人あるも大概前記2名の証言と大差なきを以て、時間省略の為め之を略し、従て検事側に於て此上証人を提出せず直に弁論に入らんことを請ひしも、検事側の容るる処とならず、終に被告側は前記2名の証人を止め、検事側よりは張の精神状態に関し証言せしむるため、「Dr. Lustig」「Dr. Wadswarth」(当市「Insanity commitee」にして、「Knight」より出廷証言の約を取結び置きたるもの)及当州立癲狂病院の亜細亜人掛長「Dr. Hoisthalt」をして証言せしめたるが、3医師とも法廷に於ける各種の証言に徴するに決し、張は発狂者にあらず。
又普通の精神状態に在るものは、右の如き場合に於て俄かに発狂する者にあらざる旨を証言し、殊に「Dr. Haisthalt」4月中旬以來屡々張を獄裏に訪ひ種々の取調をなしたるに、張は狂者を装ひ居るも、決して狂者にあらざる証跡を得たる旨を証言し、全く証人の取調を了す。
12月23日、被告側弁護人は他に証人はいるものの、李某と張羅得の話と大体同じであるため省略するから、検事側もこれ以上証人を出さずに直ぐに弁論に入ろうと述べるわけですが、検事側拒否。(笑)
検事側は、張仁煥の精神状態について証言させるため、医師2名及びサンフランシスコ州立癲狂病院のアジア人掛長を召喚。
3人とも法廷での各種証言から、張仁煥は発狂者ではないと断言。
特にサンフランシスコ州立癲狂病院のアジア人掛長「Dr. Hoisthalt」は、獄中の張仁煥を訪れ種々の取り調べをした所、張仁煥は狂者を装っているが、決して狂者ではない証拠を得たと証言し、総ての証人取り調べ終了。

つうかさ、「義挙」なんだろ?
だったら、狂者なんか装わずに堂々としてろよな。(笑)


12月24日彼此の弁論に入り、先づ検事側として「ナイト」氏は、被告張仁煥犯行の事実に関しては、既に提供したる証人に拠り其証拠動かすべからざるものあり。
本件は実に悍悪なる殺人犯にして、予め計画したる証跡顕著。
何等恕すべき点なく、被告弁護士は其発狂を主張すと雖も、其事実にあらざる事は当地有数の専門医師の証言に徴して何等の疑なく、又た被告は「ス」氏が田を追跡するを見て、同胞の危急を救ふための正当殺人と称すと雖も、此れ実に一笑にだも値せず。
田雲明は張の共謀者にして、張が「ス」氏を射撃したるは彼等共同の目的を遂行したるものにして、之もしも正当殺人となすに於ては、強盗も相棒庇護の名に其罪を免がれ、其弊盡くる処なからん。
被害証人等は、「ス」氏の非行を云々すと雖も、之れ実に各国其弊を免がるること能はざる所謂黄色紙の記事に拠りたるものにて何等の根拠あるものにあらず。
反之「ス」氏が韓国に対してなせし功績に対しては、我々種々の資料を有するも、法廷の規定茲に説明すること能はざることを憾む。
然かも「ス」氏性情の高潔なるは、証人の言に徴するに、「ス」氏の病床に張を携へ其認識を求むるの際、被告の悪口に対し「ス」氏は曰く、「汝無知の輩、我が如何に韓国に盡したるやを知らず。嗚呼我汝を恕せん」と、現に命を其凶手に捐つるを知りつつ、然も其無知を憐みて其罪を恕す。
「ス」氏の為人察するに難しからざるべし。
「ス」氏は未開化の韓国に於て、安全に其職を盡し、其郷国たる当地に入て此の凶手に斃る。
「ス」氏は能く之を恕するも、我法何んぞ之を恕すべけんや。
乞ふ被告を一等殺人犯の重罪に処せんことをと、約1時間半に亘る論告をなし、続て被告側よりは「Barrett Ferral」及「Caghlan」の3人約1時間余に亘る弁論をなしたり。
24日、検察側弁論。
まぁ、張仁煥がスチーブンスを殺害したという点に関しては、争点になってるわけでもなく。
で、計画的殺人である証拠が顕著だ、と。
弁護士は犯行当時張仁煥が発狂していたというけど、それが事実では無い事は専門医師等の証言でも明らか。

また、張仁煥はスチーブンスが田明雲を追いかけるのを見て、同胞の危機を救うための正当殺人というが、これは話にならない。
田明雲は張仁煥の共謀者であり、張仁煥がスチーブンスを射撃したのは彼等の目的を実行したに過ぎず、これを正当殺人とするなら、強盗が相棒を守るためであってもその罪を免れる事となるぞ、と。

さらに証人達はスチーブンスの非行について述べたけど、これはどの国もその弊害から逃れられない所謂イエローペーパーの記事によるもので、何の根拠がある話でもない。
反対にスチーブンス氏が韓国に対して行った功績については、種々の資料を持っているが、法廷の規定によって説明できないのが残念だ、と。
いや、11月11日のエントリーで日本が送った資料、全部無駄かよ。(笑)

しかもスチーブンスの性情が高潔であるのは、証人の言により、スチーブンスの病床に張仁煥を連れて行った時に、張仁煥が悪口を言うのに対して「お前は何も知らないから仕方ないよね。許してやるよ」と、死にゆく事を知りつつ無知を憐れんで罪を赦した事に見ても明らかだ、と。
この辺、11月8日のエントリーのロサンゼルス新聞に見ることができますね。
だからさ、奴らに情けかけちゃ駄目なんだって。(笑)

ということで、検事側は一等殺人犯の重罪を論告し、その後弁護側の弁論に移るわけです。


今日はここまで。



スチーブンス暗殺事件(一)
スチーブンス暗殺事件(二)
スチーブンス暗殺事件(三)
スチーブンス暗殺事件(四)
スチーブンス暗殺事件(五)
スチーブンス暗殺事件(六)
スチーブンス暗殺事件(七)
スチーブンス暗殺事件(八)
スチーブンス暗殺事件(九)
スチーブンス暗殺事件(十)
スチーブンス暗殺事件(十一)
スチーブンス暗殺事件(十二)
スチーブンス暗殺事件(十三)
スチーブンス暗殺事件(十四)
スチーブンス暗殺事件(十五)



何か、一気に事態が進展しているのに、その間の史料がまったく無いというのは、実にかんしゃくが裂けますね。
( ´H`)y-~~

さて、前回いよいよ張仁煥への判決が出る事になったわけですが、果たして。
1909年(明治42年)1月4日発『来電第9号』より。

趙仁漢の裁判は、去る30日開廷の筈なりしも延期。
本日開廷。
被告より再審の請求ありしも却下せられ、25年の禁錮に処する旨判決言渡ありたり。
被告は目下控訴する模様なき趣、在桑港領事代理より電報ありたり。
と言うことで、張仁煥の判決確定。
禁錮25年、と。

続いて、1909年(明治42年)1月14日付『機密送第4号』より。
別紙も含めて一気に見ていきたいと思います。

客年12月3日貴電第133号を以て御申越の、「スチーブンス」事件の被告に対する裁判判決書送付方に関しては、其砌往電第186号を以て申進置候次第有之候処、右に関し今般在桑港永井総領事代理より、米国に於ける裁判は、全然陪審官制度に有之。
判決の主脳者は陪審官にして、彼等は密室に於て論議の上、単に犯人の何罪の何等に処すべきものなるやを宣告するに止まり(本件は殺人2等)、判事は右陪審官の判決に基き刑期を宣告するに過ぎず、従て右判決書にては、本邦に於ける判決文と異り、何等事件の成行を知悉するに足らざるものと被認候趣を以て、別紙目録の通該件裁判速記録、「スチーブンス」屍体検屍調書、并に陪審官に対する判事の申渡書、及最終の刑の判決録、総計10綴送付致来候に付、右茲に及御転送候間、御査収相成度。
尚ほ、前記申渡書及判決禄等は、火急入手の為米貨50ドルの仕払を要することと相成たる趣、同総領事代理より申越有之候に付ては、右に相当する金額、当方へ御廻送方可然御取計相成度、此段申進候也。

追て前記速記録は、他日田明雲に対する審判開始の期も有之候はば、必要のものに有之候趣に付、其御含を以て相当保存方御取計相成度、此段申添候。


○ 別紙
上件裁判書類目録

張仁煥に対する警察裁判速記録 一綴 93枚
同      上等裁判所速記録 一綴 自1頁至122頁
一綴 自123頁至186頁
一綴 自187頁至305頁
一綴 自306頁至438頁
一綴 自439頁至527頁
一綴 自528頁至585頁
一綴 自586頁至680頁
「スチーブンス」屍体検屍調書 一綴 70枚
陪審官に対する判事の申渡書及最終の刑の判決録 一綴 自1頁至29頁・自1頁至7頁
12月3日の第133号って、前回の12月2日発『往電』なのかな?
んー、でも往電第186号って『来電第203号』とは違うっぽいしなぁ。
まぁ、別物と考えて、まだ見つけてないと思っとこうっと。

で、アメリカは当然陪審員制度なんで、陪審員が密室で論議して、単に犯人が何罪の何等に相当するかを宣告し、裁判官がそれに基づいて刑期を宣告するだけだ、と。
ってことは、張仁煥の場合は陪審員が殺人2等として、裁判官が禁錮25年としたってことですね。

そういうことで、アメリカの判決書では日本の判決書と違って事件の成り行きが分からないため、別紙の目録の通り各種裁判資料を転送するから、と。
ちなみに、裁判資料を送るのに急いで入手したため50ドル必要になったから、朝鮮統監府で支出よろぴく、と。(笑)
んー、やっぱり歳入出とか予算の話、ピンポイントだと面白いよなぁ。

で、別紙が警察での記録やら裁判記録やらの目録、と。
・・・。
全部で800ページ分程度の資料読まんと駄目なんかい・・・。

まぁ、幸いというか何というか、これらの資料はまだ見つけてないんだけどね。
いや、見つからないと何が起きたか詳細が分からないじゃないか・・・。_| ̄|○


さて、気を取り直して次の史料へ。
次は、裁判や判決言い渡しの模様について。
1909年(明治42年)1月29日付『機密送第6号』より。

韓人張仁煥被告事件に対する裁判并に判決言渡の状況に関し、在桑港高橋総領事館事務代理より別紙甲乙号寫の通り報告有之候に付、御参考迄に右茲に及御送付候間、御査収相成度。
尚、別紙新聞切抜は御閲覧済の上御返戻有之度、此段申進候也。
ということで、別紙甲・乙号を見ていきましょう。
まずは、裁判に関する『別紙甲号』から。
長いんで、分割しながら。

故「スチーブンス」氏暗殺者、韓人張仁煥に対する裁判に関しては、本月10日附機密第43号を以て及御報告置候通り、本月7日より当市「Superiorion,Caurt,Department,No.12,Jadg e Carrell cook」の法廷に於て開始し、検事側より「Assistant District Attorney James Hanley」及当館より傭入れの「Samuel Knight」氏「Special Council」として列席し、被告側よりは「Nathan C. Coghlan」「John J. Barrett」及「Robert Ferral」の3氏弁護人として出席し、11日に至って陪審官13名(1名は事故欠員を生じたるときの予備)の選択を了し、引続き証人審問に着手す。
其状況左の如し。
全然関係ありませんが、陪審官13名とか聞くと「十二人の怒れる男」を思い出したり。(笑)

12月14日午前10時開廷。
弁護人「ナイト」氏は検事側とし、陪審官に対し「Opening Statement」として張仁煥犯行の状況を詳述し、其後検事側に於て提出すべき種々の証拠に鑑み、張仁煥に対し殺人犯の判決を与へんことを請求し、第一証人として旅館「フエアマウント」の傭丁「E. B. Findley」を召喚して、「ス」氏遭難の状況を詳述せしめ、続て「ス」氏傷所の治療に従事せし「Dr. J. W. Huntington」「Dr. Wallace, J. Terry」及「Dr. Fred, H. Dumwalt」の3氏を召喚して、傷所及施術の模様を詳述し、「ス」氏の銃傷2ヶ所共致命傷にして、医師の手当に何等の手落なかりしを証言せしめ、午後4時半閉廷せり。(前記3医師は、「ス」氏治療の為め雇入れたるものなり)
まずは検事側から、犯行状況を知っている証人による証言と、スチーブンスの受けた傷及びその治療に関して、治療に当たった医師らの証言について。
つうか、何を話したかが知りたいのに、やっぱり書かれてねーよ・・・。_| ̄|○


今日はこれまで。



スチーブンス暗殺事件(一)
スチーブンス暗殺事件(二)
スチーブンス暗殺事件(三)
スチーブンス暗殺事件(四)
スチーブンス暗殺事件(五)
スチーブンス暗殺事件(六)
スチーブンス暗殺事件(七)
スチーブンス暗殺事件(八)
スチーブンス暗殺事件(九)
スチーブンス暗殺事件(十)
スチーブンス暗殺事件(十一)
スチーブンス暗殺事件(十二)
スチーブンス暗殺事件(十三)
スチーブンス暗殺事件(十四)



さて、長かった1908年(明治41年)11月25日付『高秘発第17号』ですが、アメリカで裁判受けてた筈の田明雲が、何故かウラジオストックに滞在している事が判明しました。
実は、韓国統監府はこの情報は掴んでいなかったらしく、鍋島外部部長から東京の小松書記官宛に、確認の電報が出されます。
1908年(明治41年)12月2日発『往電』より。

「スチーブンス」に対する凶行者の一人なる田明雲は、現に浦潮須徳に在り。
同人は、無罪となりしや又は逃亡せしや、今日迄外務省より何等の報告なし。
我桑港総領事館よりは、何等かの報告外務省に達し居ると思考す。
同省に付御聞合せの上報告ありたし。
サンフランシスコに居る筈の田明雲が、前回ウラジオストックに滞在している旨の報告が、内部警務局長の松井茂からもたらされたわけで、当然その情報を得ていない統監府は、外務省には連絡来てんだろ?と照会するわけです。

んで、これに対する返電が、1908年(明治41年)12月3日発『来電第203号』になります。

田明雲に関し、外務省に到着したる最終の報告(8月12日)に依れば、同人は去る7月中保釈となり、或は無罪として放免せらるるの虞あるに付証拠蒐集中なる趣。
尤も、同人が如何にして浦鹽に来りたるや不明なるに付、桑港総領事に問合はさるる筈なり。
外務省に到着した1908(明治41年)8月12日の最終報告では、田明雲は7月中に保釈或いは無罪放免となったようで、証拠を集めてる最中らしい。
尤も、田がどうやってウラジオストックに来たのかは不明なので、サンフランシスコ総領事に問い合わせる筈、と。
んー、やっぱり外務省に報告来てるってことは、アジ歴にその内史料挙がるだろうなぁ。
つうか、保釈か無罪釈放かって、全然違うわけですが・・・。

で、この電報に更に追加電が来ます。
1908年(明治41年)12月11日発『来電』より。

田明雲は保釈中、8月以降踪跡不明なりしが、検事は本月10日を以て遁走と認め、其の事実を発表したる旨、桑港総領事より外務省に電報あり。
就ては同省より浦潮領事館に照会する筈なるも、統監府に於て同人の現住所及行動等確実に御承知ならば、折返し電報ありたし。
田明雲は保釈中の8月、突然行方不明に。(笑)
検事は12月10日で遁走したと認めて、その事実を発表したと、サンフランシスコ総領事から外務省に電報。
4ヶ月も経ってから?
何か間違ってる気がしますな。
そもそも田明雲の方って、鉄砲撃とうと思ったら壊れてて、スチーブンスに殴りかかって田明雲自身より強かったから逃げた方なわけで、悪くて殺人未遂と傷害罪程度でしょうし、わざわざ保釈中に逃げるとも思えませんな。

兎も角、外務省からウラジオストックの領事館に照会する筈だけど、統監府で田明雲の現住所や行動等確実な情報を掴んでいたら、折り返し電報くれ、と。

これを受けた統監府の報告。
1908年(明治41年)12月12日発『往電』より。

田明雲の所在は略判り居れり。
されど、浦潮領事官は同地在留韓国人に対しては、何等の手出しも為し能はざる情態に在る旨、韓国側密偵(日本人)の報告あり。
故に、単に田の所在を同領事官に照会せらるるのみにては、之を突止ることも出来難かるべし。
同人の行動及宿所は、追て詳しく電報すべし。
田明雲の居るところは大体分かってるけどさぁ、ウラジオストックの領事官ってウラジオの韓国人には手出しできねーよと密偵の報告があったんで、単に田明雲の所在をウラジオストック領事官に照会しただけじゃ、突き止めること出来ずらいだろう。
田の行動や宿所は、そのうち詳しく電報するから、と。

この話の中での詳報が、1908年(明治41年)12月14日発『往電』になります。

本月12日電報に関し、韓国側の確かなる報告左の如し。
田明雲は、10月6、7日の頃は浦潮の町はづれなる韓人町開拓(羅馬字 Kueechok)の韓人宿李致坤方に在り。
桑港にては無罪放免せられたれど、再び米国に帰りたくなしと称せり。
当時同人は頗る窮迫し、露語を学ぶ為め通学せる夜学校の月謝半月分1円50銭の支出にも差支居りたる程なりしが、同地在留韓人中同人の為め募集したる旅費を与へむとしたるをば、是れ我を迫はむとするものなりとて謝絶せりと云ふ。
尚、同地韓人は10月初旬迄に3回同人の為め歓迎会を開けり。
右貴官より外務省に御通知ありたし。
ってことで、田明雲自身は無罪放免と言ってる。
尤も、もうアメリカには帰りたくない、と。(笑)
で、来た当時は非常に困窮しており、ロシア語を学ぶための夜間学校の月謝半月分の1円50銭すら払うのに差し支える程だったけど、ウラジオストックの韓国人が彼のために募集した旅費を与えようとしたら、これは僕を締め付けるからと謝絶したそうだ。
む、田明雲、中々格好いいじゃん。
と思ったけど、もしかしてこれは、「ウリをアメリカへ押しやらないで下さい。頼みです~<;; `Д´>」ってことか?(笑)

さて、田明雲に関する一連の報告で思い出したのか、タイミングが良かっただけなのか、サンフランシスコ総領事からの電報が統監府に転電されます。
1908年(明治41年)12月25日発『来電第207号』より。

桑港領事より25日、左の通電報あり。
趙仁漢の裁判は、先週月曜日開審。
昨夜12時、「トライヤルジユリー」にて2等刪減、本刑期を10年以上と決定。
来る土曜日、判事の裁判宣告ある筈。
被告は今日にては控訴せざる模様。
さて、殴りかかって、逆にスチーブンスが強かったから逃げただけの田明雲とは違い、実際にスチーブンスを撃った張仁煥の方の話ですね。
刑期10年以上と決定され、いよいよ、土曜日に判事の裁判宣告がある筈だ、と。

途中の経緯が、ここまでの史料だと全く分からん。(笑)


今日はこれまで。



スチーブンス暗殺事件(一)
スチーブンス暗殺事件(二)
スチーブンス暗殺事件(三)
スチーブンス暗殺事件(四)
スチーブンス暗殺事件(五)
スチーブンス暗殺事件(六)
スチーブンス暗殺事件(七)
スチーブンス暗殺事件(八)
スチーブンス暗殺事件(九)
スチーブンス暗殺事件(十)
スチーブンス暗殺事件(十一)
スチーブンス暗殺事件(十二)
スチーブンス暗殺事件(十三)



うー、ちょっとしか関係ないのに長い・・・。(笑)
ってことで、前回からお送りしている、1908年(明治41年)11月25日付『高秘発第17号』の続きを、ちょっと長くなりますが最後まで一気に見ていきたいと思います。
では、早速。

一.李範允等は咸鏡北道に於ける日本軍隊警察等の動静を探知するに力め、日本人1人を殺害するときは金15円の賞金を与へ、現に其賞を受けたる者あり。
日本人1人を殺害すれば、15円の賞金。
「日本兵」では無いところが、テロ組織っぽくて良いですなぁ。( ´H`)y-~~

一.居住韓国人の全部は排日者なりと云ふも、多くは下等労働者にして政治上一定の見識を有する者あるなく、素より日本に信頼して其保護を仰がんとする者あるなしと雖も、亦衷心日本排斥を鼓吹する者は僅々一部の者に止まるものの如し。
又、露国官憲の援護あり、若くは露国人の暴動に干係するは同国官憲の指導に出づるものの如く云ふ者あるも、其干係者は概ね無頼の徒に過ぎず、且李範允等が人心収攬上故造の言を流布するものなりとの説、真に近きが如し。
現今に至りては、居住民中却て匪徒を喜ばず、寧ろ李範允を殺し紛擾を断たざるべからずと主張する者を生じ、匪徒に対する態度一変の徴なきにあらず。
此際一大打撃を加ふるときは、或は終熄の期に近づかしむるを得べしと。
この辺、11月15日のエントリーの在米韓国人への指摘と、あまり変わりませんね。
で、ロシア官憲の援護や指導を受けているかのように言う者があるが、単なる無頼の徒であり、李範允なんかが人心収攬の為に流した捏造話ってのが本当の処だろう、と。

一.李範允等は、軍資金と称し居住民より金円糧を徴発し、誅求を極むるより、現今に於ては却て怨府となりたるの観あり。
然れども、其徴発金頗る多数に上り、一時李範允は馬車を駆り、数十の護衛騎兵を従へ各地に往来し、浦鹽に至るや常に最上の露国人「ホテル」に宿泊し、驕奢を極め居りしことありと。
李範允は、軍資金と称して住民から金や食料を徴発し、厳しく取り立てるので、今では却って恨みの的に。
しかし、その徴発した金が多額に上り、一時李範允は馬車に乗って数十人の護衛騎兵を従えてあちこち行ったり来たりし、ウラジオストックではいつも最高のロシア人ホテルに泊まって贅沢を極めている、と。
まぁ、なんつうか、想定の範囲内。(笑)

一.海牙平和会議に現はれたる李瑋鐘は、父李範晋より暴動資金1万円を得て、本年3月頃浦鹽港に来りしが、其中約金2,500円を酒食の費に使用し、為めに声望を失墮し、月を越へて露都に去れり。
はい、これが以前「ハーグ密使事件関連史料(八)」で抜粋した部分です。
日本人1人殺して15円。
李瑋鐘は、酒飲んだり飯喰ったりで2,500円浪費。
167人の日本人殺して、やっと貰える分を飲み食いに使ったら、声望を失墜するのも当たり前ですわな。( ´H`)y-~~

一.田明雲は、本年9月下旬浦鹽港に現はれたり。
其来浦の要件は、在米韓国人との連絡を取らしめんが為なり。
或は、弾薬を輸送し来りたるものなり。
或は、「スチーブンス」氏暗殺事件は無罪となりたるも、全部の裁判未だ終了せず、其桑港に在住するは却て共犯者の裁判に不利を来すを以て、弁護士の勧告に従ひ、踪跡を晦ましたるものなりとの3説あり。
其孰れに属するや分明せざるも、目下露語夜学校に通学し居るより推せば、永く滞在の状あるものの如し。
而して同人来浦以来、居住韓国人間に数回の歓迎会を開催せり。
今回の長い史料の中で、本題その2の部分。
田明雲がウラジオストックに来たのは1908年(明治41年)の9月。
来訪理由は、在米韓国人との連絡のためとか、弾薬輸送とか、無罪になったけど張仁煥の裁判に影響があるから等の3つの説があり、本当のところは分からないけれども、ロシア語学校に通っているから長く滞在するんだろう、と。

一.「ノウオスコエー」と豆満江との間に哈升■溝なる処あり。
附近一体の地は崔都憲の所有地にして、韓人家屋のみ約30戸あり。
暴徒の臨時集合所又は出張所とも云ふべく、咸北に於ける偵察は実に此地に齎らざるるものなりと。
崔都憲って安重根の親玉で、この年の7月には図們江附近での戦闘に部下としてに参加してます。
後に崔都憲と争論になった安重根は、李範允に鞍替えするわけですが、この時点では特記事項なし。

一.浦監港在留韓国人は痛く同国人の出入に注意し、殊に新渡来者の行動を視察牽制し、韓人町には発令官、訊問官なるものを置き、其下27名の巡検なるものを附属せしめ、此等一切の事務を処理せしむ。
而して、同胞中挙動怪むべき者若は利益相反する者あるときは、事実を誣ひて露国憲官に告げ、其甚だしきは往々惨殺することありと。
蓋し如斯同胞を猜疑するは、政府若くは日本の為めに探偵に従事する者の渡来を防禦するにありと云ふ。
日本や韓国政府の密偵を疑って、ウラジオストックに出入りする同胞の行動を視察牽制する韓国人。
挙動の怪しい者は兎も角、利益が相反する者についてもロシア官憲に誣告。
甚だしい場合には、惨殺することもあったらしい、と。

尚、以上の情状を齎らしめたる視察者の意見に曰く、
李範允等の行動は、必しも衷心愛国の念に駆られて義を唱ふるものと見るべからざるものあり。
蓋し李範允は所謂政治破落漢にして、一定の業務なきものなるを以て、今日は彼に於ては食を獵るの好機会に遭遇したるものにして、陽に義を唱ふるも実は糊口の策に出るものと謂ふべし。
彼は、昨年8月以前に於ては、僅に崔都憲設立の学校教師として可憐の生活を為したるに過ざりしが、一度名を藉り義を唱ふるや、怱ち馬車に乗じ護衛を伴ひ附近部落を橫行し、時に浦港に出でて豪奢を極め、遂に崔都憲の為めに金銭出納に関する権限を奪はるるに至れり。

崔才亨(都憲)と雖も亦、私利の為めに暴徒に加担したるものの如し。
蓋し彼は多少の貨財を軍資として醵出したりと雖も、彼は之に依て大に虚名を博したるのみならず、暴徒に対する金銭の出入は皆彼の手中よりし、韓人より集めたる所謂軍資金は総て彼の保管する処にして、彼が之に依りて得る処の利益、決して尠少のものにあらずと云ふ。
即ち李範允及崔才亨にして既に此の如し。
況んや、其幕下の者に於てをや。
名を義に藉りて糊口の資を得るものと謂ふべきか。
彼等と雖も烏合の衆を集めて敢て日本兵に抗せんとするの愚を知らざるにあらず。
彼等が時に豆満江を渉りて少数の匪徒を送る所以のものは、却て一般人民を欺瞞するの策にして、此少数の者を以て敢て成効し得べしとするにあらざるなり。
只出金者に対する申譯にして、全く詐欺手段に出づるに過ぎず。
故に其服裝を飾り、其声を大にし、附近同志の耳目ヲを惹かんことに力め、殊に其咸鏡道に入らんとする匪徒に対し奨励至らざるなく、日本人一人を殺害する者に15円の懸賞を為す所以なり。
彼等は常時進出を声言し大に為すあらんとするものの如く装ふも、而も容易に出でず、彼等の策や推して知るべし。

彼等は既に糊口の為めに之を為す。
彼等が金銭を集め得る手段の存する間は、彼等の行動の止むときなかるべし。
故に今日の儘推移せんが、到底本年にして鎮定を期し難かるべし。
或大打撃を与へざる限りは、彼等の行動は比較的永く継続すべし。
聞く処に依れば、目下農作物の収穫期に属するを以て、匪賊の一部を帰家せしめたりと。
彼等が義の為めに兵を挙ぐるにあらざることを知るに足る。
又彼等は、仮令日兵に勝ち能はずと雖も、若し今日の形勢を永く保持せば、必ず諸外国の同情を得、日本を攻撃するの時機あるべし。
吾等の目的は、実に此に在りと云ふが如き。
一面に於て彼等が持久の意思を存することを推知すべし。

露国地方官憲は、李及崔等が一定の服装を為し、隊を組み、旗を樹て、公然行動するに拘はらず、敢て之を取締ることなく放置したりしが、本年8月頃より多少注意するに至りたるものの如く、例へば8月10日頃、李範允が馬車に多数の護衛兵を附し、揚々として「ポセツト」に至りしが、其帰路に於ては大に其態を改め、護衛兵を撤し、夜陰に乗じ急行したるが如き以て、露官憲が干渉の端を開きたるを見るべく、李範允が身を烟秋河に避け、又西水羅に日本漁夫を襲撃せし厳仁燮が「ノウオキエフスキー」にて白昼活歩を慎むが如き、又申譯的にもせよ8月頃より露国管内の於ける旅行券を有せざる韓人の検挙に着手し、「ノウオキエフスキー」警察にては40余名を捕へ、之を韓国政府に交付することとなりたり。
而も彼は、真心之が取締を為すにあらず。
8月23日之を咸鏡北道慶興府に交付するに当りては、僅に3人に過ぎずして、其余の37名は逃亡行衛不明となりたりとは、豈に驚くべき怪事にあらず。
又、其後8月30日頃70名を市監獄に投じたりと称するも、尚未だ之を送還し来らざるなり。
聞く処に依れば、豆満江岸「ホトコロナヤ」の守備兵及其附近数ヶ所に出せる監視兵の如き、元来匪徒等と交際し、匪徒より出せる偵察隊は此哨所に立寄りて歓談し、時々互に賭戯を試み飲食を共にする等のことあるが故に、監視の配置は只其名を衒ふに過ぎざるものの如しと云ふ。

「ノウオエスキー」市にては、在住韓人も亦市費を負担し、崔都憲の如きは有力なる市会議たり。
故に同市の警察其の他の官憲に於ても、匪徒の行動に就き表面多少の取締を為すと雖も、必ずしも総督の厳訓を奉じて誠実に之を執行するの事実なきが如し云々。
まとめの部分なんで、一気に引用してみました。
細かく挙げてくのもアレなんで、簡単にまとめると、要するに彼等が義兵とか何とか活動しているのは、金のためだ、と。
勿論、軍資金募金詐欺行脚でも見られたとおり、この後口先だけだってのがばれて、たちまち生活に窮するわけですが。
( ´H`)y-~~


今日はこれまで。



スチーブンス暗殺事件(一)
スチーブンス暗殺事件(二)
スチーブンス暗殺事件(三)
スチーブンス暗殺事件(四)
スチーブンス暗殺事件(五)
スチーブンス暗殺事件(六)
スチーブンス暗殺事件(七)
スチーブンス暗殺事件(八)
スチーブンス暗殺事件(九)
スチーブンス暗殺事件(十)
スチーブンス暗殺事件(十一)
スチーブンス暗殺事件(十二)



さて、前々回前回で在米韓国人の状況を見ました。

今日は、直接事件と関連している部分があるものの、その他の部分がかなりあるため、その部分だけ紹介しようか、辞めようか迷った史料なんですが、以前一部抜粋して紹介済みだったことを思い出しまして。(笑)
結局全文紹介する事にしました。
ロシア領土内の韓国人に関する報告になりますが、時期が半年近く飛んでいます。
前にも述べたように、捜査も裁判もアメリカ合衆国がやってるわけで、その間の情報が殆ど入ってこなかったんでしょうね。

長いので、分割しながら。
内部警務局長松井茂から、副統監曾禰荒助への1908年(明治41年)11月25日付『高秘発第17号』より。

露国領土内に於ける、韓国人匪徒状況に関する左記最近の情報を得たるを以て、為御参考及報告候也。
ってことで、1908年末のロシア領内の、韓国人匪徒、所謂義兵の最新情報ってことですね。

○ 別紙

一.浦鹽以南、咸鏡北道以北、露領沿海州に居住する韓国人口約20万人。
其中、露国に帰化手続を了したる者約3,000人と称す。
加之単独若くは家族を携帯して露国に出稼移住する者、年々其数を増加し、本年城津理事庁より旅券を下附せる者既に4,400余人に達したり。
其他の地方よりする者及無旅券渡航者を加ふるときは、1ヶ年間約2万人を下らざる状況なりと云ふ。
いつか詳しくやろうとは思っていたんですが、アジア歴史資料センターの『露国政府ハ同国ニ帰化シタル朝鮮人ニ土地ヲ附与シテ露国国籍ニ編入セシメンカ為測量ニ着手ノ件ニ関シ在浦潮二橋貿易事務官ヨリ申報ノ件/公文雑纂・明治二十九年・第九巻・外務省一・外務省一(レファレンスコード:A04010020300)』辺りを見ると、移民帰化者には1町歩の土地が与えられるなど、1896年(明治29年)には既に政策的に移民を誘致していたようですが、1908年には沿海州の韓国人の人口約20万人に膨れあがった、と。
勿論、移民だけではなく、敗残義兵なんかの単なる食い詰め者も多いのでしょうが。

一.露国政府にては、農夫問題融和の必要上本国より西比利亜方面に農夫の移住を奨励し、諸種の便宜を与ふる為め、前年約50万人、本年も略■同数の移住者あり。
其再び本国に帰還せる約半数を控除するも、2ヶ年間に約50万人の移住者を得たるものの如し。
如斯、将来露本国より多数の移住者を得るの見込あるを以て、最早韓国人の移住帰化を必要とせず、本年4月黒龍江沿道軍管区総督「ウンテルベルケル」は、管下鉱山業者に対し鉱山に韓国人の使役を禁じたるが為め、自然他の工事にも韓国人夫を使役せざるに至りたるより職を失ふ者多く、為めに陸続帰還者生ぜり。
然れども、亦止りて無頼の徒に化する者少なからざるが如く、崔才亨の如き、頃日来此等の鉱夫数百を招致し、賊勢を盛にせりとの説あり。
しかし、この頃になるとロシア本国人のシベリア移住が奨励され、2年間で約50万人に達し、将来も多数の移住者を得る見込みがあるため、もう韓国人の移住帰化いらない、と。(笑)
おまけに、1908年(明治41年)4月に黒竜江付近で鉱山に韓国人の使役を禁じたため、自然と他の工事にも韓国人夫を使わなくなり、職を失って国に帰る者が出てきたんですね。
つうか、これは強制連行じゃないのね。(笑)

勿論、ロシアに止まって無頼の徒となるものも少なくないようで、崔才亨は鉱夫数百人を招いて勢力拡大しているという説もある、と。

一.韓国人は、黒龍江以南の沿海州を3郡に分ち、「ノウオキエフスキー」を烟秋郡、「ニコリスク」を秋豊郡、其他を水靑郡と称す。
而して此地方は、所謂匪徒の根拠地たり。
浦鹽港は約7、8千人の韓国人居住するも、概ね労働者にして、匪徒に対しては勢力なきものの如し。
匪徒根拠地方の韓人間に、頻りに喧伝せらるる流説によれば、露国官は居住韓国人有力者に対し、韓国は我敵国たる日本の保護下に立つに至りたるを以て、露国は最早韓国人を保護し、其帰化を許すの必要を認めず。
速に去て日本に倚るべしとて、西比利亜より在留韓人の退去を命ぜんとしたり。
此に於て李範晋(日露戦争当時の露国駐在公使)、李範允(往年の北艮島「間島」監理使)及崔才亨(露国籍に入りて「ペチカ」と称す。韓人は崔都憲と呼ぶ。都憲とは総代の謂なり)等は、我同胞中露国国籍を取得したる者既に3千余人に達し、其他の約20万人も亦、皆な露国の徳澤に浴せんことを望み遠く移住せしものにして、毫も日本の保護を望むものにあらずと哀願し、漸く其許可を得たり。
実に安穏に露国内に居住し得るは、李範允等の恩恵なりとて匪徒に応じたる者多しと。
此説素より李範允等の故造に出たるものの如し。
韓国人匪徒、所謂義兵の根拠地地方で噂が流れてる。
どういう噂かというと、ロシアは、韓国が日本の保護下に入ったからもう韓国人を保護したり帰化を許す必要を認めず、日本に頼れば?ということで、即刻シベリアから退去しろと命令しようとしたので、李範晋、李範允、崔才亨なんかが哀願して、居住の許可を得たってもの。
しかしながら平穏にロシアに居られるのは、李範允達のおかげということで、匪徒に応じる者が多い。
最初から李範允なんかがワザと流した噂だろう、と。
あからさまに嘘だろ。(笑)

一.李範允は、烟秋居住同地屈指の富豪崔都憲(元慶興府の一貧民)の設立せる私立学校教師たりしが、昨年京城の変より解隊兵及匪徒敗走者等来りて急を訴ふるに及び、崔都憲其他の同志者も亦李範允に暴徒を勧告し、崔都憲より軍糧資金の供給を為すことを約し、往年李範允が太皇帝陛下より下賜せられたる鍮尺馬牌を利用し、且檄文を発し、配下崔秉俊・朴某(露名「アレキサンドル」)・厳仁燮を各地に派し、李範允は露国官憲の保護あり。若し命に従はざる者は国賊と看做すべしと云はしめ、資金糧食の徴募に奔走せしめ、住民其強制を恐れ多少の出資を為さざる者なしと云ふ。
李範允については、安重根シリーズハーグ密使事件等で何度か顔を出し、軍資金募金詐欺行脚では、部下のしでかした事で単独エントリーされるなど、地味に頻出の人物です。(笑)

で、元々崔都憲の設立した学校の教師だったけども、韓国軍解散及びその後の匪徒敗走が逃げてきて急を訴えたので、李範允が往年高宗から貰った鍮尺馬牌を使って檄文を発して、配下を各地に派遣して「李範允はロシア官憲の保護がある。もし従わなければ国賊とみなす」として資金糧食集めに奔走させたため、住人などは怖がって多少の出資をしない者はいない、と。

ヤクザかよ!( ´H`)y-~~
いや、似たようなもんだけど。

あと、李範允の馬牌については、昨年の8月10日のエントリーでも若干触れている。
こういうちょっとした記述が散在しているだけなので、中々一つのエントリーに纏まらないんですがね・・・。

一.銃器は李範允が日露戦争当時、露国の為め組織せし監理軍に供給せられ、尚彼の手に残存せる銃器及往年馬賊防禦用として露国官憲より住民に下付せられたる廃銃、并に従来韓国人の所蔵せし火縄銃等にして、其数多きが如し。(銃器中猛獣射撃用とせる5連発銃は、其威力恐るべきものありと)
然れども、弾薬の供給意の如くならず、屡々人を浦鹽港に派し之が買入に奔走せしむるの形跡あり。
彼の「スチーブンス」氏を暗殺したる田明雲が突然浦鹽港に現はれたるは、米国より弾薬輸送の任に当りたるものなりとの説あるも、信じ難し。
今回の長い史料の中で、本題その1の部分です。(笑)
銃器は、日露戦争当時に李範允がロシアのために組織した監理軍に供給されたものの内、残っているものと、以前馬賊防禦用にロシアから配布された廃銃、以前から韓国人が持っていた火縄銃があり、銃器自体の数は多いものの、弾丸の供給がままならず、人をウラジオストックに派遣して買い入れに奔走させた形跡があるんですね。

で、今回のターゲットの一人田明雲が突然ウラジオストックに現れたのは、アメリカからの弾丸輸送の任務に当たったという風説があるけど、信じ難い、と。

さて、スチーブンス暗殺事件から半年後、田明雲が突然ウラジオストックに降り立ちました。
果たしてこれはどういう事なのでしょうか。


ってとこで、1908年(明治41年)11月25日付『高秘発第17号』も途中なんですが、まだ半分くらいなので、今日はこんなところで。



スチーブンス暗殺事件(一)
スチーブンス暗殺事件(二)
スチーブンス暗殺事件(三)
スチーブンス暗殺事件(四)
スチーブンス暗殺事件(五)
スチーブンス暗殺事件(六)
スチーブンス暗殺事件(七)
スチーブンス暗殺事件(八)
スチーブンス暗殺事件(九)
スチーブンス暗殺事件(十)
スチーブンス暗殺事件(十一)



前回は、1908年(明治41年)5月29日付『機密送第24号』と、その別紙(1908年(明治41年)5月8日付『機密第26号』)の途中までを見ました。

サンフランシスコ在住の韓国人朴鳳來が毎日申報に投稿した事を元にして、彼と大同報及び合同新報との関連性調査の報告で、とりあえずその関連性は否定されましたが、彼の文とされるものは、在米韓国人一般の認識と同じだよ、というところまでですね。
今日はその続きから。
では早速。

彼等は、日本は韓国を併呑するため其政策を遂行する者となすと共に、韓政府の当局者を目するに奸臣賊子を以てし、殊に38年4月の取極書を締結せし李址鎔・朴斉純・李根澤・李完用及沈相薫の諸氏を五賊と目し、40年7月の新協約7條の締結に参与せし李完用・宋秉畯・趙重應・高永喜・李秉武・任善準・李載崑の7氏を七賊と称し、皆私利の為めに国家を売るものとなし、之を観る事蛇蝎の如く、朴の所謂(一)五賊を冒殺し其顛末を看、(二)七賊を弾覈して風雨を避くるの言は、常に彼等の念頭を去らざる処に有之候。
又朴の主意第三、第四に対しては、彼等は日本を以て単に韓国の併呑を期するものとなすのみならず、我が当局者の韓民に対する処置を以て、人道に反し、残虐暴戻到らざる処なきものとなし、韓民は到底日本統治の下に甘んずる者にあらざる事を世界に暴露し、列強の同情・干渉を誘致し、其機に乗じ韓国の独立を恢復すべしとなし、新聞に其他に過激の言辞を弄するを事とし、苟も韓国の真情を説き日本政策の当を称するものあれば、即ち日党と呼び独立の敵と称し居る次第に有之候。
「ス」氏の遭難及此頃帰米したる「ビシヨツプ・ハリス」に対する悪感情等、皆茲に胚胎致居候。
而して、在米韓人の多数は無智の労働者にして、遠く故国を離れ其現状を知るに由なきと共に、愛国の美名に魅せられ彼等煽動者の感化を受け、遂に熱誠なる排日派と化し去るものに有之候。
是等排日運動の主脳たる共立協会・大同保国会(以上在桑港)及合成協会(在ホノルゝ)、並に其新聞の現状は大要左の通りに有之候。
在米韓国人一般は、日本は韓国を併呑しようとしているとして、更に韓国政府の当局者を「奸臣賊子」と見ている、と。
で、乙巳五賊と丁未七賊は、特に皆私利のために国家を売ったとして、蛇蝎の如く嫌っている。
つうか、乙巳五賊が一人違いますがな。( ´H`)y-~~

日本に対しては、韓国を併呑しようとしているとみなすのみならず、韓国人に対する処置を、人道に反し、残虐暴戻が到らないところが無いとして、韓国人は到底日本統治の下に甘んずるものではないと世界に発表し、列強の同情や干渉を誘致して、その機に乗じて韓国の独立を回復しよう、と。
なんか、先日【コラム】「米国は韓国を見捨てるかもしれない」とか見た気がしますね。
いや、深い意味は無い。(笑)

そういうわけで、少しでも日本の肩を持つような者は、日党と呼んで独立の敵と称している有様。
ってことで、今回のスチーブンス暗殺事件や前回のビショップ・ハリスへの陰謀事件なんかも、根っこはそういうところ、と。

でも、在米韓国人の多数は無知の労働者で、韓国を離れてその現状を知らず、愛国の美名にのせられて煽動者の感化を受けて、遂に熱心な排日派になっただけとして、この排日運動の主導をしている共立協会・大同保国会・合成協会とその新聞の現状に移るわけです。

共立協会は、4、5年前の設立に係り、在米韓人間に尤も優勢なる団体にて、本部を桑港に置き、「ロスアンゼルス」、「サクラメント」、「ソートレーキ」、「リバーサイト」、「レツトランド」及「ラツクスプリング」等の地に支部を設け、機関紙として共立新報なる週刊新報を発刊す。
会員は1,000に近しと称すれども其詳細を確むる事を得ず。
団体の目的は、在米韓人の利益を増進するに在りと称すれども、日韓協約の実行以来彼等は熱心なる排日党と化し、日本は韓国の滅亡を計るものとし、愛国の美名を標榜し盛に排日思想を鼓吹す。
新聞は漢文週刊にして、発行数は3,500乃至4,000枚に達し、読者の多数は本国及布哇に在るものの如く、其収入は克く会の経費を支持するに足ると。
目下鄭在寬(黄海道人)之が主筆たり。
其他崔有渉(多年日本に有り、能く日語を解す)(以上2名は、暗殺前夜「ス」氏を「ホテル」に訪問したるもの)、金永一・申興雨(京城培材学堂出身にして、嘗て協成会の会長として時事を論じ投獄せられたる事あり)等、会の機務に参す。
「ス」氏暗殺者田明雲は、此会に属せり。
まずは共立協会。
団体設置の目的からかけ離れて暴走するのは、いつもの事。
日韓協約以来熱心な排日派となり、日本は韓国の滅亡を狙っているとして、排日思想を鼓舞。
発行する新聞「共立新報」は漢文の週刊で、発行数は3,500~4,000枚であり、会の経費を賄うのに充分な程度は売れていたようですね。

主筆の鄭在寬と崔有渉は、暗殺前日にスチーブンスを訪問した者。
田明雲も共立協会に属している、と。

大同保国会は、2、3年前の創立に係り、本部を桑港に置き「サクラメント」及「カーリン」等に支部を置く。
其目的は共立協会と差なく、是亦大同公報なる諺文週刊新聞を発刊す。
是れ迄、共立協会と軋轢の姿なりしも、排日思想の一層其度を進むると共に、次第に接近の兆あり。
本会は、目下頗る財政困難の域に在り、其新聞の如きも発行数1,500に過ぎず能く其経費を支持するに足らず、現に4月9日以来休刊中にあり。
会員中には李一(京城外国語学校卒業生)、文譲穆(以下2名は前記鄭及崔と共に「ス」氏をホテルに訪ひたるもの)、白一圭(平壌人)等あり。
最も過激派に属し、「ス」氏暗殺者張仁煥は此会員なり。
大同保国会について。
2、3年前の設立という部分と名前からして、恐らくは日韓協約の後に出来た組織だと思われます。
で、最初のうちは、加藤増雄に書かせれば多分「韓国人の常として」、共立協会と軋轢があった、と。(笑)
しかし、排日思想が進むにつれて、徐々に接近している兆しがあるんですね。
敵対してても反日で合致するってのは、これまた良くある話。

大同保国会は、共立協会と違って財政困難であり、機関誌も売れ行きが悪くて経費を捻出できず、4月9日から休刊中、と。
で、こっちも李一や文譲穆といった、暗殺前日にスチーブンスを訪問した者が居り、張仁煥がこの大同保国会の会員なんですね。

合成協会は在布哇韓人の結社にして、其目的は国権を恢復せんため合心協力して患難相救ひ、教育を発達せしむるに在りと称し、其所謂国権恢復なる者は明に排日を意味するものにして、合成新報なる機関紙を発行す。
諺文週刊にして朴一三なる者、之が主筆たり。
鄭源明(会長、平壌人)、李來洙、劉漢膺、李致聖等会務を主宰す。
合成協会はハワイの組織で、最初から国権回復が目的だった組織で、合成新報というハングル新聞を出してる、と。
まぁ、こっちはハワイなんで、直接今回の事件には関係しないんでしょうけどね。

以上3会相互間、並に在韓排日派との連絡に関しては、未だ確実なる機関又は協約あるを聞かず、互に事に触れ時に当り他を利用せんとするに過ぎざるものの如し。
要之以上3会とも独立能く大事をなす足らず、其新聞の如きも見るべきものなく、殊に外国の干渉を喚起云々の如き殆んど児戯に過ぎずと雖も、而も彼等は何等言論の羈束を受けざるを奇貨とし煽動的過激の言辞を弄して憚らず、而して読者の識見卑きため悉く其言辞に魅せられ、其心裏に拭ふべからざる排日の思想を印するに至る義に候。

別紙最近当地韓新聞5枚相添へ、右及報告候。
敬具
これら3つの会相互や、韓国の排日派との連絡は、まだ確実なルートや協約はなく、お互いに折に触れて他者を利用しようとしているだけ。
3会とも、用は足りない、新聞も見るべきものは無い、外国の干渉を喚起とかもう児戯に過ぎないと、ケチョンケチョン。(笑)
しかし、彼等は何も言論の拘束を受けずに好き勝手な煽動や過激な言辞を使って憚らず、読者は識見が卑しいからその言葉に魅せられて、その心に拭えない排日思想を刻み込むに至った、と。

何つーか、昔から変わらねーなぁ。(笑)


今日はこれまで。



スチーブンス暗殺事件(一)
スチーブンス暗殺事件(二)
スチーブンス暗殺事件(三)
スチーブンス暗殺事件(四)
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スチーブンス暗殺事件(九)
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